『五輪書』の宮本武蔵(真剣勝負に60数戦して無敗!)は、どこがどう凄かったのか
なぜ『五輪書』と名づけたのか――『五輪書』に込められた深い意味
Eテレ「100分de読書」が、5月の名著として『五輪書』を取り上げているので、この機に乗じて、拙訳本(いつか読んで見たかった日本の名著シリーズ『五輪書』 到知出版社)の宣伝も兼ねて、少し書いておく。
〝剣聖〟宮本武蔵の遺書ともいうべき『五輪書』(ごりんのしょ)は、古代中国の「五行思想」に端を発する「地・水・火・風・空」(ち・すい・か・ふう・くう)になぞらえた五巻(五章)で構成され、そう名づけた理由が冒頭に説明してある。
わが二天一流の兵法の道を五つに分け、一巻ごとにその精髄を教授すべく、「地」「水」「火」「風」「空」の五巻にして以下に書き記すのである。
どういう理由で、「地・水・火・風・空」と名づけたかを、それぞれの巻の冒頭で説明している。拙訳本から流用する。
「地の巻」とは
最初の「地の巻」では、兵法の道の概略、および、わが二天一流の見方や考え方を解き明かしている。道づくりにたとえるなら、まず地面を平らにならし、その上に石を敷きつめてしっかり基礎固めをする。そういった意味合いで、わたしは第一巻を「地の巻」と名づけたのだ。
「水の巻」とは
第二巻は「水の巻」である。生命の源である水を兵法の手本とし、心を水にするのである。
水の出発点はたった一滴のしずくだが、それが集まってやがては大海原となる。
そんな水の、青く美しい色や清らかに澄んださまを心に強く宿しながら、わが二天一流の兵法を「水の巻」に書き記すのである。
「火の巻」とは
わが二天一流の兵法では、戦いを火になぞらえ、「合戦・勝負の心得」を「火(か)の巻」として、この巻に書き記すものである。
「風の巻」とは
わが二天一流以外の他流派の兵法の道をしることの意義と、他の諸流派の兵法の特徴などを「風の巻」として、この巻き物に書き示す。
「空の巻」とは
「二天流」あるいは「二刀一流」と呼ぶわが兵法の道を、ここに「空の巻」と名づけ書き記す。
「空」というのは、「物事が何もないところ」を意味し、「形として目で認知できないこと」を「空」に見立てるという考え方である。
武士として兵法を確実に習得し、その他の武芸にもよく励み、武士道にも精通して、心に迷いなどなく、常に怠ることなく「心(しん)」(重い心である「智力」)と「意」(軽い心である「気力」)の二つの心を磨き上げ、「観(かん)」と「見(けん)」の二つの眼を研ぎ澄ますことで、一点の曇りもなく迷いが晴れたら、そのときこそが真の空であると知るべきである。
「五輪」とは何か
「五輪」の意味を、拙訳本の「あとがき」から、以下に流用する。
『五輪書』の「五輪」は宇宙を表している。
仏教では、宇宙を構成する「地・水・火・風・空」を「五大」あるいは「五輪」と呼んでおり、地は黄、水は白、火は赤、風は黒、空は青で表すことが多い。神社仏閣にある五色幕(ごしきまく)がそれだ。
五色幕は、「五つの智慧」を表している。
五つの智慧は、『五輪書』では、「智力」という言葉で表現され、何度も出てくるが、これは「知恵」の知ではなく、仏教用語の「智」であり、「五つの智慧の力」を意味している。
このことからも、『五輪書』が単なる武芸指南書を超えたもっと奥深いものを志向する意図があったと読み解ける。
五輪は、「地・水・火・風・空」を象徴する目に見える「五つの形」で示され、それを積み重ねたのが「五輪の塔」と呼ばれる供養塔・墓石で、次の順に石が積み重ねられる。
空(宝珠)・風(半月)・火(三角)・水(円)・地(方形)。
武蔵は、なぜ「独創的な二刀流」を発案できたのか
宮本武蔵は、伊賀の鎖鎌(くさりがま)の名手・宍戸梅軒(ししどばいけん)と戦っていて、太刀に鎖を巻き付けられたときに、刀身の短い脇差しをとっさに抜いて、手裏剣のように梅軒の心臓めがけて投げて起死回生の勝利を得、そのときに二刀流が有効だと気づいたとされている。
鎖鎌というのは、「鎌の柄の下部に分銅をつけた鎖をつないだ特殊な武具」だ。
資料では「宍戸」としかわかっておらず、「梅軒」は、吉川英治が小説の中で創造した名である。
武蔵が宍戸梅軒を倒す場面は、『二天記』(にてんき。武蔵の死から131年後に細川藩の家老が書い伝記)には、こう記されている。
「宍戸、鎌を振り出すところを、武蔵短刀(脇差のこと)を抜き、宍戸が胸を打ち貫き、立ち所に斃(たお)れしを進んで討ち果たす」
流浪の身だった晩年の宮本武蔵を客分として召し抱え、遇したのは、細川忠利だったから、この本に書かれていることは、おおむね、信用してよいと判断できる。
武蔵は「極めつけの理論家」だった
武蔵は、無類の理論家である。
ふだんから理詰めで考える修練を積んでおり、それがとっさの場面で、自然に出た。大相撲で、万事休しながら土俵際で大逆転の技を出せる力士が「稽古の賜物」といわれるのと同じだ。
武蔵は、長身・怪力・俊敏だったから、両刀を自由に操れた。
武蔵の二刀流「二天一流」という流派が普及しなかったのは、左右の腕力の強いことを求められたため、該当者が少なかったからでもある。
このことからもわかるように、宮本武蔵は「既成概念」や「固定概念」にとらわれず、独創的な考え方・戦い方をして、60戦無敗という驚異の戦績を残したのだ。
武蔵は「非凡な戦力分析家」だった
大勢が相手か、少人数が相手か、一対一かによって、戦い方を自在に変えて、相手に的を絞らせなかった。すべて計算づく。
敵が大勢であれば、勢力を分散させ、一人また一人と片付けていった。
武蔵は「心理分析の達人」だった
宮本武蔵は、「心理分析」に優れ、敵の動揺を誘って戦意を削ぎ、陣営を混乱へ導いた。
吉岡道場の大勢の敵を相手にしたときは、〝道場の神輿〟だった跡取りの小さな子どもを情け容赦なく、真っ先に切り殺して敵を動揺させた。
蜂は、女王蜂を殺されると巣のなかが大混乱に陥るが、それと同じ効果を武蔵は狙ったのだ。
吉岡道場一門と戦った「一乗寺の決闘」では、相手は多勢。戦場は泥田である。
武蔵は、『五輪書』にあるように、泥田を走り回って、敵の勢力を分散させ、少しずつ片付けたのだ。
武蔵は、「風の巻」で、こういっている。拙訳本から流用する。
「ことに兵法の道においては、速いことはよくない。というのも、たとえば沼地・湿地などのように、体や足をスピーディーに動かしにくい場所もあるからだ。
そういうところでは、太刀で速く斬ることはなおさら難しくなる。速いスピードで敵を斬ろうと考えて、小手先だけで太刀をふるっても、扇や小刀のようにはいかないから、少しも斬れないものなのである。そのことをわきまえるように」
「殺さなければ、自分が死ぬ」という究極の剣法
はぐらかす。じらす。タイミングをわざとはずす。敵のリズムを狂わせる。相手の度肝を抜く。
武蔵の編み出した「二天一流の戦法」は、「正々堂々」という言葉とは対極にある。
卑怯といわれようが、武士の風上におけないなどと誹謗中傷されようが、一向に意に介さない。
「殺(や)るか殺(や)られるか」「生きるか死ぬか」という真剣勝負だからこそ、敵の裏をかく「心理作戦」や「謀略」が必要だったのだ。
佐々木小次郎との「巌流島の戦い」
佐々木小次郎との「巌流島の戦い」が、武蔵流憲法の典型。
①試合時間にわざと大幅に遅れて、相手をいらだたせた。
②剣を使わず、舟の櫂(かい)を削って木刀にした。
③しかも、「物干しざお」と呼ばれる小次郎の刀よりさらに長めにして、小次郎を驚かせた。怪力だったからこそ編み出せた戦法である。
④海を背にして立ち、小次郎がまぶしがるようにした。
敵を不利な場所へ追い込んで、もてる力を十分に発揮させないようにし、その分、自分に有利になる状況をつくりだしたのである。
(城島明彦)
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