スッキリしなかった日テレの「スッキリ」。猪瀬直樹に五輪エンブレム問題を批判する資格などない
裏金もらって都知事辞任事件の「禊」(みそぎ)はまだ済んでいない
昨日(9月2日)の朝、たまたま日テレを見たら、前都知事の猪瀬直樹が、東京五輪のエンブレム白紙撤回についての「責任論」を語っていたので、すぐにチャンネルを切り替えた。
猪瀬直樹は、どの面下げて、またテレビにシャシャリ出てくるのか。
復権を図ろうとする猪瀬の野心に、まんまと乗っかった日テレの番組関係者もバカだ。
圧倒的多数の都民は、徳洲会のドンから裏金をもらった事件で都議会を大混乱させた挙句、都知事を辞めた猪瀬の「禊」が済んだとは思っていない。
東京五輪の混乱の一端は、猪瀬の都知事辞任も関係なくはないのだ。
五輪の責任云々をいうなら、自身の恥部をさらけだせ。
裏金事件発覚で〝マッチポンプ人間〞であることが発覚した以上、猪瀬直樹は、えらそうに上から目線でものをいえる立場の人間ではなくなったのだ。
そういう自己認識に欠けている。
政権や世の中を批判する前に、自分が過去に犯した罪を自己批判しながら、まだまだ謹慎しているべきではないのか。
ノンフィクション作家としての猪瀬の実力は認めるが、評論家として世間を批判する資格は猪瀬直樹にはなくなったのだ。
評論する立場の人間なら、自分自身ももっと厳しく見つめて然るべきだ。
自分だけは例外という人間に、評論家の資格などない。
猪瀬直樹は、討論番組などで、正義の味方よろしく、舌鋒鋭く相手を攻撃するとキャラでありながら、不正な金を受け取ったことがばれて自分がメディアから攻撃されると、ろおろ、おどおど脂汗をタ~ラタラ。
二重人格そのものともいうべき、その姿は、まるで筑波山のガマのように醜悪だった。
そのことを日本人は、特に都民はまだ忘れてはいないのだ。これから先も同様だ。
東京五輪では、競技場のデザインコンペにしろ、エンブレムコンペにしろ、審査委員とか組織委員会の連中とかの人選を誤ったことが、問題を引き起こしているが、テレビのワイドショー番組も同じだ。
安易な番組のつくりとはいえ、ゲストコメンテーターの人選が見当違いのことが多い。
テレビ局は、そこのところをもっとしっかりしないとダメだ。
(城島明彦)
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