なくて七べし(「~すべし」など)
「べし」という日本語
昔使われていた言葉は、次第に消えて行く傾向がある。
「健康には気をつけるべし」
「ぜひ行くべし」
「薬を服用すべし」
などのように使われる「べし」も、その一つ。
『枕草子』には「おかし」という言葉がやたら出てくるが、今、私が現代語訳に取り組んでいる貝原益軒の『養生訓』には、「べし」が頻繁に出てくるので、そのつど、ここはどういう現代語にしたらいいかと迷うことしきりだ。
同じ「べし」でも、ニュアンスを考えると、現代語では10以上の違う意味に分かれる。
~すべきだ。
~しよう。
~せよ。
~した方がよい。
~しなければならない。
~しないといけない。
~するとよい。
~するように。
~しましょう。
~することだ。
~のはずである。
「なくて七くせ」という諺があるが、「べし」の場合は「なくて七意味」とでもいうべきか。
母方の曾祖父は漢方薬を調合・販売していた
『養生訓』を現代語訳したいと思った時点では、「漢方と関係のある血」が私自身の体内に流れているということを考えなかったが、つい先日、そういえば、母方の実家は昔、漢方薬を調合して売ったり、鍼灸治療をしていたということを思い出した。
母方の曾祖父の代に、富山から三重県の桑名へやってきて開業したという話だ。
祖父の代まで2代続けた。
祖父には息子が2人、娘が3人いて、私の母は下から2番目の三女である。
末っ子の2男は名古屋大学の医学部に進学し、のちに大学に勤めた後、開業医となったが、親からすれば理想的な形だったのではないか。
祖母は、私が中学1年の夏、胃がんでみまかったが、自分の息子が最初に診て、胃がんであることがわかったという話だった。
その2年前の夏休みに、私は祖母がつくってくれた赤いふんどしを締めて相撲大会に出て5人勝ち抜きで優勝し、賞金500円をもらったのに味をしめ、もう一回出ようとすると、6年生と取り組まされ、実家の近所の体の大きい5人目の相手に寄り切られてしまった。
小学5年生の夏休みの思い出だ。
漢方薬のにおい
私が小学生の頃、夏休みとか冬休みに実家へ遊びにいくと、薬のにおいがしたのを懐かしく思い出す。
もう一つ、鮮明に覚えているのは、私が子どものころ、母は「管に入った針」をもっていて、いつ何のためにしてもらったかは覚えていないが、やってもらった記憶がある。
管の中に管より少し長い針を入れ、上から押すだけの簡単なもので、それで手や足のツボにチクチクする程度の刺激を与えるだけだった。
母が針を打つ姿は数えるほどしか見ていないが、祖父や曾祖父に基本的なことを教えてもらって覚えたに違いない。
いつか忘れてしまっていたそういう古い記憶が、『養生訓』を現代語訳したいという気持ちにさせたのかもしれない。
『養生訓』は8章なら成り、今、6章に入っている。
漢方薬の名前とか、漢方医学に登場する漢字の病名と格闘しながら、一見、何の関係もないような身辺の出来事でも、過去をたどっていくと、どこかでつながっている。
そういうことは結構あるのではないかと思った次第だ。
(城島明彦)
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