冬が来れば思い出す 深夜の神社で竹刀の素振り
誰もいない神社の境内は怖かった
春の足音が近づいてはいるが、まだまだ寒い。
私の気持ちは、まだまだ冬だ。真冬である。
東宝からソニーに転職した20代後半のある時期、目黒不動尊の近くのアパートに住んでいたことがある。昭和40年代後半だ。
会社に「2万円までなら部屋代は持つ」といわれて、少し広い部屋をあちこち探したが、3月の終わりごろで、いい物件がなく、風呂なし・共同トイレという一部屋だけのチンケな部屋に、しぶしぶ入居した。
まるで学生時代の下宿だ。
家賃は、確か1万3000円ぐらいだった。
「隣が空き地だから、まぶしいぐらい日当たりがいい」と不動産屋にいわれて入居したのに、3か月くらいたつと、何の予告もなく、隣にビルが建った。
その結果、窓から1メートルと離れていない先に壁ができた。
おかげで、昼間も薄暗く、太陽とは無縁のジメッとした感じの部屋となった。
不動産屋に文句をいいに行ったが、相手にされず、泣き寝入りするしかなかった。
すぐに引っ越すのもばからしく、我慢してしばらく住むことにしたが、昼間から薄暗いので気分まで暗くなりがちだった。
おまけに、当時は体が細かったせいか、冬になると、夜は冷え性に悩まされた。
寒さで足の先が冷たくなって、毎日、寝つかれないのだ。
で、体を温めるため、毎晩、午前1時が過ぎた頃、素足に下駄をひっかけて、竹刀を手に神社へ出かけていった。
階段の下で下駄を脱いで、はだしになり、竹刀を握ったまま、何十段もある階段を駆け上り、駆け下りた。
そういうことを何回か繰り返した後、百回、二百回と素振りをした。
人っ子ひとりいない深夜の神社の境内は、妖気のようなものが感じられて、少し怖かったので、「えいっ、えいっ」と声を出しながら素振りした。
体は温まったはずだが、足先にはさほど効果がなく、依然としてなかなか眠れない。
――そんなこともあったのでございます。
だが今、よく考えてみれば、真夜中に竹刀を持って街をうろついていたのに、警ら中の警官によく出くわさなかったものだ。
出会っていたら、間違いなく不審尋問され、「ちょっと交番まで」となっていたはず。
まさに、アホ、バカ、まぬけでございました。
(城島明彦)
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