3月8日、深い霧が東京や横浜を包んだ。石原裕次郎の映画「夜霧よ今夜も有難う」は、49年前の3月11日に公開された
「夜霧よ今夜も有難う」は横浜が舞台だった
昨8日の午前中、東京・横浜などで深い霧が発生したことをテレビのニュースで知った。
東京スカイツリーからは雲海を見下ろせ、その霧が晴れると、気温が17度~20度に上昇したということだった。
5日の夜、私は熱を出して寝込み、体に異変を感じた。昔から毎年起きる不思議な出来事であり、
「また、今年も季節が変わり目に入った」
と思ったが、その予感は当たっていたのだ。
7日の夜、夜10時半ごろ、外出先から家に戻る坂道に深い霧が立ち込めているのを見て驚いた。50メートル先まで見通しづらい状況になっていた。
小中高を過ごした三重県では、夜霧を見たことは一度もなかった。
小学生の頃、四日市港の方で鳴る霧笛の音を耳にしただけだ。
中学1年生の頃、学習雑誌に掲載されていた短編小説に、朝霧の中を少年が犬を連れて散歩する場面があり、自分もそんな体験をしてみたいと憧れた。
私の少年期の歌謡曲には、常套句として、「涙」や「港」同様、「霧」も頻繁に使われた。
しかし、見たことがないので、真に迫っては来なかった。
だから、映画などで夜霧のシーンなどを見ると、感動したものだった。
大学生になって東京で暮らすようになっても、深い霧を見たことはなく、石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」という歌がヒットしたときは、イントロのテナーサックスのしのび泣くような音色が、深い霧のイメージとぴったり合い、素晴らしい名曲だと感じ入った。
作詞作曲は、「バラが咲いた」などヒットを連発していた〝ハマクラ〟こと浜口庫之助。
その曲と同名の日活映画「夜霧よ今夜も有難う」が石原裕次郎主演で封切られたのは、1967年3月11日。舞台は横浜。
その49年後の同じ3月に、それもわずか数日違いで深い霧が横浜に出たのだ。
単なる偶然ではなく、3月10日前後に深い霧が出る気象状況が起こりやすいということではないだろうか。
私は、その後、旅行先の山中湖、軽井沢、霧降高原などで、夜霧や朝霧は何度も見たが、東京や関東で、今度のように見事な夜霧を見たのは初めてだった。
体調の方は、熱が引いたと思って油断し、薬を飲まなかったら、また足先が冷たくなって熱が少し出た。
ベッドの中で、うつらうつらしながら、遠い日々に見た夜霧を思い返した。
――たったそれだけの話ではある。
(城島明彦)
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