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2015/11/27

団塊世代必読の書『養生訓』(現代語訳)、本日発売です

 「腹八分」「接して漏らさず」で知られる貝原益軒の健康書


 貝原益軒の『養生訓』は、過去に何冊か類書が出ているが、どれもこれもイマイチの感が強い。

 ならば、自分がもっとわかりやすく現代語訳をしてやろうと意気込んで取り組んだ。
 
 「団塊世代には必読の書。若い人は、両親や上司にプレゼントすれば、慶ばれること必定」
 と、自己PRをして、本日のところはオシマイ。

 ご一読ください。

 _cover (11月27日発売) ※クリックすると拡大できます

 (城島明彦)

2015/11/20

翁長知事の言動は〝沖縄の乱〞だ! 素朴な疑問「沖縄は独立国になりたいのか? 中国に所属したいのか?」


県民投票で決してはどうか

 「普天間飛行場の辺野古移転に反対」している翁長沖縄県知事の言動には、問題が多い。
 国の方針に反対するだけでなく、国連で反対演説をし、国のやったことを誹謗するなど、韓国の反日感情と紙一重のところがある。

 都道府県は、沖縄を除いて(原発事故という特殊ケースの福島県を例外として)、嫌なことであっても国が決めたことには(しぶしぶ)従っている。
 そうしないと国が成り立たない。沖縄県民が選んだ国会議員も参加した国会で、多数決で決めた移転計画に「それでも反対」を唱え続け、「自分は従えない」といって実力行使をすれば、それは「内乱」である。

 武器を取って戦っていないだけで、やっていることは西南戦争などと変わりがない。 
 歴史として記すなら、平成の「沖縄の乱」だ。

 沖縄が戦場となり、長く米軍支配下に置かれて、敗戦国日本の犠牲となった気の毒な点は、程度の差こそあれ、日本人の誰もが認め、申し訳ないと思っている。
 そんなレベルの感情ではないといわれれば黙るしかないが、沖縄が地政学上の重要拠点であることは事実。だから米軍が手放さない。中国から見れば、目の上のたんこぶだ。
 
 沖縄には、かつて栄えた琉球王国の誇りもあるだろう。
 国の方針にどうしても従えないのなら、国と袂(たもと)を分かつしかない。

 日本から独立を果たし、沖縄国を目指すか、中国に帰属するか、今のように日本の一県のままでいるか、県民投票で決めたらどうか、と私は思うのだが……。

 (城島明彦)

2015/11/08

日本人を元気づけた浅田真央と本郷理華――GPシリーズ「中国杯」


真央を抜く日も近い〝でっかい新星〞理華

 昨晩(11月7日)テレビ放送されたフィギアスケートのGP(グランプリ)シリーズ第3戦「中国杯」で、浅田真央が復帰戦で優勝、新鋭の本郷理華が2位に入り、日本人ワンツーを飾った。

 浅田真央は流麗、理華はダイナミック。
 真央は円熟、理華は新鮮。
 真央は古風な大和撫子風の容貌、理華は近代的な日本女性の要望。
 どちらも〝ジャパニーズ・ビューティ〞だ。
 ミスをどう減らすかが真央の課題、のびしろをどこまで活かすかが理華の課題。
 理華が、真央の流麗さを身につけるとき、真央を抜く存在になる。
 理華は、切れ長の目、頭の形は西欧人風。166センチの長身で、手足が長い。
〝魅せるアスリート〞としての要素をすべて備えている。
 9月末に19歳になったばかりの大学生とは思えない大人の落ち着きと話しぶり、そして何よりも「ひまわり」のような明るい笑顔は、好感が持てる。
 
 子どもの身長は毎年伸びるが、思春期のある時期に突出して伸びる時期がある。
 本郷理華のアイススケートは、それと同じように、飛躍期に入っているのではないか。
 理華の理は「理詰め」の理にして「理想」の理。理華の華は「華麗」の華。
 浅田真央の年齢に近づいたとき、どういう存在になっているか、想像すると楽しい。


〝日いづる国ニッポン〞の象徴

 先日のラグビーW杯での日本チームの奇跡にも近い奮闘ぶりは、世界をあっと驚かせたが、アイススケートはそれ以前から世界の頂点にいる。
 それでも、今回の浅田真央の復帰戦は、フリーでは転倒や回転不足などもあり、パーフェクトとはいえなかったが、他の選手を圧倒する貫禄の滑りだった。

 本郷、浅田の順に最後を滑ったが、どちらも、
 「日本人って、こんなに運動能力があるのか」
 と、日本人に自信と勇気と感動を与える演技をした。

 〝失われた10年〞〝失われた20年〞ともいわれた暗くて長い日本と日本人の自信喪失年月は、安倍政権下でようやく明るい日差しが射し、日本人ノーベル賞学者の続出といった「吉祥」なども加わり、〝日いづる国〞の勢いを取り戻しつつある。
 
 アイススケートのヤングアスリートたちは、日本の「日はまた昇る」象徴だ。
 羽生結弦にしろ、浅田真央にしろ、本郷理華にしろ、名前がいい。芸名のようだ。
 姿かたちもいい。インタビューでの受け答えも、素晴らしい。
 日本を敵視している中国人や韓国人に人気があるというのも悪くない。

 子どもの頃から得意なところを見つけて英才教育を行えば、日本人は、学問でもスポーツでも間違いなく世界の頂点に立てるポテンシャルを持っている!
 そういうピラミッド的な英才教育システムを国や地域が構築すべきだ!

 ――GPシリーズ「中国杯」のテレビ放送を見て、そんなことを思った。

(城島明彦)

2015/11/07

第44回「運命の糸つなげて」(「花燃ゆ」)で、松陰の遺書「留魂録」が大写しに


楫取素彦と「留魂録」には謎がある

 11月7日(土)に地上波で再放送される第44回「運命の糸つなげて」では、松陰が、江戸伝馬町の牢獄で1日半かけて処刑前日に書き上げた遺書「留魂録」が見つかり、そのアップ場面が何度かあった。

 幕府に取り上げられることを恐れて、松陰は遺書を2通用意し、1通は松下村塾生の手に渡ったが、重要なものなので、塾生らが手分けして何通か書き写した。
そうこうしているうちに、どういうわけか、その本物が紛失してしまった。

 残る1通はどうなったかというと、松陰は獄中の牢名主のような沼崎吉五郎という男に事情を説明して、それを託すのである。
「これを、長州藩のものに渡してほしい」

 松陰処刑後、沼崎は三宅島へ島流しになるが、獄中で松陰と交わした約束を守り、来ていた着物の襟の中に「留魂録」を縫い込んで、隠し続けたのだ。

 時代は変わり、明治の世となり、沼崎は恩赦によりに自由の身となって、本土の土を踏むのだ。

 廃藩置県によって、三宅島は、当時、足柄縣に属し、県庁は小田原にあった。
 楫取素彦は、最初、そこに勤めていたのである。役職は、県令(知事)ではなく、参与(副知事)だ。
 そんな楫取素彦のもとへ、ある日、「真筆の『留魂録』がみつかった」といって、それを持参した者がいたのである。鹿取が書いた日記にそのことが記されている。
 楫取は、そのとき初めて、真筆の「留魂録」を目にしたのだが、なぜか、買い取らず、そのまま返している。
 楫取素彦が群馬県令になるのは、そのあとなのである。

 楫取素彦は、単身赴任で、妻の寿や美和は長州にいた。
 そういうこともあるためか、NHKは、楫取素彦が長州からいきなり群馬県令になったかのように描いた。一種のご都合主義である。

 第44回では、群馬にいる楫取素彦を松下村塾生だった野村靖が訪ねて、真筆の「留魂録」が見つかったと報告し、それを文と一緒に見ている場面が描かれた。


大河ドラマのドラマづくりは安易すぎる

 しかし、それは歴史的事実ではなかったのだ。
 楫取素彦は、小田原にいるときに、「留魂録」を見ているのだ。
 その間の事情は長くなるので、詳細は省くが、それが事実である。
 興味のある方は、「留魂録」を現代語訳し、松陰の生涯と「留魂録」の謎について書いた拙著『吉田松陰「留魂録」』(致知出版社)をお読みください。
  (ついPRになってしまったが、そういうことである)

 その本の表紙に使われているのは、現在松陰神社に残っている真筆の「留魂録」の写真である。

 「ドラマだから、どう描こうが自由」という考え方もあるが、私は、「NHKなのだから、歴史的事実は歴史的事実としてきちんと押さえた上で、その制約のなかで、どうすればドラマとして面白く描けるか」という考え方である。

 ドラマづくりにどうして無理が生じているかといえば、幕末・維新という日本史上屈指の大激動期を語ったり説明したりするのに、「吉田松陰の妹」というだけの人物では不足だということだ。

 要するに多数の視聴者が大河ドラマに期待しているのは、日本の激動期に関わった重要人物たちの挙動とか思想といったものであり、そういう点が文を中心にすると脱落してしまうのである。それを無理に補おうとして、あることないことどころか、内ことないことばかりを並べ立てなければならない苦しいドラマづくりに立たされているのが、NHK大河ドラマなのだ。


小道具「留魂録」はよくできていた

 11月1日(日)の放送で「留魂録」が亜アップされた画面では、NHKの美術班が作った「留魂録」は、実に精巧につくられていて、思わず「それ、ちょうだい」といいたくなるくらいだった。

 大河ドラマで感心するのは、松陰の実家の杉家などがよくできていることで、「さすがNHK」と褒めたくなるが、肝心のドラマの描き方がイマイチなのは困ったものだ。

(城島明彦)

2015/11/05

〝昭和の名女優〞加藤治子さん、ご冥福をお祈りします


映画「初めての愛」の思い出

 今、12月発売予定の『「大富豪」入門』という単行本の初校ゲラをチェックしている最中だが、加藤治子さんへの哀悼の気持ちを込めて、この短文を記すことにした。

 名女優・加藤治子さんの訃報に接して、頭をよぎったのは、1972年9月に公開された東宝映画「初めての愛」の撮影現場での思い出。

 当時、東宝の助監督だった私は、東宝入社時の保証人の一人になってもらった森谷司郎監督作品の「初めての愛」についた。

 主演は岡田祐介と島田陽子。その映画に加藤治子さんも出演していた。
 ある場面で、私は、衣装替えか何かでまだセットに来ていない俳優の代わりに座って、加藤治子さんといろいろ話をした。

 どんな話をしたのか、よく覚えていないが、上品な顔立ち、少女のようにキラキラとした瞳、気品のある話し方に強く魅了されたことは、43年たった今もよく覚えている。

 ご冥福をお祈りします。

(城島明彦)

2015/11/02

松陰の遺書の扱いが、ご都合主義すぎる「花燃ゆ」(第44回「運命の糸つなげて」)


歴史を無視したり、捏造するのはNHKのやるべきことではない

 ドラマとはいえ、歴史的事実を無視するだけでなく、歪曲して、ドラマを作り上げていく手法というのは、民放やら昔ならいざ知らず、NHKとしてはいかがなものか。
 
 第44話も、適当だった。
 吉田松陰の真筆の遺書「留魂録」を、松下村塾生だった野村靖が、群馬にいる楫取素彦のところまで届けに来るのもおかしな話。
 楫取素彦が書き残した当時の日記に、素彦が足柄縣の県庁小田原に「参与」(副知事のようなもの)として勤めていたときに、野村とは別の人物が「松陰の真筆の『留魂録』が見つかった」といって、それを携行して小田原までやってきて一泊して帰っている。

 松陰の『留魂録』を読んで、高杉晋作らの塾生たちは「絶対に仇を討つ」と誓い合い、やがて幕府を倒すことになる恩師の忘れ形見である。

 松陰は、処刑前日に獄舎の牢内でそれを用心のために二通書き上げ、一通を牢名主に託したのだ。
 一通は、幕府に持ち去られることなく松下村塾生らの手に渡ったが、書写しているうちに紛失。塾生らは、本物はもう出てこないと思っていたのだ。

 ところが、牢名主だった男は、その後、三宅島に流刑になる。だが、その間、着物の襟に縫いこんでいて、明治になって恩赦を受けて本土に帰ってきて、松陰に頼まれた言葉通り、長州藩の連中に届けようとしたのだ。

 楫取素彦の行動は、不思議だった。
 手渡された『留魂録』を見て本物と断定したが、それを受け取ることなく、金2両を「保管料」として手渡し、「松陰の資料を集めている野村靖に渡すように」と伝言したのだ。

 しかし、元牢名主は、そのとおりにはせず、かなり経ってから神奈川県の県令になっていた野村靖を訪ね、野村がそれを買い取り、後日、外国の大使になって日本を離れる際に松陰神社に寄贈。それが今日まで残っている『留魂録』である。

したがって、野村靖が群馬へ持参し、それを見て楫取素彦が驚いた顔をすることなどありえないのである。
ましてや、都合よく、その場に美和(文)がいるなどということもまずありえない。
 ドラマの演出では、小田原勤務を無視しているので、そういうおかしな作り話になる。
 
 歴史的事実関係という大きな制約の中で、いかにドラマとして面白くするかが、脚本家や演出家の仕事だ。適当にはしょったり、事実関係を意図的に変えたりして、話を面白くしようとするのは「邪道」である。
 都合のよいようにするのなら、誰でもできる。私は、そう思うが、いかが?

 美和は三姉妹なのに、長女がいないかのように演出しているのも、おかしい。
 長女の千代は、松陰のことを詳細に語り伝えた重要人物の一人。
 女ながら、玉木文之進が自刃するときに介錯を頼まれたのも、この長女だ。

 出したくなければ、長女をナレーターにして三姉妹の視点で大河ドラマを描けばよかったのだ。
 そうすれば、重要な事件の場に無理やり美和がいるように描かなくてすむ。そういう知恵を絞るのが、NHKなのではないのか。

 ちょっと多忙なので、今日はこれでおしまいでござる。誤字脱字があったら、ご勘弁、ご勘弁。

 (城島明彦)

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