〝土俵上の素行の悪さ〟で歴代一位! 崇高さに欠ける〝哀(かな)しい横綱〟白鵬
白鵬は「横綱相撲」という言葉がわかっていない
親方と喧嘩して引退させられた横綱北尾の「素行の悪さ」は、土俵の外だった。
暴力沙汰を起して引退に追い込まれた朝青龍の「素行の悪さ」も、土俵の外だった。
だが、白鵬の「素行の悪さ」は土俵上である。
「ダメ押しはダメだ」と再三注意されても、一向に改めるそぶりはなく、そして遂には、審判部の親方が、ダメを押されて土俵下に転落した力士の下敷きになって重傷を負うという不祥事を招き、厳重注意された。
普通の人間なら二度としないはずだが、白鵬は違う。対戦相手琴勇輝を押し出した後、戻っていく琴勇輝の背中を両手でポンとついた。
そういうことをする必要がないし、そういうことをする場面でもない。
稽古場ならよくあることで済まされるが、前々日にも勝負が決まった後、相手を押しており、改める意思がないと考えるしかない。
8日目の相撲内容も、〝白鵬の定番〟の「張り差し」と思わせたが、そうではなかった。
張り差しと見せかけて、左手を琴勇輝の顔の前に突き出すという〝音のしない片手の猫だまし〟のような奇策を繰り出した。
〝猫だまし〟は、相手の顔面で両手を叩いて相手がびっくりしたすきをついて、先手を取るという奇策だが、これも横綱が使う手ではない。
左手を顔の前に突き出しながら、右腕をL字型にまげて「かち上げ」にいった。
この取り口を見た観客は、勝負がついた後、激しいブーイングを発した。
数々の大記録を塗り替えた大横綱が、やるべき手ではないとい非難の声である。
白鵬は、「横綱相撲」という言葉がわかっていないのではないか。
この日はNHKの解説の舞の海も、横綱としてのありようについて苦言を呈していたが、これからもどんどん厳しくいうべきである。
白鵬が、これから先、そうような大横綱にふさわしくない相撲で、いくら勝ちまくったとしても、横綱としての評価は下がっていくだけだ。
白鵬に欠けているのは、「心技体」の「心」
「心技体」を極めたと認められた力士が、横綱である。
しかし白鵬は、ただ勝つということだけのための「技」を駆使しているだけであって、横綱にふさわしい「技」の極致には達していないのである。
「技の極致」に到達できないのは、「心」の一部が欠けているからだ。
「相撲道(すもうどう)とは何か」
ということがわかっては初めて、心技体の充実する努力が実を結ぶ。
双葉山や大鵬が偉大な大横綱として語り継がれているのは、優勝回数や勝ち星の多さだけではない。
大横綱にふさわしい立派な土俵態度だったからだ。
彼らにファンは「相撲道」を見たからだ。
横綱は、ただ勝てばいいのではない。勝ち方が問題なのだ。
取り口が問題なのだ。受けて立っても、堂々と勝つ。
その点、白鵬は、「横綱相撲」という言葉は知っていても、その言葉が意味するものがわかっていない。「相撲道」というものがわかっていない。
わかっていたら、あれだけの立派な体格をしていながら、連日のように下位相手に「張り差し」にいったり、「かち上げ」にいくような、あざとい攻め方はしないはずだ。
相手の顔を張らなければ、相撲を取れないのか!?
少なくとも心ある相撲ファンからは。そう思われている。
その点、先場所あたりからの稀勢の里は、どっしりとした、まるで横綱相撲のような取り口が増え、
「変わった!」 そんな印象を観客に与え、
「相撲道に開眼したのではないか」
と思わせて多くの人を感動させている。
白鵬に求められるのは、これである。
(城島明彦)
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