ドラマを面白くするためなら嘘も平気の「真田丸」(第17回「再会」)――秀吉と家康の猿芝居「陣羽織所望」の打ち合せ場面に、真田信繁はいなかった!
その場にいた四人の中に信繁の名は記されていない
秀吉は、上洛を拒み続けている徳川家康を取り込むために、既婚者の妹(朝日姫)を離婚させて家康の後妻(継室)として縁戚関係を結ぶと、続いて母親(大政所)を人質として送り込み、上洛させることに成功するが、秀吉が本領を発揮するのは、その後。
家康が秀吉に屈した姿を、大阪城に集まった戦国大名たちに見せるために、一芝居打ったのだ。
これが、映画やドラマでは面白おかしく描かれる有名な「家康が秀吉の陣羽織を所望する話」で、NHK大河ドラマでは5月1日放送の「再会」の中で描かれた。
そのエピソードは、江戸幕府の正史『徳川実紀』(『東照宮御実紀』)の「附録巻五」に記された話がもとになっているが、「できすぎている」として「つくり話」ではないかとする見方が強いが、〝人たらし〟といわれる秀吉と〝狸おやじ〟と呼ばれる家康なら、いかにもありそうな話ではある。
以下のエピソードは、『徳川実紀』をわかりやすい現代語にし、少しばかり小説風にしてあるが、記されていないことは書いていない。。
○エピソード1
家康は上洛し、茶屋四郎次郎の屋敷を旅館とした。
秀吉は、上洛を喜んで、まず使いを寄越し、夜になると人目を忍んで秀吉自らやってきて、家康と対面したので、それまで胸の中で思っていた心配事は霧散した。家康が、こんなことをいったからだ。
「このたび、徳川殿をはるばるここまでお迎えに参ったのは、秀吉を天下人たらしめんことを頼みまいらすためでござる」
その言葉を聞いて、家康は驚き、
「御身は、まさしく天下人となっておられながら、どういうわけで、そのように宣われるのか」
と尋ねた。
すると秀吉は、
「いや、そのことでござる。秀吉、今、位人心を極め、その勢いは天下をなびかせるといえども、その始まりはといえば、松下の草履取りをしていた下僕にすぎませなんだ。そして織田(信長)殿に取り立てられた経緯は、誰もがよく知っておること。それで天下の諸大名も、表立っては敬服してはいるが、内心では侮(あなど)っている者が少なくはござらん。そこで、明日、貴殿と対面するときに、御心がまへして給はるべし」
何を言い出すのかと家康が思っていると、秀吉は続けた。
「秀吉に天下統一をなさしめるのは、徳川殿の御心一つにかかっておりまする。貴殿とは、いま、固く結ばれた仲となった。このように上洛までしてくださったからには、決して悪いようにはいたしませぬ」
○エピソード2
いままでこの話は誰にもしたことがないといって、家康が語ったのが次のエピソードである。
家康が、茶屋四郎次郎の屋敷にいると、
「秀長の屋敷で、朝食の御膳を差し上げたい」
といって迎えが来た。
家康が出かけていくと、予定外の秀吉も顔を出した。
秀吉の服装は、白の陣羽織で、裏地が紅梅。陣羽織の襟と袖には、赤地に唐草の刺繍がしてあった。
食事が終わって、秀吉が席を立つと、秀長と浅野長政がひそかに家康に告げた。
「あの陣羽織をご所望なさいませ」
秀長と浅野長政は、
「あれは、鎧(よろい)の上に着る陣羽織なので、このたび徳川家と和議が結ばれ、平和が訪れたからには、強いてご所望いただき、『この後、殿下には御鎧をお着せまいらすまい』と徳川殿がおっしゃれば、関白殿下がどれほど喜悦なさることか」
なるほど、そういうことかと家康は頷き、その申し出を承諾した。
朝食が終わると、家康は秀吉と一緒に大阪城へと向かった。
名だたる諸大名が居並ぶ中、秀吉がいった。
「毛利殿、浮田殿をはじめ、諸大名の方々、お聞きくだされ。われは、母に早く会いたいと思うので、徳川殿を明日、国へお返しする」
そういって家康に顔を向けると、
「今日は特に寒い。小袖を重ねられよ。この城中にて、小袖を一幅まいらせ、馬のはなむけ(餞別)としたい。肩衣(かたぎぬ)をお脱ぎなされ」
その言葉を待っていたかのように、秀長と浅野長政が家康のそばに寄ってきて、家康の肩衣を脱がせた。
それを合図に、家康がいった。
「殿下がお召しのその御羽織をそれがしに賜りたいと存じまする」
秀吉は、頭(こうべ)を横に振る。
「これは、わが陣羽織なり。貴殿にまいらすこと、かなわじ」
家康は、
「君の御陣羽織とうけたまわれば、なおさら拝受願うなり。家康がこのように申し上げるのは、もう二度と殿下に御物具(よろいかぶと)は着させまいとの思いからでござります」
秀吉は、えらく喜んで、
「ならば、まいらせん」
といって、自ら脱ぎ、自ら家康に着せて、並み居る諸大名に向かって、こういったのである。
「ただ今、家康殿が秀吉に物具させじといわれた一言を、おのおの方、聞かれたろう。秀吉は、よき妹婿を取った果報者よ」
○エピソード3
翌年、駿府で、家康が井伊直政、本多正信の両名に次のように語った。
「去年、秀吉が我に陣羽織を所望させたのは、家康の一言で四国・中国の者を鎮服させようとの魂胆である。それから十日も経ずして、四国・中国はそのとおりになった」
○エピソード4
またあるとき、家康はこういった。
「わしが上洛せしとき、秀吉がひそかに旅館にやって来て、わしに向かって三度まで拝礼した。そのことを知っているのは、秀長、浅野長政、加々爪(かがづめ)某、茶屋四郎次郎だ。この四人には他言せぬように誓紙させた」
これら四名の名前は『続武家閑談』が初出であることが『徳川実紀』(附録巻五)からわかる。そこに書かれた加々爪某というのは、家康の家臣だった加賀爪(加々爪)政尚(かがづめまさなお)である。
つまり、家康を護衛していたのは、この男ということだ。真田信繁の名は、出てこない。
歴史的資料を無視する〝ご都合主義〟
NHK大河ドラマ「真田丸」では、真田信繁(幸村)が〝猿芝居〟の打ち合わせの場にいたように描いているが、信繁の名前はどこにも出てこない。
ドラマの展開を面白くするために、主人公を歴史的な出来事に絡ませようとするのは、いつものNHK大河ドラマの手法。『江戸~姫たちの戦国』では、本能寺の変が起こったときに堺で遊んでいた家康が、明智光秀から逃れる「伊賀越え」に主人公の江姫を同行させるという、でたらめなことをやっていた。
ドラマだからいいじゃないか、という人もいるかもしれないが、主人公を活躍させるために、その場にいもしないのに、そこに登場させるということを繰り返すなら、極端な言い方をすれば、真田信繁を女にしてもいいという理屈になる。
嘘を平気で貫くのなら、城も適当につくればいいじゃないか、登場人物の衣装や髷(まげ)なども、得体のしれない風にしてもいいではないか、となりはしまいか。
SF物ならいざ知らず、歴史的資料でわかっていることを、無理にねじまげて、嘘八百をでっちあげることでドラマを面白くしようとする安易な演出方法は、いかがなものか。
それを世間では〝ご都合主義〟という。
いくらドラマとはいえ、NHKが大金かけてやる歴史ドラマである以上、それにふさわしい「虚実の説得力」というものが備わっていているべきではないのか。
(城島明彦)
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