舛添要一は、もはや〝雪隠詰(せっちんづ)め〟! 「引き際」ぐらい、きれいにせよ
臭いものにするフタは、もうないぞえ
将棋で、王将または玉将が隅に追い込まれて、身動きならぬ状態を「雪隠詰め」という。
雪隠とは、昔のポットン便所のことだ。
「くっさ! くさいっ!」
と、舛添先生、おのれの身辺のくささを忘れて連呼した。
くさい。931――年号ならば平安時代だ。
平安京とは名ばかりで、ウンコの捨て場がないから、都のなかは糞だらけ、疫病が流行れば、あっちにもこっちにも死骸がゴロゴロ、超臭いのである。
いにしえの 奈良の都の 八重桜 今日ここの屁に におい塗るかな
このように平城京もくさかったが、平安京はそれどころじゃない。〝屁雲古京〟(へうんこきょう)と呼ばれていたとかいないとか。
おっと、臭い話が脱線してしまった。
舛添先生、臭いところへ逃げ込んだのはよいが、外には敵がワンサカいて、孤立無援。
臭いものにフタをしようにも、フタが見つからず、尻ぬぐいしようにも、すがる紙(新聞)もない。
(^^♪ すがる海峡 冬景色
だが、新聞各紙は、ここぞとばかりに総攻撃だ。
味方と頼るは、〝セコ犯同盟〟のカミさんだけか。
そのカミさんは、舛添の後添(のちぞ)え。
「ああ、ややこしい。神も仏もあったものではない。南無阿弥陀仏、ぶっちゃイヤ」
と舛添先生、ぶつぶついいながら、頭を掻きむしりたいのは山々なれど、頭髪、もっか激減中。
事件発覚でさらに激減し、髪も薄いが、人間も薄っぺらで、もはや〝各種のカミ頼み〟すら希望薄の、うすらトンカチ状態と相成り果てた次第。
「こんな都知事に誰がした」
と、舛添先生、ぼやいてみて、はたと思い当たった。
声のでかい奴、論理の飛躍する奴などを、〝できる論客〟として再三登場させ、知名度を挙げさせて、政界へ送り込んだ元凶は、田原総一朗の「朝までテレビ」だ。
バラエティ番組を含む他の番組からも次々とお声がかかり、そのおかげで、名前も顔も売れて全国区へと押し上げられた。
その典型が舛添要一や猪瀬直樹だ。女じゃ、「総理、総理、総理」の辻本清美や蓮舫など。
テレビさまさま、サマセット・モーム現象を現出した。げにテレビの力は恐ろしい。
しかし、猪瀬こけて、舛添も実質こけた。
「酒でも飲まなきゃ、やってられん」
と舛添先生、公費で買いだめておいたビールといわず、ワインといわず、バーボンといわず、ガブ飲みしたからたまらない。ぐでんぐでんになってしまい、これがホントの、
「舛添酔う一」!
夏の参院選のタレント候補も、似たようなもの。マスコミが創り上げた虚像で票集めして、当選した後は、いつのまにか、何をやっているのかわからない泡沫議員になり、地が出て、おかしな事件を起こして話題になる。
そういう議員が、これまで何人、いや何十人いたことか。
(^^♪ 都知事の出来事 ※替え歌レベル 初歩クラス
都庁の車に乗って
真夏に公費 使い続けた
都庁の車に乗って
熱海の別荘 私は着いた
悲しい出来事が 起こらないように
祈りの気持ちを込めて 見つめ合う家族を
朝の冷たい海は 鏡のように映していた
朝の冷たい海は 知事の終わりを知っていた
(^^♪元歌 平山三紀(現 平山みき)「真夏の出来事」
彼の車に乗って
真夏の夜を 走り続けた
彼の車に乗って
さいはての町 私は着いた
悲しい出来事が 起こらないように
祈りの気持ちを込めて 見つめ合う二人を
朝の冷たい海は 鏡のように映していた
朝の冷たい海は 恋の終わりを知っていた
※1971(昭和46)年の大ヒット曲。聞いたことがない若い人は、いっぺん聞いてみて。いい曲だよ。歌声も個性的で、一度聴いたら忘れない歌だ。
(城島明彦)
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