古文『養生訓』の現代語訳で、四苦八苦
二者択一とはいかず、七転八倒
人の子となりては、其(その)おやを養なふ道をしらずんばあるべからず。
貝原益軒の『養生訓』の最終章(巻第八)の冒頭に記された文章である。
江戸時代中期の1713年に書かれた本なので、今から300年前の文章ということになる。
この現代語訳に取り組んだのは6月末。8月末には訳し終わったが、加筆修正に1か月近くかかり、やっと完成だ。
前記の原文は、そう難しくはないが、どう現代語訳にすればいいのかとなると、悩んだ。
①人の子となりては
相田みつをの「にんげんだもの」の真似をして「人間の子だもの」とすると、ちょっと、くだけすぎて使えない。そこで、「人の子となったからには」「人の子となった以上」「人の子であるからには」「人の子として生を受けたのだから」「この世に人間の子として誕生したからには」など、いろいろな表現の仕方があり、どれにするかで、まず悩む。
②其おやを養なふ道を
おやを「両親」と訳すか、「親」にするかで迷う。
③しらずんばあるべからず
「知らぬということがあってはならぬ」という意味なので、そのまま現代文に変えると、「知らなくていいということがあってはならない」となるが、これでは味がない。
二重否定=肯定なので、「知っていなければならない」「知っていて当然である」「知っているべきである」といった肯定文として訳すこともできるので、また悩む。
♪悩んだ、悩んだ、赤白黄色、どの花見ても きれいだな (ううっ、しんどい!)
結局、「人の子となりては、其おやを養なふ道をしらずんばあるべからず」をどう現代語にしたかというと、
「人の子として生まれた以上、親を養う道を知らないというのは通用しない」
たった一行で、青息吐息。
古文を原作者の意図を酌んで、わかりやすく現代語にするのは、結構、たいへんなのだ。
(城島明彦)