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2016/05/09

「100分de名著」が取り上げた『五輪書』no現代語訳の巧拙について,、ひとこと

誰のために現代語訳しているのか

 NHK Eテレ(旧教育テレビ)の「100分de名著」(25分×4回/午後10:25~)が、宮本武蔵の兵法書『五輪書』を5月の本として取り上げたので、この機会にと思って、『五輪書』の原典や現代語訳に関心を持った人も多いのではないだろうか。
 
 現代語訳は、これまでにたくさん出ており、私も2012年12月に到知出版社の「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」の一冊として上梓し、おかげさまで版を重ねている。

 私が『五輪書』の現代語訳を手がけるときに、一番気をつかったのは、誰が読んでもよくわかるような文章にすることだった。

 そこで、参考のために、何冊か先達の現代語訳にも目を通したのだが、現代人としては「意味不明」としか思えない言葉や言い回しの原文を、そのまま流用して現代語訳としている不親切きわまりない本が何冊もあり、しかも、そういう箇所が数え切れないほどあって驚いた。

 例えば、最も信頼すべき講談社学術文庫『五輪書』の著者鎌田茂雄元東大教授の場合。
「地之巻」の「兵法の拍子」の項の原文(一部)は次のようになっている。

 兵法の戦(たたかひ)に、其敵其敵の拍子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもつて、空(くう)の拍子を知恵の拍子より発して勝つ所なり。 

 この文章を一般人が普通に読んで、まず頭を駆け抜ける疑問は、

 「拍子」って何!?
 「空に拍子」とか「知恵の拍子」って何だろう!?
 

 ということではなかろうか。

 「拍子」については後述するので、まず「空の拍子」「知恵の拍子」について述べる。
 ほとんどの読者は、「空に拍子」「知恵の拍子」とは何のことかよくわからないはずである。
ところが、鎌田訳は、次のようになっている。

 戦闘においては、敵の拍子を知り、敵の思いもかけぬ拍子をもって空の拍子を知恵の拍子より発して勝ち得るのである。

 何ら現代語訳になっていないのだ。
 こんなことが許されるのか、と思いながら、私は、次のように訳した。

 兵法を駆使した戦いでは、その折々の敵の拍子を知り、敵の意表をつく拍子を意識して目には見えない「空なる拍子」をわが二天一流の兵法の智略で生み出して相手に勝つのである。

 私の後に出た本で、似たような現代語訳をしている本があったら、それは(偉そうな言い方になるが)間違いなく、私の訳を真似している。私以前に、こういう風に訳している本はなかったのだから。


読後に「騙された」と思わない本を買うこと

 この項目で初めて出てくる「拍子」ということについては、この項の最初の一文を、私は次のように現代語訳した。

 どんな物事にも「拍子(呼吸、リズム、タイミング)」というものがあるが、なかでも「兵法の拍子」は、鍛錬していないと体得するのは難しい。
 この原文は、こうなっている。

 物事に付け、拍子は有る物なれども、とりわき兵法の拍子、鍛錬なくては及びがたき所也。


 鎌田訳は、どうなっているかというと、

 どんな物事についても、拍子があるものであるが、とくに兵法では拍子の鍛錬なしには達し得ないものである。

 文章としてはよくわかるが、肝心の「拍子」についての説明がない。『五輪書』の現代語訳本は、この手の雑な本がほとんどである。
 「拍子」という言葉は現代でも使われているから説明する必要はないと考えたのかもしれないが、それでは不親切、というのが私の考え方である。

 『五輪書』に限らず、いっぱい出でている本をすべて飛ばし読みするなどして読み比べてから購入するのが理想だが、現実的には難しい。
 著名な著者だからわかりやすいというわけではなく、買った後で失望しないようにしないといけない、ということだ。

 (城島明彦)

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