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2016/05/30

広島で被曝し、「がん」で死んだ親戚が2人


オバマ大統領の広島スピーチで思ったこと

 伯父と義父は、戦時に広島の軍隊に派遣されていて被曝し、「原爆手帳」をもらっていたが、どちらも70代で「がん」で死んでいる。

 2人とも、子供は娘2人だった。
 被曝と生まれてくる子供の性別の関係は、私にはよくわからないが、もしかしたら関係があるのかもしれない。

 被曝した遺伝子は、私の娘にも受け継がれている。

 5月27日の広島でのオバマ大統領の演説は、第三者として聞く分には、感動的な内容だったが、二人がもし生きていたら、オバマの演説をどう聞いたか、知りたいと思った。

(城島明彦)

2016/05/26

舛添要一は、もはや〝雪隠詰(せっちんづ)め〟! 「引き際」ぐらい、きれいにせよ


臭いものにするフタは、もうないぞえ

 将棋で、王将または玉将が隅に追い込まれて、身動きならぬ状態を「雪隠詰め」という。
 雪隠とは、昔のポットン便所のことだ。
 「くっさ! くさいっ!」
 と、舛添先生、おのれの身辺のくささを忘れて連呼した。

 くさい。931――年号ならば平安時代だ。
 平安京とは名ばかりで、ウンコの捨て場がないから、都のなかは糞だらけ、疫病が流行れば、あっちにもこっちにも死骸がゴロゴロ、超臭いのである。

  いにしえの 奈良の都の 八重桜 今日ここの屁に におい塗るかな

 このように平城京もくさかったが、平安京はそれどころじゃない。〝屁雲古京〟(へうんこきょう)と呼ばれていたとかいないとか。
 おっと、臭い話が脱線してしまった。

 舛添先生、臭いところへ逃げ込んだのはよいが、外には敵がワンサカいて、孤立無援。
 臭いものにフタをしようにも、フタが見つからず、尻ぬぐいしようにも、すがる紙(新聞)もない。

  (^^♪ すがる海峡 冬景色

 だが、新聞各紙は、ここぞとばかりに総攻撃だ。
 味方と頼るは、〝セコ犯同盟〟のカミさんだけか。
 そのカミさんは、舛添の後添(のちぞ)え。
 「ああ、ややこしい。神も仏もあったものではない。南無阿弥陀仏、ぶっちゃイヤ」
 と舛添先生、ぶつぶついいながら、頭を掻きむしりたいのは山々なれど、頭髪、もっか激減中。
 事件発覚でさらに激減し、髪も薄いが、人間も薄っぺらで、もはや〝各種のカミ頼み〟すら希望薄の、うすらトンカチ状態と相成り果てた次第。

 「こんな都知事に誰がした
 と、舛添先生、ぼやいてみて、はたと思い当たった。

 声のでかい奴、論理の飛躍する奴などを、〝できる論客〟として再三登場させ、知名度を挙げさせて、政界へ送り込んだ元凶は、田原総一朗の「朝までテレビ」だ。

 バラエティ番組を含む他の番組からも次々とお声がかかり、そのおかげで、名前も顔も売れて全国区へと押し上げられた。
 その典型が舛添要一や猪瀬直樹だ。女じゃ、「総理、総理、総理」の辻本清美や蓮舫など。

 テレビさまさま、サマセット・モーム現象を現出した。げにテレビの力は恐ろしい。
 しかし、猪瀬こけて、舛添も実質こけた。
 「酒でも飲まなきゃ、やってられん」
 と舛添先生、公費で買いだめておいたビールといわず、ワインといわず、バーボンといわず、ガブ飲みしたからたまらない。ぐでんぐでんになってしまい、これがホントの、
 「舛添酔う一」!
  
 夏の参院選のタレント候補も、似たようなもの。マスコミが創り上げた虚像で票集めして、当選した後は、いつのまにか、何をやっているのかわからない泡沫議員になり、地が出て、おかしな事件を起こして話題になる。
 そういう議員が、これまで何人、いや何十人いたことか。

 (^^♪ 都知事の出来事  ※替え歌レベル 初歩クラス

  都庁の車に乗って
  真夏に公費 使い続けた
  都庁の車に乗って
  熱海の別荘 私は着いた
  悲しい出来事が 起こらないように
  祈りの気持ちを込めて 見つめ合う家族を
  朝の冷たい海は 鏡のように映していた
  朝の冷たい海は 知事の終わりを知っていた

 (^^♪元歌 平山三紀(現 平山みき)「真夏の出来事」 

  彼の車に乗って
  真夏の夜を 走り続けた
  彼の車に乗って
  さいはての町 私は着いた
  悲しい出来事が 起こらないように
  祈りの気持ちを込めて 見つめ合う二人を
  朝の冷たい海は 鏡のように映していた
  朝の冷たい海は 恋の終わりを知っていた

 ※1971(昭和46)年の大ヒット曲。聞いたことがない若い人は、いっぺん聞いてみて。いい曲だよ。歌声も個性的で、一度聴いたら忘れない歌だ。

(城島明彦)

2016/05/25

舛添要一先生に、孟子の言葉を贈呈! 羞悪(しゅうお)の心なきは、人にあらざるなり


舛添先生! 耳が痛くなる言葉をどうぞ

「羞悪の心なきは、人にあらざるなり」は、現代風に短くいうと、
「この恥知らずの人でなし!」かな。
 
 それにしても、舛添先生の二度に及ぶ長時間の記者会見は、いけませんな。
 そのことに関しても、孟子がいいことをいっているので、先生に献呈だ。

 公孫丑(こうそんちゅう)が、孟子に尋ねた。
 「先生、人の言葉を知るというのは、どういうことですか」
 孟子が答えた。
 「心を知るということだ。4つの言葉に注意する必要がある。
 1つは、詖辞(ひじ)といって、偏(かたよ)った言葉だ。
 1つは、邪辞(じゃじ)といって、よこしまで、ゆがんだ言葉だ。
 1つは、淫辞(いんじ)といって、放らつな言葉(勝手気ままで、だらしのない言葉)だ。
 1つは、遁辞(とんじ)といって、自己弁護に終始する逃げ口上だ。
 この4つが心に生じると、仕事に害が生じ、政治にも害が及ぶ」

(城島明彦)

2016/05/24

似てないか!? AKB48「恋するフォーチュンクッキー!」と浅田美代子の「赤い風船」


リズムもテンポも違うが、どこか似ている

 AKB48の「恋するフォーチュンクッキー!」。
 この曲の主旋律ともいうべき、
 ♪ 恋するフォーチュンクッキー! 未来はそんな悪くない
 というくだりを耳にするたび、どこかで聞いた曲と似ていると思っていたが、最近、ふと思い当たった。

 浅田美代子の「赤い風船」だ。
 似ていると思うのは、
 ♪ あの娘(こ)は どこの娘 こんな夕暮れ
 で始まる歌詞の終わりの次のフレーズ。

 ♪ もうじき あの あの人が来てくれる
    きっとまた 小さな夢もって
 

 興味ある人は、you tube で聞き比べてみやしゃんせ。


(以下は、おまけ)

 浅田美代子というと、今の若い人は、明石家さんまの番組に出てくる〝ピントはずれなことをいう天然系おばちゃん〟ぐらいにしか思っていないかもしれないが、TBSのドラマ「時間ですよ」にお手伝いさん役で登場すると、またたくまにお茶の間のアイドルになったシンデレラガールだった。
 といっても、今から43年も昔の昭和48(1973)年のお話。

 彼女がドラマの中で歌った「赤い風船」は、音程がかなり怪しかったが、その曲がレコード化されると、大ヒットしたのだから、わからない。
 浅田美代子も、もう還暦。昭和は遠くなりにけりだ。

(城島明彦)

60数戦無敗の宮本武蔵に勝った武将がいた!? その名は荒木又右衛門!


――というのは「講談本」(立川文庫)の説。寛永の御前試合で勝ったという。


50歳前後の武蔵が出場した「寛永御前試合」とは!?

 NHKのEテレの「100分de名著」が5月の名著として『五輪書』を取り上げ、その最終回が昨日(5月23日)に放送され、全4回の内容がわかりやすかったから、〝剣聖〟宮本武蔵に興味を持った人も多いのではないか。

 NHKでも「宮本武蔵は60戦して無敗」と説明していたが、厳密にいうと「60数戦して無敗」である。
 この戦歴は、武蔵自身が、
 「13歳から28、9歳までの間に60数戦して負けたことはない」
 と著書『五輪書』(ごりんのしょ)で語っていることに基づいている。

 原文では、こう書かれている。
 「六十余度迄勝負すといへども、一度も其利(そのり)をうしなはず。そのほど、十三より廿八、九迄の事也(なり)」(「地之巻」)

 武蔵が28、9歳のときの最後の真剣勝負が、慶長17(1612)年に巌流島で行われた佐々木小次郎との決闘である。
 30歳以後も、何人かと決闘ないしは試合をして撲殺するなどしているが、『五輪書』には記されておらず、謎が多い。

 真剣勝負で60数戦無敗――武蔵の剣は、まさに天下無双の剣といえるが、その後、武蔵は、三代将軍家光の眼前で挙行された「御前試合」(いわゆる〝寛永御前試合〟(かんえいのごぜんじあい)に出場し、負けている。
 もっとも、この試合そのものが「架空」とする説が強いが、この試合をテーマにした講談本「立川文庫」の「寛永御前試合」では、負けているのである。

 武蔵を負かした相手は、伊賀の「鍵屋の辻」で36人斬りをやってのけ、天下にその名をとどろかせた剣豪荒木又右衛門(あらきまたえもん)である。


荒木又右衛門とは何者か

 荒木又右衛門は、寛永11(1634年)に、義弟の渡辺数馬(わたなべかずま)の仇討に助太刀(すけだち)を買って出、伊賀の鍵屋の辻で本懐を遂げさせた剣豪だが、そのとき斬り倒した仇敵陣営の人数に尾ひれがついて、「36人斬り」といわれたのだ。
 この仇討には、双方の背後にいる武家同士のメンツもかかっていて、複雑な話になっているが、ここではそれは省略する。

 寛永年間は、江戸初期の20年間(1624年2月~1644年12月)で、三代将軍家光の御前で剣術の試合が行われた日時は、寛永9(1632)年、寛永11(1934)年、寛永13(1936)年の3説がある。

 天正12年(1584)年生まれの武蔵は、40代から50代にかけての頃になる。
 一方の又右衛門は、慶長4(1599)年生まれで、武蔵より15歳も若い。
 年齢的には又右衛門の方が有利だ。
 ただし、武蔵が「兵法の神髄に到達したのは50歳前後だった」と『五輪書』で回顧しているので、一般人の50歳とは訳が違う。


どんな試合だったのか

 以下は、立川文庫『寛永御前試合』に書かれた試合の様子だ。

 寛永の御前試合を発案したのは、〝天下の御意見番〟として、家康・秀忠・家光の三代に仕えた旗本大久保彦左衛門。
 家光自身も、剣の腕が立ったから即座に乗った。

 場所は、江戸城の吹上御庭(ふきあげのおにわ)。
 総掛役(そうかかりやく)は、〝知恵伊豆〟こと松平伊豆守。
 行司役(ぎょうじやく)は、小野治郎右衛門(じろうえもん/旧名 御子神典膳(みこがみてんぜん)。
 呼出役(よびだしやく)は、大久保彦左衛門。

 武蔵の出番は、
 「第三番に立ち出でたるは神免(しんめん)二刀流の元祖宮本武蔵」
 と記されている。

 「神免二刀流」というのは、武蔵の本名「新免」(しんめん)をもじったようだ。
「新免武蔵野守(むさしのかみ)藤原玄信(ふじわらのげんしん)」が本名で、武蔵は、自身の二刀流を「二天一流」と呼んでいる。


昔の講談本は、こんな風に書いている

 「両豪傑は悠然として庭前へ進み出る、将軍始め、一同は、之(こ)れぞ当日の書入(かきい)れ勝負と、固唾(かたず)を呑んで片肘(かたひじ)怒らせ、瞬(またたき)もせず見物する、両人は兼(かね)て懇意(こんい)の間柄ゆえ、叮嚀(ていねい)に会釈を為(な)し、荒木又右衛門は二尺三寸(約70センチ)の木剣、宮本武蔵は例の右剣左剣を携へ、行司の軍配引くと共に、東西に立ち分れ、荒木は中段、武蔵は右剣左剣を天地に構へ、エイヤツと互いに睨(にら)み合つたる其(そ)の有様(ありさま)、何処(いずこ)に一点鵜(う)の毛で突いた程の隙もない」
 と、立川文庫は、見てきたように書くのである。

 ここでは、武蔵と又右衛門は、顔見知りだったことになっている。
 武蔵は、長い方の太刀を右手に持ち、短い方の脇差を左手に持って構えた。
 対する荒木又右衛門は、中段の構えである。


勝負が決着した瞬間は!?

 続きは、城島流現代語訳で――

 なにしろ天下無双の豪傑同志だ。「エイ」「ヤッ」という気合いがしばらく交錯し、双方、間合いを計っていたが、これでは決着がつかぬと思った荒木又右衛門が、
 「エイッ!」
 と激しく打ち込んだ。
 武蔵は、その木剣を右の剣でガシッと受け止めると、左の剣で素早く又右衛門の小手を狙って打ちかかった。
 だが、又右衛門は、それをハッシと打ち払った。
打てば開き、開けば付け入って、まさに千変万化、虚々実々の駆け引きが続く勝負の展開は、荒木が「鬼神の勢い」なら、宮本は「摩利支天(まりしてん)の勇」ともいうべきもので、目にもとまらぬその早わざは電光石火のようだ。
 両者は、互いに負けず劣らず、ここを先途(せんど)と闘っていたが、今しも又右衛門が、「エイッ!」という鋭く大きな声もろともに、渾身の力を込めて木刀を打ち込んだ。
 武蔵は、その鋭い太刀先を、十字に組んだ二刀でガキッと受け止めた。
 だが、又右衛門の打ち込み方があまりにも激烈だったために、はからずも武蔵の「十字の構え」は破れ、右剣を思わず取り落とした。
 してやったりと、又右衛門はさらに畳みかけて切り込む勢いである。
 対する宮本武蔵は、しまったとばかりに、一歩うしろに飛びすさると、左剣を右手に持ち替えるが早いか、襲い来る又右衛門の剣をガシッと受け止めた。そして、
 「まいった……」
 又右衛門も、うしろへ飛び下がり、
 「いや、怪我(けが)の功名(こうみょう)、迚(とて)も我らの及ぶところではござらん」
 「何をいわれる、恐れ入ったるお腕前、某(それがし)の及ぶところではありませぬ」
 と、互いを認め、称賛し合ったのである。
 見物していた者たちは、その様子にすっかり酔いしれて、
 「ワアワア」
 と歓呼の声を挙げ、殿中(でんちゅう)は揺れんばかりだった。
 この勝負は、荒木又右衛門が武蔵の「十字の構え」を破った。両刀あればこそ武蔵も強いが、刀一本だけの勝負では、到底、荒木にかなわないから、又右衛門の勝ちとなったのである。
 行司役の小野治郎右衛門が、将軍家光の前に進み出て、こう解説した。
 「しかし、武蔵もなかなか豪(えら)いところがございます。とっさの場面でも、武術の嗜(たしな)みを忘れず、左剣をとっさに右手(めて)に持ち変えて受け止めるという、余人には到底まねのできない動きであります」
 将軍の御前に控えていた一同も、なるほどと合点し、
 「さすがは天下名題(なだい)の豪傑同志、見ていても骨が折れまする」
 などと感心しない者は、一人もいなかった。

 ――この記述がもし真実であるとするなら、荒木又右衛門の膂力(りょりょく/腕力)は相当のものである。
 武蔵は、巌流島の戦いで、〝物干しざお〟の異名を持つ佐々木小次郎の長い剣をかわし、舟の櫂(かい)でつくった木刀で頭を砕いたが、人並み外れた怪力でなければ、そんなことはできない。

 荒木又右衛門の木刀は、武蔵が巌流島で用いた木刀より短いが、その木刀で武蔵の右手の太刀を叩き落としたとすれば、その怪力は武蔵をしのぐものがあったと想像できる。
 そんな剣豪荒木又右衛門は、40歳で死んでいる。
 
 一方、武蔵は62歳まで生き、60歳のときに不朽の名著『五輪書』を洞窟にこもって書き残したのである。
 『五輪書』に書かれた内容は、単なる剣術の指南書ではない。
 私は、現代語訳のあとがきの見出しを、
 「人生の難所・難局を乗り切るための指南書」
 とした。

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Photo_4 Photo_2 _cover  (致知出版社)

(城島明彦)

2016/05/22

鬼の霍乱(かくらん)? 熱を出してダウンしてしまった


気圧の変化に微妙に反応し、またまた体調不良

 日曜日なのに用があって、蔵前方面へ出かけたが、ずっと体がだるかった。
 体は正直だ、夏のような日差しと寝不足のせいだと思った。

 電車の中では座りたかったが、途中で乗ってきた中年男に空いた席を要領よく取られ、そのうちに腰が痛くなった。

 用事を済ませて、帰るさ、多摩川の流れを見たら元気になれるかと思って、二子玉川駅で下車し、改札に向かいかけたが、川まで歩く気力がなく、車中に戻り、そのまま帰宅。

 ベッドにひっくり返り、ぼんやりとテレビを見ているうちに眠ってしまった。
 目を覚ますと熱が出ていたので、薬を飲んだ。

 なんとも情けない一日でありました。

(城島明彦)

2016/05/21

稀勢の里、土壇場で〝ノミの心臓〟が復活!?


〝笑っている顔〟を無理にでもつくれ!

 13日目の白鵬との取り組みは、内容的には大相撲だったが、仕切っているときの表情が、以前の稀勢の里に戻っていた。

 12日目までの相撲では、NHKのアナウンサーが「笑っているような」とうまい表現をしたが、そういわれてみると、そう見えた。
 心の余裕が、表情に出ていたのだ。

 しかし、白鵬戦ではそれが消え、今日の14日目の鶴竜戦でも同様で、前日の敗戦で白鵬に自力優勝を絶たれて気落ちしたのか、〝昔の顔〟に戻っていた。
 案の定、過去の対戦成績で圧倒している鶴竜に外掛けされ、簡単に土俵を割った。
 以前の〝ノミの心臓〟が復活だ。

 もっと余裕をもって、相撲を取らない限り、横綱にはなれない。
 明日の千秋楽では、意識して、無理にでも〝笑っている顔〟をつくって、日馬富士を圧倒する相撲を取れ!

(城島明彦)

舛添要一〝断末魔〟カルタだよ


舛添先生に捧げる「ボケ防止・抜け毛防止兼用 おつむの体操」

 昨日の会見で、舛添先生、こともあろうに「第三者」を45回も繰り返したそうな。
 「おとぼけも度が過ぎると、ボケを疑われますぞえ」
 てぇわけで、舛添要一先生にささげる「断末魔カルタ」でございます。ピクピク~ッ!

  ま  参った舛添 また毛が抜ける
  す  すみません、第三者が 板に付き
  ぞ  贈答品だからね 絵画落札
  え  ええカッコするには セコすぎる
  よ  よせばいいのに 家族会議を繰り返し
  う  うさん臭さは 猪瀬にゃ負けぬ
  い  いさぎよく辞める気なんか 毛頭ない
  ち  貯金も預金も 山ほどあるぞ

  (自己PR)
 Daifugo_cover_3  画像は100ピクセルだよ、ピクピク~ッ!

 ※プレジデント社刊の本書は、経済誌『フォーブス』が毎年発表している「世界長者番付」(ビリオネア・ランキング)を徹底分析したほか、歴史に残る世界の大富豪たちの錬金術・蓄財術や金言などを紹介していますが、残念ながら、舛添先生の錬金術には触れておりません。悪しからず。

(城島明彦)

2016/05/20

舛添要一の「虚像」を増幅し続けたメディアの罪、それを丸呑み・便乗した都民の罪


青島幸男、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一に共通するもの――都民がなぜこの連中を知事に選んだのか! 問題の核心は、そこにある

 テレビ番組などは、まるでハンでも押すように、
 「舛添要一は、せこい」
 などと論評しているが、そんなことは、とうの昔からわかっていたこと。
 徹底的に報道しなかっただけだ。

 テレビほかのメディアは、舛添要一のそういう薄汚れた「裏の顔」に気づいていながら、舛添要一の「裏の顔」を無視して「表の顔」だけを報道し続けてきた。
 その罪は大きいのだ。

 そういう偏向した報道姿勢がなければ、今日のような事態に至る前に、舛添は政治家として轟沈していたはずだ。
 メディアの罪は大きい。

 近年の都知事である青島幸男、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一は、皆、テレビに出演しまくって、顔と能弁をアピールし続けた。
 テレビをはじめとするメディアは、彼らの「虚像」を増幅し続けることで、ゆがんだイメージづくりを手助けしてきたのだ。

 メディアの記者連中は、そういうことを考えることもなく、記者会見する舛添要一に厳しい質問を投げ続けていた。

 「どこか、おかしくないか?」

 青島幸男も、公私混同していた。
 石原慎太郎も同様で、息子の画家の絵を公私混同して買っていた。
 猪瀬直樹は、道路公団の怪しげな金をとことん追求しながら、徳洲会から裏金をもらっていた。
 「公僕」とか「滅私奉公」という使命感があれば、そんなことはしないはず。

 彼らは、正義感を前面に押し出して、知名度を上げて、本を書いて稼ぎまくった。
 彼らの違いはといえば、逃げ方がうまいか下手かの違いがあるだけだ。

 都民も都民だ。「裏の顔」を知らずに、虚像である「表の顔」を信じて、彼らを選んだ。
 今回の「舛添要一問題」は、そのツケがたまたま回ってきただけだ。

(城島明彦)

白鵬戦で善戦するも力負けした稀勢の里は、来場所に期待


国技で日本人横綱不在は情けないの一言

 本日の全勝対決「稀勢の里VS白鵬」は、日本人横綱誕生への期待を込めた一番だったが、稀勢の里は勝てなかった。

 白鵬は、〝恒例〟となった「張り差し」以外は、横綱相撲だった。
 圧倒的な強さがあるからこそ、「張り差し」やら「猫だましもどき」やら「プロレス技のエルボー風かちあげ」のようなことはするなと、私はいい続けてきた。

 稀勢の里の敗因は、何度か攻め立てながら残され、さらに攻め立てることをせず、途中で休んだこと。
 しかし、相撲内容としては互角だったが、これまでに踏んだ場数の差、つまりキャリアの差で、白鵬が勝った。

 しかし、稀勢の里は、ここ数場所で印象が大きく変わった。
 横綱になっても恥ずかしくないような風格が備わってきた。
 来場所も、この姿が不変なら、横綱昇進は目前だ。
  
 一方、〝最強横綱〟白鵬は、分厚い懸賞金の束を両手で受け取ると、立ち上がった後、ガッツポーズこそしなかったものの、拝むように高く掲げた。
 これが余計だと、いっているのだ。
 蹲踞(そんきょ)の姿勢で勝ち名乗りを受け、手刀をきって懸賞金を恭しく頂く。
 それで十分。
 相撲は古式ゆかしいスポーツなのだから、伝統にのっとった所作が大事であり、それを破るような余計なことをしてはいけないのだ。
 
(城島明彦)

2016/05/19

またかよ、白鵬! 〝野蛮セット〟(張り手+エルボー)で豪栄道に勝って楽しいか?


いつまで相撲道を汚し続けるつもりか? もう退(や)めろよ、白鵬!

 昨日、琴奨菊を豪快に土俵に転がした相撲は、たまたまだったようだ。
 今日は、また一昨日と同じ〝野蛮セット〟(左手による「張り手」+右腕による「エルボー」(かちあげ))が復活だ。

 勝つためなら何でもする横綱なんか、誰も望んでいない。
 野蛮な取り口をしなければ勝てないのなら、引退したらいい。

 明日は、稀勢の里との全勝対決だが、白鵬は、まさかそういう大一番でも〝野蛮セット〟を使うのではないだろうな。
 そういう事態になったら、即引退だな。

(城島明彦)

三菱自、スズキの燃費データ偽装で、国交省のメンツ丸つぶれ


倫理観が欠如したスズキ会長

 過日、フォルクスワーゲンのデータ偽装事件が報じられたとき、ほとんどの日本人は、
 「えっ、あのVWが!?」
 と信じられない思いがし、
 「日本のメーカーは、そういう馬鹿なことはしない」
 と思ったものだったが、三菱自動車も同類だったと知って、
 「まさか」
 と驚いていたら、それに追い打ちをかけて今度はスズキだ。
 スズキの会長は、数字の誤差が小さいから販売は継続すると開き直った。

 泥棒しても金額が少ないから問題ないというに等しく、倫理観が血御しているとしか思えない。

 日頃、コンプライアンスがどうのこうのと立派なことをいいながら、その裏では、何度かテストした中で一番いいデータを国交省に報告したり、カタログに載せていたというのだから、〝あきれカエルのほっかむり〟だ。

 三菱自の会長兼CEOは、同社が2000年と2004年にやらかした不祥事を受けて、同じ三菱グループの三菱商事から送り込まれた逸材で、私が大学時代に在籍したゼミの2年後輩だが、風通しの悪すぎる三菱自の社風を一変させることはできなかったようだ。

 彼の下の社長は6月の株主総会後の取締役会で退任するが、彼自身は日産傘下に入った後処理があるので、それが片付いてから引責辞任ということになる。
 

国交省の組織・体質に欠陥があるのではないか

 三菱自、スズキの両社に共通するのは、国交省が定めた検査方法を無視し、自社独自にデータを出していた点だ。

 東洋ゴムの耐震ゴムデータ偽装事件にしろ、三井不動産が販売した横浜の傾きマンション事件のときも、国交省のチェック体制が甘かったことに付け入った犯行であることが露見した。

 三度も四度も似たようなことが続けば、国交省の定めた法規は〝ザルが多い〟ということになり、役人の質そのものが疑われるのみならず、組織的に致命的な欠陥があるのかとの疑念も生じる。

 今回の三菱自の事件については、私は、月刊誌「広報会議」7月号(6月1日発売予定)に、「広報部の危機管理」という視点から書いたが、月刊誌なので締め切りが早く、最新情報を盛り込めない悩みもある。
 広報部は、社内報等を通じて社員の「コンプライアンス意識」を高める役割も担っているが、果たして不祥事を抑止できる力はあるのかということをテーマにした。今回は連載の34回目になる。

(城島明彦)

白鵬よ! 琴奨菊を豪快なすくい投げで転がした相撲。それが横綱相撲だ


観客はそんな相撲を見たがっているのだ

 大相撲夏場所11日目(5月18日)の取組で、白鵬は、対戦相手の琴奨菊を相手にしなかった。
 片方の手で琴奨菊の頭を押さえながらのすくい投げ。
 大関が、まるで子供のようだった。

 「ぶん投げた」
 という表現がふさわしいような豪快な勝ちっぷりだった。
 これぞ「横綱相撲」というべきである。

 「憎らしいほど強い」
 という賛辞は、そういう取り口に対して与えられるのであって、日頃、多用する「張り手」やら「かちあげ」のような 横綱らしからぬ手でいくら勝っても、そのような賛辞は贈られない。

 白鵬に求められるのは、「張り差し」や「かちあげ」のような安易な攻め方を慎もうとする「自制心」「克己心」だ。
 それが身についたとき、「心技体ともに歴代最高の大横綱」として絶賛されるだろう。

(城島明彦)

2016/05/17

相撲協会に緊急提言! 白鵬の「〝変種〟のかちあげ」の是非をアンケート調査してほしい


力士が大けがをしてからでは遅い!

 昨16日の取り組みで、大相撲の頂点に立つ横綱・白鵬が愛好するプロレスもどきの危険技「〝変種型〟かちあげ」(俗称エルボー)を顎に食らって、勢のような大型力士が、失神状態に陥り、一瞬にして土俵に崩れ落ちた。

 大相撲は国技であり、相撲ファンを含めた国民の声は反映されなければならないし、相撲協会はその声に耳を傾ける義務もある。
 
 相撲協会は、過去に「〝変種型〟かちあげ」を連発した大砂嵐に自粛を求めたのだから、白鵬にもそうすべきではないのか。

 横綱白鵬によって繰り返される危険技「変種のかちあげ」を禁止すべきかどうか、相撲ファンをはじめとする国民の声を緊急調査してほしい。

 ダメ押しも、大事故が出たから相撲協会は動いたが、プロレス技「エルボー」とおぼしき白鵬の「〝変種〟のかちあげ」で、力士の誰かが大けがをしてからでは遅い。

(城島明彦)

2016/05/16

勢をエルボーで失神させた白鵬の喧嘩殺法を擁護した、北の富士(NHK相撲解説者)に「引退勧告」だ!


北の富士(74歳)は、どこに目をつけている? 白鵬のは「かちあげ」ではなく、「顎砕き」だ!

 5月場所9日目の一番で、白鵬が左手で顔を張り、右腕で対戦相手の勢(いきおい)に見舞った危険な技は、「かちあげ」という呼び名はついているが、実質は「肘を使った顎へのアッパーカット」だった。
 いってみれば、「顎砕き」狙いで、プロレス技に近い。喉にも衝撃が走り、息ができなくなる。一種の喧嘩殺法で、相撲取りが使ったら、命の危険も伴う。

 案の定、勢いは、一瞬にして崩れ落ち、しばらく、起き上がれず、緩慢な動作をした。脳震とうを起したのだ。

 こういう恐ろしげな場面を、これまで何度、見せられたことか。

 白鵬は、それを意図的に狙っているから、タチが悪い。
 その技は、あの朝青龍が好んでやるのを見て、真似たところに問題がある。

 相撲技の「かちあげ」は、肘を「くの字」に曲げて対戦相手の胸板にぶつけるものだ。
 
 大砂嵐が連発して相手力士が一瞬失神するなど危険であると相撲協会は判断し、大砂嵐に注意し、大砂嵐は以後、その手を自ら封じた。 

 白鵬が「かちあげ」という名を悪用したプロレス技もどきの「ひじ打ち」で、対戦相手の勢が土俵に沈むのを見た北の富士は、
 「違反じゃないからね」
 と繰り返した。
 そんなことをいうから、白鵬がますます増長して、どっしりとした横綱相撲を取らなくなるのだ。
 白鵬が狙っているのは胸ではなく、顎だ。
 それくらいの違いが、北の富士には判らないのか。

 「顎を肘で襲撃するかちあげ」が「違反じゃない」というのなら、自粛させた大砂嵐の「かちあげ」も認めてやればいいじゃないか。

 相撲協会に働きかけて、もっと以前使った危険極まりない「かちあげ」を復活させるようにしたらどうなのか。
 モンゴル人の白鵬は許して、エジプト人の大砂嵐は許さないというのは「人種差別」と取る人だっている。


大体、北の富士はいつまで解説者席にいるつもりだ

 北の富士もすでに74歳。
 耄碌(もうろく)するようなら、NHKの専属解説者を引退してはどうか。
 相撲協会の定年は65歳。
 それと比べたら、長すぎる。1998年から解説をしてきたから、18年にもなる。
 NHKの歴代専属解説者が辞めた年齢は、緒方昇(北の洋)の76歳を例外として、古い順に、
 玉の海70歳、神風61歳、若瀬川70歳、出羽錦74歳となっている。

 公共放送という性格を考えたら、きちんとした定年制を導入すべきではないのか。
 それがないから、北の富士のように、〝根性論〟のような時代錯誤なことをいう解説者が出てくるのだ。
 私には、そう思えてならない。

(城島明彦)

「恋路」(5月15日放送「真田丸」)の茶々と信繁の話は、荒唐無稽すぎる


「真田丸」は、「水戸黄門」「暴れん坊将軍」の線を狙っているのか!?

 NHK大河炉ラマ「真田丸」は、どういう設定にすれば、ドラマが面白くなり、視聴率を稼げるか、という点を最重視している戦略が透けて見える。

 視聴率を上げるためには、歴史的資料には決して出てこない、「実在の人物の名を借りた荒唐無稽な物語」にすることもいとわない。歴史的事実という「制約」を取っ払って、登場人物を作り手の都合のよいように好き勝手に動かすという手法だ。

 そういうドラマづくりで成功したのが、「朝が来た」など一連のNHKの朝ドラ。
 「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」などに代表されるドラマづくりの手法で、「実在の名を借りた荒唐無稽路線」である。

 「真田丸」でいえば、真田信繁(幸村)が竹内結子扮する茶々(のちの淀君)に気に入られ、武具を収納した部屋に二人っきりで籠り、男女の仲を疑われるという設定。
 歴史に詳しくない視聴者は、そういうことが実際にあったのかと思ってしまうところが〝罪つくり〟である。 

 そういう手法を用いれば、主人公は、歴史的に重要な場面のほとんどに直接関わることができる。いってみれば、きわめて安直なドラマづくりなのである。
 

信繁の姉も、面白さを狙って設定

 信繁の姉の設定も、同様だ。
 彼女を崖から飛び降りさせ、死んだと思わせておいて、「実は生きていた」「出雲阿国の一団に紛れ込んでいた」とする一連の設定は、完全なフィクション。
 しかし、こちらは、彼女について細かく記した歴史的資料は存在しないから、生きていた時代さえ合えば、どのように設定しようと自由である。
 茶々であろうが、秀吉であろうが、家康であろうが、現実を無視して真田信繁と親密に関わらせれば、話としては面白くなる。

 極論すれば、本能寺で自害した織田信長が生きていて、織田信繁と会ってあれこれ話をしたというストーリーだって成り立つのである。信長の死骸は見つかっていないとされているのだから、生きている可能性だって否定はできないのだ。

 しかし、信長が生きていたという設定にすると、話がややこしくなるから、そういう設定にはしない。要するに、NHK大河ドラマは、いかに話を面白くするかを念頭に置いた「ご都合主義」なのである。


「出雲阿国(いずものおくに)一座に行方不明の姉がいた」という設定

 視聴者が、NHKの朝ドラにどういう設定を求め、大河ドラマに何を求めているかが、ドラマづくりのキーポイントとなる。

 その点、「真田丸」では、どうすれば話が面白くなるかを第一に考え、「信繁の姉を死んだと見せかけて、歌舞伎の元祖となる阿国(おくに)歌舞伎の創始者である『出雲阿国(いずものおくに)』の一座に紛れ込ませるのがベスト」とNHKないしは脚本家の三谷幸喜は考えたのだ。

私のように「大河ドラマは史実を重視した重厚な演出をしてほしい」と思っている者からすると、「真田丸」の技法は邪道と映る。
 しかし、面白ければ何をやってもいいのだ、と考える視聴者には歓迎されるだろう。

 阿国については、確かなことはほとんどわかっていない。中村村の鍛冶屋の娘だったから、中村姓を名乗っていたとか、出雲大社の巫女をしていたなどとされているが、詳細については不明だ。
 阿国歌舞伎は、女歌舞伎で女が男装もしたので、〝戦国の宝塚〟である。
 出雲神社の神々に奉納する神楽をベースとして、それに念仏踊り、田楽、猿楽といった民衆舞踊がミックスされたと考えられている。

 「文禄年間に出雲阿国を伏見城に招いて歌舞を演じさせた」
と記している古書もあるので、演芸が大好きだった秀吉が、多くの武将らと一緒に阿国歌舞伎を見た可能性は高いが、その一座に行方不明になっていた信繁の姉が混じっていたという可能性はゼロに近いが、そのことを100%否定できる資料もない。
 文禄何年何月に阿国を伏見城に招いたかは不明だから、ドラマがいつに設定しようが問題はない。


問題は「説得力」

 NHKは、彼女を行方不明とする方が劇的に盛り上がると考え、もっと劇的にするには「実は生きていた」、さらに面白くするには「阿国一座に紛れ込んで、信繁の前に現れる」とすれば、話はどんどんエスカレートしていく。

 ドラマ設定の選択肢は一つではないから、彼女が誰かの側室になっていたという設定にしても一向にかまわないのである。たとえば、千利休がこっそり彼女を愛人として囲っていたとしてもいいのだ。
 どういう設定にするかは、話が面白くなるかどうかという演出サイドの判断が基準になる。問題は「説得力」だ。
 ありそうだと思わせる設定や描き方が大事なのだ。
 それを欠くと、視聴者は「そんなバカな」と現実の世界に引き戻され、ドラマを見る気持ちがさめてしまう。


「茶々と信繁が怪しい仲だった」とするのは荒唐無稽

 真田幸村の姉については、詳細な記録が残っていないので、どういう設定にしようが、どのように描こうが、問題はないが、秀吉の第二の正室となる茶々の場合は、出自もはっきりしており、記録も多少は残っているので、そうはいかない。
 
 大河ドラマ「真田丸」では、茶々が信繁を気に入り、大胆にも武器倉庫にしてある部屋で二人きりになり、しなだれかかるという設定になっていた。

 ドラマとして面白くはなるだろうが、荒唐無稽なつくり話である。
 茶々が秀吉の〝第二の正室〟となって秀頼を生むが、それまで秀吉には子どもが生まれなかったことから、秀吉の子ではないと当時、噂になった。

 秀頼は、その顔立ちが猿面冠者といわれていた秀吉とは似ても似つかず、美男の誉れ高かった大野治長(おおのはるなが)にそっくりだという噂が流れ、大野以外にも、石田三成の子ではないかなどという噂も流れていた。

 茶々が淫乱な女であったかどうかはわからないが、秀頼は秀頼の子ではないとする噂は、落書もされるなどして当時の庶民にもよく知られていた話だが、やがて秀吉が死んで秀頼の代になると、徳川家康が豊臣家についている家臣を離反させるために仕組んだ情報戦略の一環として、尾ひれを付させた噂を流させたという見方も根強いのである。

 たとえば、茶々が片桐且元(かたぎりかつもと)の手を握ると、堅物(かたぶつ)だった且元はその手を払いのけたという話などだ。且元は、豊臣家に仕えていたが、家康が政権を握ると徳川についた武将である。


ドラマには3つのパターンがある

 視聴者は、NHKの大河ドラマに何を期待するのか。次の3つのいずれかである。

 ①史実重視 
 信頼できる資料のみを厳選し、歴史的事実をドクメンタリーとして追求する手法。
 判明している事実だけを軸として、人物の動きや発言を創造していくので、面白みに欠けるきらいがあるが、重厚なイメージを与える。
 前述したように、私が望んでいるのは、このパターンである。

 ②史実無視の荒唐無稽劇
 テレビドラマ「水戸黄門」は、実在の人物の名を借りた荒唐無稽な物語。
 「大岡越前守」の一連のドラマも、この範疇に入る。
 8代将軍吉宗が勝手気ままに城を抜け出し、江戸市中で正義の剣を振るうという展開の「暴れん坊将軍」は、現実にはありえない物語だが、エンターテインメント性に富む。

 ③史実+独自解釈+フィクション
 多くのドラマは、このパターン。
 独自解釈やフィクションの部分を多くし過ぎて、ご都合主義に走り、視聴者の共感が得られなくなる危険性もある。

 (自己PR)
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(城島明彦)

〝土俵上の素行の悪さ〟で歴代一位! 崇高さに欠ける〝哀(かな)しい横綱〟白鵬


白鵬は「横綱相撲」という言葉がわかっていない

 親方と喧嘩して引退させられた横綱北尾の「素行の悪さ」は、土俵の外だった。
 暴力沙汰を起して引退に追い込まれた朝青龍の「素行の悪さ」も、土俵の外だった。

 だが、白鵬の「素行の悪さ」は土俵上である。
 「ダメ押しはダメだ」と再三注意されても、一向に改めるそぶりはなく、そして遂には、審判部の親方が、ダメを押されて土俵下に転落した力士の下敷きになって重傷を負うという不祥事を招き、厳重注意された。

 普通の人間なら二度としないはずだが、白鵬は違う。対戦相手琴勇輝を押し出した後、戻っていく琴勇輝の背中を両手でポンとついた。
 そういうことをする必要がないし、そういうことをする場面でもない。
 稽古場ならよくあることで済まされるが、前々日にも勝負が決まった後、相手を押しており、改める意思がないと考えるしかない。

 8日目の相撲内容も、〝白鵬の定番〟の「張り差し」と思わせたが、そうではなかった。
 張り差しと見せかけて、左手を琴勇輝の顔の前に突き出すという〝音のしない片手の猫だまし〟のような奇策を繰り出した。

〝猫だまし〟は、相手の顔面で両手を叩いて相手がびっくりしたすきをついて、先手を取るという奇策だが、これも横綱が使う手ではない。

 左手を顔の前に突き出しながら、右腕をL字型にまげて「かち上げ」にいった。
 この取り口を見た観客は、勝負がついた後、激しいブーイングを発した。
 数々の大記録を塗り替えた大横綱が、やるべき手ではないとい非難の声である。

 白鵬は、「横綱相撲」という言葉がわかっていないのではないか。

 この日はNHKの解説の舞の海も、横綱としてのありようについて苦言を呈していたが、これからもどんどん厳しくいうべきである。

 白鵬が、これから先、そうような大横綱にふさわしくない相撲で、いくら勝ちまくったとしても、横綱としての評価は下がっていくだけだ。


白鵬に欠けているのは、「心技体」の「心」

 「心技体」を極めたと認められた力士が、横綱である。
 しかし白鵬は、ただ勝つということだけのための「技」を駆使しているだけであって、横綱にふさわしい「技」の極致には達していないのである。
 「技の極致」に到達できないのは、「心」の一部が欠けているからだ。

「相撲道(すもうどう)とは何か」
 ということがわかっては初めて、心技体の充実する努力が実を結ぶ。

 双葉山や大鵬が偉大な大横綱として語り継がれているのは、優勝回数や勝ち星の多さだけではない。
 大横綱にふさわしい立派な土俵態度だったからだ。
 彼らにファンは「相撲道」を見たからだ。
 横綱は、ただ勝てばいいのではない。勝ち方が問題なのだ。
 取り口が問題なのだ。受けて立っても、堂々と勝つ。

 その点、白鵬は、「横綱相撲」という言葉は知っていても、その言葉が意味するものがわかっていない。「相撲道」というものがわかっていない。
 わかっていたら、あれだけの立派な体格をしていながら、連日のように下位相手に「張り差し」にいったり、「かち上げ」にいくような、あざとい攻め方はしないはずだ。

 相手の顔を張らなければ、相撲を取れないのか!?

 少なくとも心ある相撲ファンからは。そう思われている。

 その点、先場所あたりからの稀勢の里は、どっしりとした、まるで横綱相撲のような取り口が増え、
 「変わった!」 そんな印象を観客に与え、
 「相撲道に開眼したのではないか」
 と思わせて多くの人を感動させている。

 白鵬に求められるのは、これである。
 
 (城島明彦)

2016/05/12

『五輪書』の宮本武蔵(真剣勝負に60数戦して無敗!)は、どこがどう凄かったのか


なぜ『五輪書』と名づけたのか――『五輪書』に込められた深い意味

 Eテレ「100分de読書」が、5月の名著として『五輪書』を取り上げているので、この機に乗じて、拙訳本(いつか読んで見たかった日本の名著シリーズ『五輪書』 到知出版社)の宣伝も兼ねて、少し書いておく。

〝剣聖〟宮本武蔵の遺書ともいうべき『五輪書』(ごりんのしょ)は、古代中国の「五行思想」に端を発する「地・水・火・風・空」(ち・すい・か・ふう・くう)になぞらえた五巻(五章)で構成され、そう名づけた理由が冒頭に説明してある。

 わが二天一流の兵法の道を五つに分け、一巻ごとにその精髄を教授すべく、「地」「水」「火」「風」「空」の五巻にして以下に書き記すのである。

 どういう理由で、「地・水・火・風・空」と名づけたかを、それぞれの巻の冒頭で説明している。拙訳本から流用する。


「地の巻」とは

 最初の「地の巻」では、兵法の道の概略、および、わが二天一流の見方や考え方を解き明かしている。道づくりにたとえるなら、まず地面を平らにならし、その上に石を敷きつめてしっかり基礎固めをする。そういった意味合いで、わたしは第一巻を「地の巻」と名づけたのだ。


「水の巻」とは

 第二巻は「水の巻」である。生命の源である水を兵法の手本とし、心を水にするのである。
 水の出発点はたった一滴のしずくだが、それが集まってやがては大海原となる。
 そんな水の、青く美しい色や清らかに澄んださまを心に強く宿しながら、わが二天一流の兵法を「水の巻」に書き記すのである。


「火の巻」とは

 わが二天一流の兵法では、戦いを火になぞらえ、「合戦・勝負の心得」を「火(か)の巻」として、この巻に書き記すものである。


「風の巻」とは

 わが二天一流以外の他流派の兵法の道をしることの意義と、他の諸流派の兵法の特徴などを「風の巻」として、この巻き物に書き示す。


「空の巻」とは

 「二天流」あるいは「二刀一流」と呼ぶわが兵法の道を、ここに「空の巻」と名づけ書き記す。
 「空」というのは、「物事が何もないところ」を意味し、「形として目で認知できないこと」を「空」に見立てるという考え方である。

 武士として兵法を確実に習得し、その他の武芸にもよく励み、武士道にも精通して、心に迷いなどなく、常に怠ることなく「心(しん)」(重い心である「智力」)と「意」(軽い心である「気力」)の二つの心を磨き上げ、「観(かん)」と「見(けん)」の二つの眼を研ぎ澄ますことで、一点の曇りもなく迷いが晴れたら、そのときこそが真の空であると知るべきである。


「五輪」とは何か

 「五輪」の意味を、拙訳本の「あとがき」から、以下に流用する。

 『五輪書』の「五輪」は宇宙を表している。
 仏教では、宇宙を構成する「地・水・火・風・空」を「五大」あるいは「五輪」と呼んでおり、地は黄、水は白、火は赤、風は黒、空は青で表すことが多い。神社仏閣にある五色幕(ごしきまく)がそれだ。

 五色幕は、「五つの智慧」を表している。
 五つの智慧は、『五輪書』では、「智力」という言葉で表現され、何度も出てくるが、これは「知恵」の知ではなく、仏教用語の「智」であり、「五つの智慧の力」を意味している。
 このことからも、『五輪書』が単なる武芸指南書を超えたもっと奥深いものを志向する意図があったと読み解ける。

 五輪は、「地・水・火・風・空」を象徴する目に見える「五つの形」で示され、それを積み重ねたのが「五輪の塔」と呼ばれる供養塔・墓石で、次の順に石が積み重ねられる。
 空(宝珠)・風(半月)・火(三角)・水(円)・地(方形)。


武蔵は、なぜ「独創的な二刀流」を発案できたのか

 宮本武蔵は、伊賀の鎖鎌(くさりがま)の名手・宍戸梅軒(ししどばいけん)と戦っていて、太刀に鎖を巻き付けられたときに、刀身の短い脇差しをとっさに抜いて、手裏剣のように梅軒の心臓めがけて投げて起死回生の勝利を得、そのときに二刀流が有効だと気づいたとされている。

 鎖鎌というのは、「鎌の柄の下部に分銅をつけた鎖をつないだ特殊な武具」だ。
 資料では「宍戸」としかわかっておらず、「梅軒」は、吉川英治が小説の中で創造した名である。

 武蔵が宍戸梅軒を倒す場面は、『二天記』(にてんき。武蔵の死から131年後に細川藩の家老が書い伝記)には、こう記されている。

 「宍戸、鎌を振り出すところを、武蔵短刀(脇差のこと)を抜き、宍戸が胸を打ち貫き、立ち所に斃(たお)れしを進んで討ち果たす」
 流浪の身だった晩年の宮本武蔵を客分として召し抱え、遇したのは、細川忠利だったから、この本に書かれていることは、おおむね、信用してよいと判断できる。


武蔵は「極めつけの理論家」だった

 武蔵は、無類の理論家である。
 ふだんから理詰めで考える修練を積んでおり、それがとっさの場面で、自然に出た。大相撲で、万事休しながら土俵際で大逆転の技を出せる力士が「稽古の賜物」といわれるのと同じだ。

 武蔵は、長身・怪力・俊敏だったから、両刀を自由に操れた。
 武蔵の二刀流「二天一流」という流派が普及しなかったのは、左右の腕力の強いことを求められたため、該当者が少なかったからでもある。

このことからもわかるように、宮本武蔵は「既成概念」や「固定概念」にとらわれず、独創的な考え方・戦い方をして、60戦無敗という驚異の戦績を残したのだ。


武蔵は「非凡な戦力分析家」だった

大勢が相手か、少人数が相手か、一対一かによって、戦い方を自在に変えて、相手に的を絞らせなかった。すべて計算づく。
敵が大勢であれば、勢力を分散させ、一人また一人と片付けていった。


武蔵は「心理分析の達人」だった

 宮本武蔵は、「心理分析」に優れ、敵の動揺を誘って戦意を削ぎ、陣営を混乱へ導いた。
 吉岡道場の大勢の敵を相手にしたときは、〝道場の神輿〟だった跡取りの小さな子どもを情け容赦なく、真っ先に切り殺して敵を動揺させた。
 蜂は、女王蜂を殺されると巣のなかが大混乱に陥るが、それと同じ効果を武蔵は狙ったのだ。

 吉岡道場一門と戦った「一乗寺の決闘」では、相手は多勢。戦場は泥田である。
 武蔵は、『五輪書』にあるように、泥田を走り回って、敵の勢力を分散させ、少しずつ片付けたのだ。
 武蔵は、「風の巻」で、こういっている。拙訳本から流用する。
 
 「ことに兵法の道においては、速いことはよくない。というのも、たとえば沼地・湿地などのように、体や足をスピーディーに動かしにくい場所もあるからだ。
 そういうところでは、太刀で速く斬ることはなおさら難しくなる。速いスピードで敵を斬ろうと考えて、小手先だけで太刀をふるっても、扇や小刀のようにはいかないから、少しも斬れないものなのである。そのことをわきまえるように


「殺さなければ、自分が死ぬ」という究極の剣法

はぐらかす。じらす。タイミングをわざとはずす。敵のリズムを狂わせる。相手の度肝を抜く。

 武蔵の編み出した「二天一流の戦法」は、「正々堂々」という言葉とは対極にある。
 卑怯といわれようが、武士の風上におけないなどと誹謗中傷されようが、一向に意に介さない。

 「殺(や)るか殺(や)られるか」「生きるか死ぬか」という真剣勝負だからこそ、敵の裏をかく「心理作戦」や「謀略」が必要だったのだ。


佐々木小次郎との「巌流島の戦い」

 佐々木小次郎との「巌流島の戦い」が、武蔵流憲法の典型。
 ①試合時間にわざと大幅に遅れて、相手をいらだたせた。
 ②剣を使わず、舟の櫂(かい)を削って木刀にした。
 ③しかも、「物干しざお」と呼ばれる小次郎の刀よりさらに長めにして、小次郎を驚かせた。怪力だったからこそ編み出せた戦法である。
 ④海を背にして立ち、小次郎がまぶしがるようにした。

 敵を不利な場所へ追い込んで、もてる力を十分に発揮させないようにし、その分、自分に有利になる状況をつくりだしたのである。

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(城島明彦)

白鵬、〝ゲス横綱〟の本領発揮! 今度は、熊本出身の正代の顔を20センチもひっかく〝蛮行〟だ!


大横綱にふさわしい勝ち方が、なぜできぬ
 
 白鵬は、頭がおかしいのではないか。
 乱暴すぎる。いきなり張り手だ。
 張り飛ばさなくても、一気に押し出すとか、組んだ瞬間、投げ飛ばすとか、最強横綱にふさわしい豪快な手で、なぜ勝とうとしないのか。

 対戦相手の正代は、軽い脳震とうを起したらしく、ふらっとし、そのまま押し出された。
 正代は、押し出された後も、ふらついている様子に見えた。

 ところが、「デイリースポーツ」の電子版の記事を見て、驚いた。

 《結びの一番で横綱白鵬(宮城野)に初挑戦した東前頭2枚目正代(時津風)は土俵外に一気に押し出され、4連敗となった。立ち合いで張りを食らった左頬には20センチほどのひっかき傷ができ「口の中が切れている」と痛々しい表情。「張りで重心が横にいくほどの強い衝撃だった」と肩を落とした。》(下線、城島)

 ひっかき傷ができていた。
 それも、20センチだ!?
 NKHの相撲中継では、ここまではいわなかった。
 
 爪を研いででもいない限り、そんな大きなひっかき傷などできるはずがない。

 同じ勝つのでも、勝ち方というものがある。
 横綱ともなれば、なおのことだ。
 白鵬には、そういうことがわからないらしい。

 横綱が、相手力士の顔をひっかく! そんな例が過去にあったろうか。

 白鵬がひっかいたのは、正代の頬だけではない。
 正代は、大地震の被災地・熊本県宇土市出身だ。
 被災地の人たちの気持ちをも、逆なでするようにひっかいたのだ。

 大記録保持者の大横綱にあるまじき〝蛮行〟である。
 いい加減に目覚めたらどうか。

 (城島明彦)

2016/05/09

「100分de名著」が取り上げた宮本武蔵『五輪書』の現代語訳本の巧拙について、ひとこと


誰のために現代語訳しているのか

 NHK Eテレ(旧教育テレビ)の「100分de名著」(25分×4回/午後10:25~)が、宮本武蔵の兵法書『五輪書』を5月の本として取り上げたので、この機会にと思って、『五輪書』の原典や現代語訳に関心を持った人も多いのではないだろうか。
 
 現代語訳は、これまでにたくさん出ており、私も2012年12月に到知出版社の「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」の一冊として上梓し、おかげさまで版を重ねている。

 私が『五輪書』の現代語訳を手がけるときに、一番気をつかったのは、誰が読んでもよくわかるような文章にすることだった。

 そこで、参考のために、何冊か先達の現代語訳にも目を通したのだが、現代人としては「意味不明」としか思えない言葉や言い回しの原文を、そのまま流用して現代語訳としている不親切きわまりない本が何冊もあり、しかも、そういう箇所が数え切れないほどあって驚いた。

 例えば、最も信頼すべき講談社学術文庫『五輪書』の著者鎌田茂雄元東大教授の場合。
 「地之巻」の「兵法の拍子」の項の原文(一部)は、次のようになっている。

 兵法の戦(たたかひ)に、其敵其敵(そのてき、そのてき)の拍子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもつて、空(くう)の拍子を知恵の拍子より発して勝つ所なり。 

 この文章を一般人が普通に読んだとすれば、まず頭を駆け抜ける疑問は、

 「拍子」って何!?
 「空に拍子」とか「知恵の拍子」って何だろう!?
 

 ということではなかろうか。

 「拍子」の意味については後述するので、まず「空の拍子」「知恵の拍子」について述べる。
 ほとんどの読者は、「空に拍子」「知恵の拍子」とは何のことかよくわからないはずである。
 ところが、鎌田訳は、次のようになっている。

 戦闘においては、敵の拍子を知り、敵の思いもかけぬ拍子をもって空の拍子を知恵の拍子より発して勝ち得るのである。

 何ら現代語訳になっていないのだ。
 こんなことが許されるのか、と思いながら、私は、次のように訳した。

 兵法を駆使した戦いでは、その折々の敵の拍子を知り、敵の意表をつく拍子を意識して目には見えない「空なる拍子」をわが二天一流の兵法の智略で生み出して相手に勝つのである。

 私の後に出た本で、似たような現代語訳をしている本があったら、それは(偉そうな言い方になるが)間違いなく、私の訳を真似している。私以前に、こういう風に訳している本はなかったのだから。


読後に「騙された」と思わない本を買うこと

 この項目で初めて出てくる「拍子」ということについては、この項の最初の一文を、私は次のように現代語訳した。

 どんな物事にも「拍子(呼吸、リズム、タイミング)」というものがあるが、なかでも「兵法の拍子」は、鍛錬していないと体得するのは難しい。
 この原文は、こうなっている。

 物事に付け、拍子は有る物なれども、とりわき兵法の拍子、鍛錬なくては及びがたき所也。


 鎌田訳は、どうなっているかというと、

 どんな物事についても、拍子があるものであるが、とくに兵法では拍子の鍛錬なしには達し得ないものである。

 文章としてはよくわかるが、肝心の「拍子」についての説明がない。『五輪書』の現代語訳本は、この手の雑な本がほとんどである。
 「拍子」という言葉は現代でも使われているから説明する必要はないと考えたのかもしれないが、それでは不親切、というのが私の考え方である。

 『五輪書』に限らず、いっぱい出ている本をすべて軽く飛ばし読みするなどして読み比べてから購入するのが理想だが、現実的には難しい。
 著名な著者だからわかりやすいというわけではなく、買った後で失望しないようにしないといけない、ということだ。

 (城島明彦)

「100分de名著」が取り上げた『五輪書』no現代語訳の巧拙について,、ひとこと

誰のために現代語訳しているのか

 NHK Eテレ(旧教育テレビ)の「100分de名著」(25分×4回/午後10:25~)が、宮本武蔵の兵法書『五輪書』を5月の本として取り上げたので、この機会にと思って、『五輪書』の原典や現代語訳に関心を持った人も多いのではないだろうか。
 
 現代語訳は、これまでにたくさん出ており、私も2012年12月に到知出版社の「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」の一冊として上梓し、おかげさまで版を重ねている。

 私が『五輪書』の現代語訳を手がけるときに、一番気をつかったのは、誰が読んでもよくわかるような文章にすることだった。

 そこで、参考のために、何冊か先達の現代語訳にも目を通したのだが、現代人としては「意味不明」としか思えない言葉や言い回しの原文を、そのまま流用して現代語訳としている不親切きわまりない本が何冊もあり、しかも、そういう箇所が数え切れないほどあって驚いた。

 例えば、最も信頼すべき講談社学術文庫『五輪書』の著者鎌田茂雄元東大教授の場合。
「地之巻」の「兵法の拍子」の項の原文(一部)は次のようになっている。

 兵法の戦(たたかひ)に、其敵其敵の拍子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもつて、空(くう)の拍子を知恵の拍子より発して勝つ所なり。 

 この文章を一般人が普通に読んで、まず頭を駆け抜ける疑問は、

 「拍子」って何!?
 「空に拍子」とか「知恵の拍子」って何だろう!?
 

 ということではなかろうか。

 「拍子」については後述するので、まず「空の拍子」「知恵の拍子」について述べる。
 ほとんどの読者は、「空に拍子」「知恵の拍子」とは何のことかよくわからないはずである。
ところが、鎌田訳は、次のようになっている。

 戦闘においては、敵の拍子を知り、敵の思いもかけぬ拍子をもって空の拍子を知恵の拍子より発して勝ち得るのである。

 何ら現代語訳になっていないのだ。
 こんなことが許されるのか、と思いながら、私は、次のように訳した。

 兵法を駆使した戦いでは、その折々の敵の拍子を知り、敵の意表をつく拍子を意識して目には見えない「空なる拍子」をわが二天一流の兵法の智略で生み出して相手に勝つのである。

 私の後に出た本で、似たような現代語訳をしている本があったら、それは(偉そうな言い方になるが)間違いなく、私の訳を真似している。私以前に、こういう風に訳している本はなかったのだから。


読後に「騙された」と思わない本を買うこと

 この項目で初めて出てくる「拍子」ということについては、この項の最初の一文を、私は次のように現代語訳した。

 どんな物事にも「拍子(呼吸、リズム、タイミング)」というものがあるが、なかでも「兵法の拍子」は、鍛錬していないと体得するのは難しい。
 この原文は、こうなっている。

 物事に付け、拍子は有る物なれども、とりわき兵法の拍子、鍛錬なくては及びがたき所也。


 鎌田訳は、どうなっているかというと、

 どんな物事についても、拍子があるものであるが、とくに兵法では拍子の鍛錬なしには達し得ないものである。

 文章としてはよくわかるが、肝心の「拍子」についての説明がない。『五輪書』の現代語訳本は、この手の雑な本がほとんどである。
 「拍子」という言葉は現代でも使われているから説明する必要はないと考えたのかもしれないが、それでは不親切、というのが私の考え方である。

 『五輪書』に限らず、いっぱい出でている本をすべて飛ばし読みするなどして読み比べてから購入するのが理想だが、現実的には難しい。
 著名な著者だからわかりやすいというわけではなく、買った後で失望しないようにしないといけない、ということだ。

 (城島明彦)

2016/05/04

ドラマを面白くするためなら嘘も平気の「真田丸」(第17回「再会」)――秀吉と家康の猿芝居「陣羽織所望」の打ち合せ場面に、真田信繁はいなかった!


その場にいた四人の中に信繁の名は記されていない

 秀吉は、上洛を拒み続けている徳川家康を取り込むために、既婚者の妹(朝日姫)を離婚させて家康の後妻(継室)として縁戚関係を結ぶと、続いて母親(大政所)を人質として送り込み、上洛させることに成功するが、秀吉が本領を発揮するのは、その後。
 
 家康が秀吉に屈した姿を、大阪城に集まった戦国大名たちに見せるために、一芝居打ったのだ。
 これが、映画やドラマでは面白おかしく描かれる有名な「家康が秀吉の陣羽織を所望する話」で、NHK大河ドラマでは5月1日放送の「再会」の中で描かれた。

 そのエピソードは、江戸幕府の正史『徳川実紀』(『東照宮御実紀』)の「附録巻五」に記された話がもとになっているが、「できすぎている」として「つくり話」ではないかとする見方が強いが、〝人たらし〟といわれる秀吉と〝狸おやじ〟と呼ばれる家康なら、いかにもありそうな話ではある。
 以下のエピソードは、『徳川実紀』をわかりやすい現代語にし、少しばかり小説風にしてあるが、記されていないことは書いていない。。


○エピソード1

 家康は上洛し、茶屋四郎次郎の屋敷を旅館とした。
 秀吉は、上洛を喜んで、まず使いを寄越し、夜になると人目を忍んで秀吉自らやってきて、家康と対面したので、それまで胸の中で思っていた心配事は霧散した。家康が、こんなことをいったからだ。
 「このたび、徳川殿をはるばるここまでお迎えに参ったのは、秀吉を天下人たらしめんことを頼みまいらすためでござる」
 その言葉を聞いて、家康は驚き、
 「御身は、まさしく天下人となっておられながら、どういうわけで、そのように宣われるのか」
 と尋ねた。
 すると秀吉は、
 「いや、そのことでござる。秀吉、今、位人心を極め、その勢いは天下をなびかせるといえども、その始まりはといえば、松下の草履取りをしていた下僕にすぎませなんだ。そして織田(信長)殿に取り立てられた経緯は、誰もがよく知っておること。それで天下の諸大名も、表立っては敬服してはいるが、内心では侮(あなど)っている者が少なくはござらん。そこで、明日、貴殿と対面するときに、御心がまへして給はるべし」
 何を言い出すのかと家康が思っていると、秀吉は続けた。
 「秀吉に天下統一をなさしめるのは、徳川殿の御心一つにかかっておりまする。貴殿とは、いま、固く結ばれた仲となった。このように上洛までしてくださったからには、決して悪いようにはいたしませぬ」


○エピソード2

 いままでこの話は誰にもしたことがないといって、家康が語ったのが次のエピソードである。
 家康が、茶屋四郎次郎の屋敷にいると、
 「秀長の屋敷で、朝食の御膳を差し上げたい」
 といって迎えが来た。
 家康が出かけていくと、予定外の秀吉も顔を出した。
 秀吉の服装は、白の陣羽織で、裏地が紅梅。陣羽織の襟と袖には、赤地に唐草の刺繍がしてあった。
 食事が終わって、秀吉が席を立つと、秀長と浅野長政がひそかに家康に告げた。
 「あの陣羽織をご所望なさいませ」
 秀長と浅野長政は、
 「あれは、鎧(よろい)の上に着る陣羽織なので、このたび徳川家と和議が結ばれ、平和が訪れたからには、強いてご所望いただき、『この後、殿下には御鎧をお着せまいらすまい』と徳川殿がおっしゃれば、関白殿下がどれほど喜悦なさることか」
 なるほど、そういうことかと家康は頷き、その申し出を承諾した。
 朝食が終わると、家康は秀吉と一緒に大阪城へと向かった。
 
 名だたる諸大名が居並ぶ中、秀吉がいった。
 「毛利殿、浮田殿をはじめ、諸大名の方々、お聞きくだされ。われは、母に早く会いたいと思うので、徳川殿を明日、国へお返しする」
 そういって家康に顔を向けると、
 「今日は特に寒い。小袖を重ねられよ。この城中にて、小袖を一幅まいらせ、馬のはなむけ(餞別)としたい。肩衣(かたぎぬ)をお脱ぎなされ」
 その言葉を待っていたかのように、秀長と浅野長政が家康のそばに寄ってきて、家康の肩衣を脱がせた。
 それを合図に、家康がいった。
 「殿下がお召しのその御羽織をそれがしに賜りたいと存じまする」
 秀吉は、頭(こうべ)を横に振る。
 「これは、わが陣羽織なり。貴殿にまいらすこと、かなわじ」
 家康は、
 「君の御陣羽織とうけたまわれば、なおさら拝受願うなり。家康がこのように申し上げるのは、もう二度と殿下に御物具(よろいかぶと)は着させまいとの思いからでござります」
 秀吉は、えらく喜んで、
 「ならば、まいらせん」
 といって、自ら脱ぎ、自ら家康に着せて、並み居る諸大名に向かって、こういったのである。
 「ただ今、家康殿が秀吉に物具させじといわれた一言を、おのおの方、聞かれたろう。秀吉は、よき妹婿を取った果報者よ」


○エピソード3

 翌年、駿府で、家康が井伊直政、本多正信の両名に次のように語った。
 「去年、秀吉が我に陣羽織を所望させたのは、家康の一言で四国・中国の者を鎮服させようとの魂胆である。それから十日も経ずして、四国・中国はそのとおりになった」


○エピソード4

 またあるとき、家康はこういった。
 「わしが上洛せしとき、秀吉がひそかに旅館にやって来て、わしに向かって三度まで拝礼した。そのことを知っているのは、秀長、浅野長政、加々爪(かがづめ)某、茶屋四郎次郎だ。この四人には他言せぬように誓紙させた

 これら四名の名前は『続武家閑談』が初出であることが『徳川実紀』(附録巻五)からわかる。そこに書かれた加々爪某というのは、家康の家臣だった加賀爪(加々爪)政尚(かがづめまさなお)である。
 つまり、家康を護衛していたのは、この男ということだ。真田信繁の名は、出てこない。


歴史的資料を無視する〝ご都合主義〟

 NHK大河ドラマ「真田丸」では、真田信繁(幸村)が〝猿芝居〟の打ち合わせの場にいたように描いているが、信繁の名前はどこにも出てこない。
 
 ドラマの展開を面白くするために、主人公を歴史的な出来事に絡ませようとするのは、いつものNHK大河ドラマの手法。『江戸~姫たちの戦国』では、本能寺の変が起こったときに堺で遊んでいた家康が、明智光秀から逃れる「伊賀越え」に主人公の江姫を同行させるという、でたらめなことをやっていた。

 ドラマだからいいじゃないか、という人もいるかもしれないが、主人公を活躍させるために、その場にいもしないのに、そこに登場させるということを繰り返すなら、極端な言い方をすれば、真田信繁を女にしてもいいという理屈になる。
 
 嘘を平気で貫くのなら、城も適当につくればいいじゃないか、登場人物の衣装や髷(まげ)なども、得体のしれない風にしてもいいではないか、となりはしまいか。
 
 SF物ならいざ知らず、歴史的資料でわかっていることを、無理にねじまげて、嘘八百をでっちあげることでドラマを面白くしようとする安易な演出方法は、いかがなものか。
 それを世間では〝ご都合主義〟という。
 
 いくらドラマとはいえ、NHKが大金かけてやる歴史ドラマである以上、それにふさわしい「虚実の説得力」というものが備わっていているべきではないのか。

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(城島明彦)

1111111番目の訪問者は誰?


百十一万千百十一=111万1111=1,111,111

 本ブログのアクセスカウンターの数字が、あと数日で、
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 ゾロ目もゾロ目。1が7桁だ。
 幸運な数字を見られるのは、どこの誰?
 
 その人に、いいことがありますように!

 (城島明彦)

2016/05/01

連休、ベリー・マッチ! 


毎度、ばかばかしい熊五郎と八兵衛のお話

  季節は春。連休に突入して、世間は「のんびりモード」でございます。
  熊五郎と八兵衛、例によって、おかしな会話を始めましたぞ。
 熊五郎「連休はありがたいですな。骨休めできますからな」
 八兵衛「いやいや、それは若い人の話。われわれ年寄は、そうはいきませんぞ」
 熊五郎「と申しますと」
 八兵衛「何しろ、骨がスカスカ、ボロボロのスカボロフェアになっておりますからな」
 熊五郎「サイモンとガーファンクルですか、懐かしいじゃありませんか」
 八兵衛「紅茶にクリープ、コーヒーはサイフォンに限りますな」
 熊五郎「私の場合、アイフォンが使いこなせないもので、もっぱら柴門(さいもん)ふみの漫画を読んでおります」
 八兵衛「細川ふみえ、踏み絵といえば、天草四郎と伴天連(バテレン)の島原の乱」
 熊五郎「転びバテレン、棄教というやつですな」
 八兵衛「『帰郷』、獅子文六(ししぶんろく)ですな。読みました。映画も見ました」
 熊五郎「見ましたか、秋の七草。萩(はぎ)、尾花(おばな)、女郎花(おみなえし)、葛(くず)、撫子(なでしこ)、藤袴(ふじばかま)。そして、桔梗(ききょう)ですな、桔梗」
 八兵衛「秋の七臭(くさ)といえば、芋食ってプー、豆食ってピー、梨食ってブ~、柿食ってスカッ、アケビ食ってプスッ、ラッキョ食ってピー、ショウガ食ってブリッ、ですな」
 熊五郎「くさっ、久坂玄瑞(くさかげんずい)、幕末の志士」
 八兵衛「負けられません、勝つまでは」
 熊五郎「戦時中のスローガンですか。われらも、頑張らないといけませんな」
 八兵衛「ボケられません、死ぬまでは!」
 熊五郎「ここいらで奮起して、体でも鍛えますか」
 八兵衛「連休、ベリー・マッチ! というわけですな」
 熊五郎「それをいうなら、連休、ベリー・マッチョ! だ」

 
※追記
 この話をアップしたのは、5月1日(日)の午前10時29分(記録にも残っている)だったが、その日の夕方、午後5時半から放送された「笑点」のオープニング直後に、三遊亭円楽が挙手し、「連休、ベリー・マッチ!」といったのには驚いた。まさか、このブログを読んでいたのか? と思ったが、よく考えれば、このギャグは誰でも思いつくレベルであり、テレビのCMで使われている「電球、ベリー・マッチ!」の二番煎じのようなもの。
 どうでもいい話ではあるが、「『連休、ベリーマッチ!』は、円楽がいう前に私がブログに書いている」、もっと露骨にいえば、「私がマネたのではなく、円楽がマネた」と少々自慢したい気分から追記することにした。

 (城島明彦)

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