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2015/08/30

2015年版「ほん怖」、面白かったのは第1話(生霊)だけ


中途半端でガッカリ

 昨晩(8月29日)午後9時からの「ほん怖」(ほんとにあった怖い話・2015年特別編)を見た。

 第1話「どこまでも憑(つ)いてくる」は、「生霊」「ストーカーの女)を扱っていて興味を抱かせたが、話に深みがなく、最後の詰めも甘かった。

 ネタ切れなのか、それ以外の5話は、どれも面白さを欠いた。

 同じ祠(ほこら)の夢を見る話「閑却(かんきゃく)の社(やしろ)」も、私自身が小学生時代、毎晩ではないが、同じ内容の奇妙な夢を何度も見たことがあるので期待したが、中途半端でガッカリ。

 「奇々怪々女子寮」(女子寮で洗濯機が深夜にガタガタ音を断てて回る怪奇現象が起きる話)とか「嵐の日の通報」(警官に公衆電話から死んだ女の声で電話がかかってくる話)は、最低レベル。もうちょっとレベルアップしないと話にならない。

 「黒い日常」(ミステリアスな取引先の話)は、OLが取引先に書類を届けにいって戻ってくると、その間の時間は10分ぐらいなのに、5時間も過ぎていたなど不可思議な現象だが、ピンと来ないというか、ありえない。

 芥川賞作家の又吉先生も、「つきあたりの家族」で主人公として出ていたが、役者としてもいける。たいしたもんだ。しかし、話そのものは、同じアパートの別の部屋の住人に関する怪奇話だが、怖くも面白くもなかった。
 又吉先生は、顔つきといい、髪の長さといい、ライティング次第では幽霊役、怨霊役にピッタリではないか。
 来年は、原作・脚本・演出・主演でどうか!

(城島明彦)

2015/08/28

誰が100万アクセスの訪問者か? 本日中にそうなった人に幸あれ!


999999は誰?

 メモリアルというほど大げさなことではないが、私の本ブログも8月27日に日付が変った時点で100万アクセスまで100を切っており、本日中に100万アクセス突破が確実となった。

 アクセスカウンターが、
 「999999」の人、あるいは、ちょうど「1000000」の人、さらに「1000001」の人は、
 偶然とはいえ、何かいいことがあるのではないか。そうあってほしい。


 (城島明彦)

2015/08/26

このブログ、数日中に100万アクセスを突破しそうだ


『養生訓』の現代語訳がやっと終った

 6月24日から現代語訳に着手した貝原益軒の『養生訓』の初稿が、2日前の8月24日にやっと完成した。

 ちょうど2か月かかった計算だが、その間、ほかの用事が入ったり、体調が悪くなって、まったく原典を開けない日もずいぶんあったから、実質的には1か月半くらいかもしれない。
 8巻ある書物の最後が見えてきてからは、ブログを書く余力がなかった。というより、書く気になれなかった。

 しばらく書けないでいる間に、アクセス数が100万回に近づき、月中に越えそうだ。
 確か、今年の正月に90万アクセスを越えたと記憶しているので、底から10万アクセスになるのに8か月もかかっている。

 『養生訓』の方は、全編を通読み返し、加筆する作業や前書きと解説がまだ残ってはいるが、ほっと一息というところ。
 安心したせいか、猛暑続きだったせいか、ここ数日、体調がよくなく、パソコンと向きあえず、古い映画ばかり見ていた。

 執筆中に誕生日を迎えた。69歳。
 自分ではまだまだ若いつもりでいるが、完全なジイさんだ。

 貝原益軒は、83歳のときに『養生訓』の執筆を開始し、翌年出版されたが、その年に22歳年下の妻に先立たれた。
 39歳のときに17歳の幼な妻と結婚しているので、45年一緒にいた計算になる。
 
 そしてその翌年、貝原益軒は85歳であの世へ旅立った。
 
 文中に、83歳の今、虫歯が一本もないと書いている。
 マスコミは、今夏の甲子園を沸かした高一の清宮を〝怪物〞と呼んでいるが、今から303年前に『養生訓』という長生きの秘訣を書いた貝原益軒もまた〝怪物〞だったのだ。


 (城島明彦)

2015/08/14

真夏のミス・テリー伊藤


芳賀町で突風

 ♪しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ

 8月13日、「栃木県の芳賀町(はがまち)で、突風で屋根が飛んだ」というテレビのニュースを見て、驚いた。

 しゃぼん玉が屋根まで飛んだのではなく、突風でいろんなものが飛ばされ、屋根も飛んだからだ。

 ♪しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ


 芳賀郡芳賀町には思い出がある。
 30代の終わり頃、尋ねたことがある。

 芳賀町には、明治の天才画家青木繁の愛人だった福田たねの実家が今もある。
 福田家は、当時、呉服屋を営んでいた。
 その頃、私は青木繁のことを調べていて、福田家を訪ねたのだ。

 ♪しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ
 という童謡の作詞をしたのは、野口雨情(のぐち うじょう)である。

 野口雨情は、「自分の幼い娘が死んだのを、シャボン玉に見立てて作詞した」と解釈する説もある。

 ♪屋根まで飛んで こわれて消えた
   風、風、吹くな しゃぼん玉飛ばそ


 野口雨情は、茨城県多賀郡の生まれだ。

 ここでミステリーである。
 屋根まで飛んだのは、芳賀郡の家。
 屋根まで飛んだと書いた作詞家は、多賀郡の家で誕生した。

 似ている! (それだけの話。なんのこっちゃ。ミステリーではなく、ミス・テリー伊藤のようなレベルかも)


(城島明彦)

2015/08/06

お盆とくれば、幽霊、もののけ、妖怪、そしてバケモノの子……


お盆とくれば、坊(ぼん)さんの稼ぎどき

 ゴホンとくれば、龍角散は昔の話。
 平成27年の今、ゴホンとくれば、又吉先生のご本であります。
 日本の津々浦々で開かれている花火大会を尻目に、早々と200万部の超ベストセラーの『火花』でございます。

  ♪盆がまたきた 今年の盆の (橋幸夫の「木曽ぶし三度笠」)

 というわけで、
 お盆とくれば、幽霊話は江戸・明治・大正の話。
 昭和の初期は、お盆といえば、煙草盆でございました。
 続く昭和の中期に、お盆といえば、漫才師おぼん・こぼんもおりましたなあ。
 それが昭和の後期ともなりますと、お盆といえば貞子でありました。
 ブラウン管からお化けが出てきたのでございます。
 しかし、平成の時代は、液晶テレビがそのブラウン管に取って代わったから、貞子はたまりません。
 おおきな体をひそめる場所がなくなってしまいました。
 おまけに、ビデオテープがDVDに取って代わられて、侵入不可となってしまいました。

 そして平成27年の今、お盆といえば、「バケモノの子」などというアッと驚くストレートすぎるネーミングでございます。

 幽霊といえば、風にゆらゆら揺れる柳の下といった風情など、どこ吹く風。
  ♪格子戸を くぐり抜け
    見上げる 夕焼けの空に
 と、これは、柳は柳でも小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」の一節でしたな。

 「もののけ姫」という名称には日本語の妙がありましたが、これも今は昔。
 「物の怪」と書いて「もののけ」、妖艶の「妖」と「怪しい」の「怪」で「妖怪」。
 どちらも、日本語の美しさがございました。

 ところが、平成27年のお盆は、「バケモノ」でございます。
 「おばけ」にはどこなく愛嬌が感じられますが、「バケモノ」は露骨であります。
 「このバケモノめが!」でございます。
 「おばけ」の親戚は、「大化け」「大場家」ではありませんが、「化ける」のはキツネやタヌキで、こちらもどこかコミカルでありながら神秘的なニュアンスが感じられたのでありますなあ。

 しかし、「バケモノ」とカタカナで示されると、フランケンシュタインやらドラキュラのような西洋風のイメージでございます。

 時代とともに、怪奇の世界も変わってまいったのですなあ。
 ところが、時代は変われど、お盆とくれば、坊(ぼん)さんの稼ぎどきであることは変わっておりませんな。

 坊さんのお盆のスケジュールのことを、ケーシー高峰風にいうと、「ボン・ジュール」。
 坊さんのお盆のスケジュールはぎっしり。
 透明性が売り物のスケ(透け)ジュール。

 ところ変わって、おふらんすにもお盆がやってまいります。
 これがほんとの「ボン・クール」(bon cœur/直訳すると「良い心」)。


(城島明彦)
 

2015/08/02

松嶋菜々子の従軍看護婦が嘘っぽすぎる「レッドクロス」、若尾文子の「赤い天使」と大違い!


リアリティがなさすぎる

 昨日(8月1日)と今日の2夜に分けて放送されるTBSテレビ60周年特別企画と銘打った大型ドラマ『レッドクロス~女たちの赤紙~』、一夜を見た限りでは、話にリアリティがなさすぎる。

 戦時の非人道的で悲壮な話が次々と出てきたが、リアリティに乏しく、涙がこぼれるような場面はなく、安っぽい妙なヒューマニティだけがチラチラして失望。今日は見る気がしない。

 実話なのか、その割には話ができすぎていると思って見たが、TBSは実話という発表をしておらず、モデルも誰それと特定していない。

 たとえつくり話であっても、ずいぶん金をかけてつくっているということは伝わってくるが、肝心のリアリティを伴わないのでは意味がない。

 従軍看護婦を描いた古い大映映画に「赤い天使」(1966年)というのがあるが、これは作家有馬頼義の原作の映画化だが、ド迫力の映画で、主人公の従軍看護婦に扮した。
 監督は増村保造。話そのものは「レッドクロス」と同じではないが、戦場の病院でのリアリティがあきらかに違うということは誰が見ても理解できる名画だ。

 関心のある人は、ツタヤで借りてみては?


(城島明彦)

なくて七べし(「~すべし」など)


「べし」という日本語

 昔使われていた言葉は、次第に消えて行く傾向がある。

 「健康には気をつけるべし」
 「ぜひ行くべし」
 「薬を服用すべし」
  などのように使われる「べし」も、その一つ。

 『枕草子』には「おかし」という言葉がやたら出てくるが、今、私が現代語訳に取り組んでいる貝原益軒の『養生訓』には、「べし」が頻繁に出てくるので、そのつど、ここはどういう現代語にしたらいいかと迷うことしきりだ。

 同じ「べし」でも、ニュアンスを考えると、現代語では10以上の違う意味に分かれる。

 ~すべきだ。
 ~しよう。
 ~せよ。
 ~した方がよい。
 ~しなければならない。
 ~しないといけない。
 ~するとよい。
 ~するように。
 ~しましょう。
 ~することだ。
 ~のはずである。

「なくて七くせ」という諺があるが、「べし」の場合は「なくて七意味」とでもいうべきか。


母方の曾祖父は漢方薬を調合・販売していた

 『養生訓』を現代語訳したいと思った時点では、「漢方と関係のある血」が私自身の体内に流れているということを考えなかったが、つい先日、そういえば、母方の実家は昔、漢方薬を調合して売ったり、鍼灸治療をしていたということを思い出した。

 母方の曾祖父の代に、富山から三重県の桑名へやってきて開業したという話だ。
 祖父の代まで2代続けた。
 祖父には息子が2人、娘が3人いて、私の母は下から2番目の三女である。
 末っ子の2男は名古屋大学の医学部に進学し、のちに大学に勤めた後、開業医となったが、親からすれば理想的な形だったのではないか。
 祖母は、私が中学1年の夏、胃がんでみまかったが、自分の息子が最初に診て、胃がんであることがわかったという話だった。

 その2年前の夏休みに、私は祖母がつくってくれた赤いふんどしを締めて相撲大会に出て5人勝ち抜きで優勝し、賞金500円をもらったのに味をしめ、もう一回出ようとすると、6年生と取り組まされ、実家の近所の体の大きい5人目の相手に寄り切られてしまった。

 小学5年生の夏休みの思い出だ。


漢方薬のにおい

 私が小学生の頃、夏休みとか冬休みに実家へ遊びにいくと、薬のにおいがしたのを懐かしく思い出す。

 もう一つ、鮮明に覚えているのは、私が子どものころ、母は「管に入った針」をもっていて、いつ何のためにしてもらったかは覚えていないが、やってもらった記憶がある。
 管の中に管より少し長い針を入れ、上から押すだけの簡単なもので、それで手や足のツボにチクチクする程度の刺激を与えるだけだった。

 母が針を打つ姿は数えるほどしか見ていないが、祖父や曾祖父に基本的なことを教えてもらって覚えたに違いない。

 いつか忘れてしまっていたそういう古い記憶が、『養生訓』を現代語訳したいという気持ちにさせたのかもしれない。

 『養生訓』は8章なら成り、今、6章に入っている。
 漢方薬の名前とか、漢方医学に登場する漢字の病名と格闘しながら、一見、何の関係もないような身辺の出来事でも、過去をたどっていくと、どこかでつながっている。

 そういうことは結構あるのではないかと思った次第だ。


(城島明彦)


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