舛添要一の「虚像」を増幅し続けたメディアの罪、それを丸呑み・便乗した都民の罪
青島幸男、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一に共通するもの――都民がなぜこの連中を知事に選んだのか! 問題の核心は、そこにある
テレビ番組などは、まるでハンでも押すように、
「舛添要一は、せこい」
などと論評しているが、そんなことは、とうの昔からわかっていたこと。
徹底的に報道しなかっただけだ。
テレビほかのメディアは、舛添要一のそういう薄汚れた「裏の顔」に気づいていながら、舛添要一の「裏の顔」を無視して「表の顔」だけを報道し続けてきた。
その罪は大きいのだ。
そういう偏向した報道姿勢がなければ、今日のような事態に至る前に、舛添は政治家として轟沈していたはずだ。
メディアの罪は大きい。
近年の都知事である青島幸男、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一は、皆、テレビに出演しまくって、顔と能弁をアピールし続けた。
テレビをはじめとするメディアは、彼らの「虚像」を増幅し続けることで、ゆがんだイメージづくりを手助けしてきたのだ。
メディアの記者連中は、そういうことを考えることもなく、記者会見する舛添要一に厳しい質問を投げ続けていた。
「どこか、おかしくないか?」
青島幸男も、公私混同していた。
石原慎太郎も同様で、息子の画家の絵を公私混同して買っていた。
猪瀬直樹は、道路公団の怪しげな金をとことん追求しながら、徳洲会から裏金をもらっていた。
「公僕」とか「滅私奉公」という使命感があれば、そんなことはしないはず。
彼らは、正義感を前面に押し出して、知名度を上げて、本を書いて稼ぎまくった。
彼らの違いはといえば、逃げ方がうまいか下手かの違いがあるだけだ。
都民も都民だ。「裏の顔」を知らずに、虚像である「表の顔」を信じて、彼らを選んだ。
今回の「舛添要一問題」は、そのツケがたまたま回ってきただけだ。
(城島明彦)