万葉歌「多摩川にさらす手づくりの少女」の謎を解く!
電車が多摩川の鉄橋を渡るときに浮かんだ一首
銀座の交詢社で、慶応のOBの方にお昼ご飯をごちそうになった。
その岐路、電車が多摩川を越えるとき、万葉集の古歌を思って詠んだ拙い一首でございます。
降る雨に さらす手に春
近づきぬ
多摩川の岸 万葉の夢
最後の「夢」は「謎」としたいが、歌としては「夢」とするしかない。
「さらす手づくり さらさらに」に秘められたメッセージを読み解く
多摩川に さらす手作(てづく)り
さらさらに
何(なに)そこの児(こ)の ここだ愛(かな)しき
(さらさらと流れる美しい多摩川の水に 手織りの麻布を さらしているこの少女が どうしてこうもいとおしく思えるのか)
この歌は、『万葉集』の「巻14 3373」にある。
この歌には、謎がある。
3373は、「さざなみ」と読める。これは、万葉集を編纂するときに意図したものではないか、というのが私の説。
さざ波だけなら、偶然といえるかもしれないが、「巻14 3373」の巻14にも謎がある。
14は「いし=石」と読める。
多摩川=玉川で、葉の昔は、美しい石が取れたのだ。
その昔、日本全国には、美しい玉石を産する「玉川」と呼ばれる川が6か所あり、「六玉川(むたまがわ)」と呼ばれていた。
①野田の玉川、②野路の玉川、③三島の玉川、④井手の玉川、⑤高野の玉川
そして、この歌に詠まれた⑥調布の玉川(多摩川)だ。三島は、大阪の方の三島。
こんなことをいっているのは私だけかもしれないが、こんな風に考えると楽しい。
さらす手づくりの少女とは?
さらす手づくりの歌に描かれた「この児」は、「まだ幼い少女」とする説と、「成人した娘」とする説がある。
後者にした方が夢があるので、私はこちらを採る。
多摩川で採れる玉石のようにすべすべとした美しい素肌の美少女に、若者が恋をして詠んだ歌。
そんな風に解釈すると、ロマンチックな気持ちになれるではないか。
小田急線の狛江駅前(成城学園前の次の次の駅)の広場に、この少女の像があるそうだが、昔からあったっけ?
歌碑はあちこちにあるが、少女像というのは珍しい。
私は20代の後半、目黒不動の日照りの悪いアパートに嫌気がさして、狛江のアパートに移り住んで、そこに2年くらいいたが、そんな像があった記憶はない。
それから10年近い後、私は狛江に住んでいる若者とラジオのディスクジョッキーをしている若い女性との恋愛を描いた短編小説「けさらんぱさらん」を書き、文藝春秋の「オール読物新人賞」をもらった。
――30年以上も昔の話でございます。
(城島明彦)
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