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2015/07/25

白鵬は医学知識を悪用する確信犯か!? 張り差しを連発する理由が読めた!


野蛮な「張り差し全盛時代」をつくった白鵬に〝物言い〞

 白鵬は張り差しを頻発する。
 白鳳ほど「張り差し」を繰り出す幕内力士はいない。
 過去の横綱の中でも一番多いはずだ。

 「張り差し」というと聞こえはいいが、顔面殴打だ。
 上手投げ、下手投げ、掛け投げ、外掛け、内無双、出し投げ、うっちゃり……といったわざは、頭脳的で美しいが、相手の顔を張り飛ばしてから差しに行く「張り差し」は、プロレスわざに近い。

 連日のように繰り返して褒められる技ではない。
 ましてや、大横綱が下位の力士相手に連日繰り出すわざではない。
 

確信犯・白鵬よ、真の大横綱とは何かを知れ

 白鵬は強い。
 張り差しなど用いなくても、横綱相撲で堂々と勝てる地力がある。
 それなのに、繰り返し、横綱らしくない「張り差し」をするのはなぜなのか。

 せこいからだ。
 勝つためには手段を選ばないのである。

 はたき込みばかり連発すれば批判されるのと同様に、「張り差し」ばかり連発する横綱は批判されてしかるべきである。

 前にも何度も書いたが、「張り差し」は圧倒的に横綱や大関が下位の力士にやってきた。
 一種のパワハラである。

 平幕力士は、横綱を恐れ、無礼だと思って、「張り差し」を控える。


 ところが、最近になって、照ノ富士が横綱に平然と張り手を食らわせた。
 しかし、そういう力士は稀である。

 白鵬には、どんな手でも勝てばいいのだろう、という思いあがった気持ちがあるのではないか。

 昨日(名古屋場所13日目)の取り組みでは、豪栄道に買った後、例によって白鵬は、分厚い懸賞金の束をこれみよがしにわざわざ高々と掲げてから、上から下へと「ノ」の字を描くガッツポーズをして見せた。
 「ノ」の字のガッツポーズは、ほかのスポーツなら誰も文句をいわないだろうが、大相撲は別だ。

 醜い。見苦しい。

 力士は、勝負に勝っても土俵上で笑ってはいけないのと同じく、そういう下品なことは許されない。 それが日本の伝統ある大相撲力士の心得である。
 にもかかわらず、平然とやる。

 大相撲の頂点に立つ横綱という位置にありながら、どういう了見なのか。
 そして、それを注意して改めようとすることもしない相撲協会など関係者は、何を考えているのか。

 横綱の土俵入りをきちんとやるのなら、懸賞金も粛々と受け取れ!
 それが相撲の型なのだ。


「悔しかったら、勝ってみろ」という意味なのか
 
 「どうだ! こんなに金を取ったぞ」
 といわんばかりだ。
 なんとも品のない横綱である。
 あの朝青龍にもそういうところがあったが、懸賞金に関しては白鵬はそれ以上だ。
 白鵬は、大相撲史を塗り替える数々の記録を打ち立ててきただけに、よけい腹だたしい。
 懸賞金を見せびらかす行為は、土俵を汚す禍々(まがまが)しい行為だ。
 見苦しい。いや、見苦しすぎる。

 なぜやめないのか。 
 意地っ張りだからである。
 人の指図は受けないとでも思っているのかもしれないが、そういう情けない行為を平然と繰り返すと、引退後、叩かれることになる。

 「横綱がああやるのだから、俺も」
 といって、全力士が懸賞金ガッツポーズをしたらどうなるか、白鵬や親方たちは考えたことがあるのだろうか。
 もっとも、あれほど派手派手しいことをやる力士が今のところ、ほかにはいないのが救いではあるが。

 相撲協会は、力士別の「張り差し」回数と勝率の関係をデータかしてみてはどうか。


豪栄道は側頭部を〝殴られ〞て動きが鈍った
 
 昨日の取り組み相手、豪栄道にも張り差しにいった。
 側頭部に強烈な打撃が加わると、豪栄道は、自分では気づいていないかもしれないが、一瞬、いやそれ以下の間かもしれないが、頭の中が真っ白になっているはずだ。

 取り組みをよく見ると、豪栄道の力が微妙に落ちていることがわかる。
 本人は夢中だから気づいていないが、仕掛けた白鵬はそのことがわかっている。
 白鵬は確信犯なのだ。

 勝つためには、横綱が頻発する技ではないことを百も承知で、相手の耳やら側頭部やらをでっかい手で、力まかせに張り飛ばすことで、相手の脳に一瞬のダメージを与えることで自分が優位に立つ――ということを計算し、実行している。

 それが白鵬なのである。
 そういうことをしなくても勝てるにもかかわらず、そういうことをやり続けているところに問題があるのだ。
 

脳震とう・鼓膜破裂につながる「張り差し」

 「張り差し」で受けたダメージがもっと大きい場合が、「脳震とう」である。
 過去に何人もの力士が、立ち合いざま、張り手を食らって、その場に崩れ落ちている。
 観客は、何が起こったのか、すぐには理解できない。

 力士の力は半端ではなく、それが顔面ではなく、側頭部を打つのだ。
 
 「張り手」は認められたわざだが、それは顔面を張るわざであって、鼓膜を破る可能性のある耳を狙ったり、脳震盪を起こす可能性がある側頭部脳の張り手を容認したわけではない。
 ただし、相撲は激しく動くから、顔面を狙っても、結果的に耳に当ったり側頭部に当たったりすることはありえる。
 だが、意図的にそうなることを狙ってやったとしたらどうなるか!?「張り差し」「張り手」で起きる可能性がある症状を、「慶應義塾大学医学部の情報・健康サイト」より引用する。

▼頭蓋内損傷に共通する症状
 脳のどこが損傷されるかによって症状は変わりますが、一般的には頭痛、嘔吐、運動麻痺(特に半身運動麻痺。真っ直ぐ歩けない、立てない、顔が曲がる)、感覚障害(特に半身のしびれ。びりびりする、触っても感覚が弱い)、言語障害(言葉が話せない、呂律が回らない、理解できない、会話が成り立たない)などに始まり、進行すると、意識障害(反応が鈍い、目を覚まさない)、けいれん発作などが出現し、放置しておけば最終的には死に至ります。

▼脳挫傷(のうざしょう) 脳に大きな力が加わり、脳がくずれ、出血を起こすことがあります。脳がくずれることを脳挫傷(のうざしょう)、出血した場合を脳挫傷性血腫(のうざしょうせいけっしゅ)と呼びます。脳挫傷は力が加わった部分の全く反対側(例えば前頭部をぶつけた場合には後頭部)に生じることもあります。これをコントラクー外傷といい、ぶつけた直下の外傷をクー外傷といいます。

(城島明彦)

2015/07/21

9日目の〝ダメ押し〞は氷山の一角――横綱の品格クソ食らえの白鵬の〝三段悪〞


審判長の注意に「熱いのが出た」では詫びとはいえない

 昨日(7月場所9日目)の逸ノ城との取り組みで見せた白鵬の土俵態度は、ひどかった。
 寄り切って勝負がついた直後、右手で首と顔をグイッと押したのである。

 相撲用語でいう「ダメ押し」で、勝負がついたとわかっているのに、さらに突いたり押したりして相手を土俵下に落とすような行為がそれだ。

 あまりにも「見苦しかった」ので、実況中継のNHKのアナウンサーも指摘し、複数の他局のニュース番組(スポーツ)でも報じられた。

 審判(副部長)もさすがに見かねて本人に注意したので、白鵬もしぶしぶ詫びたが、
 「熱いのが出た」 
 というコメントでは、〝土俵を汚した〞ことを心底から反省しているとはとても思えない。
 相撲を完全になめている。そう思った大相撲ファンは決して少なくはなかったろう。

 昨日の白鵬のふてぶてしい態度は、まるで〝不品行の三段跳び〞だった。
  ホップ:張り差し(左手)  
  ステップ:ダメ押しの顔面張り押し(右手)
  ジャンプ:懸賞金の束でガッツポーズ

 そこで、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」をもじった川柳を一句。※枯れ尾花はススキ

  白鵬の 本性見たり 下劣花(げれつばな)


 なぜ「張り差し」「張り手」を頻発する必要があるのか
 
 大体、白鵬は、無敵の横綱でありながら、「張り差し」や「張り手」を頻繁に繰り出す。
 
 そんな手を使わなくても勝てるのに、わざとやるところが問題なのだ。
 たとえ立ち遅れ、受けて立っても、相手を問題にしないだけの強さが白鵬にはある。
 それなのに――というわけだ。

 白鵬が、もし仮に双葉山の69連勝という記録を破ったとしても、横綱にふさわしい取り口をしない限り、双葉山は無論のこと、大鵬や貴乃花と肩を並べることなどできないのだ。

 大鵬や貴乃花には、どこか寂しげな〝神々(こうごう)しい孤高の影〞が漂っていた。
 そうさせていたのは、国技である大相撲の頂点に立つ横綱の重責であり、誇りであり、品格であった。

 だが、白鵬には、偉大な横綱に必要不可欠な「品格」と「神々しさ」が抜け落ちている。
 口では、殊勝なことをいっぱいいっているが、ふっとボロを出すときがあるのだ。

 昨日の逸ノ城との一番で見せた「ダメ押し」も、その一つだ。


品のない「懸賞金のガッツポーズ」をなぜやめないのか

 懸賞金を受け取った後の横綱にはふさわしくないガッツポーズを、改めようとする気持ちなどないのではないか。

 白鵬は、渡された懸賞金の束が厚いときに、これみよがしに掲げて「ノ」の字を描くようにガッツポーズをする。

 実に品がない。
 にもかかわらず、相撲協会が注意したという話を聞かない。
 相撲は神聖な格闘技である。
 土俵もまた神聖である。土俵にあがる力士は、力水をつけてもらい、口の中をすすいぎ、塩をまいて土俵を清める。

 そういう土俵上で、ガッツポーズをするのは、横綱としてあるまじき下品な行為だ。
 勝負が終ると、双方が向き合って礼をする。
 そういう精神をも愚弄していることを知らないといけない。

 それは、古式にのっとっているのだ。
 古式とは、儀式を重視するものである。
 であれば、懸賞金でガッツポーズをするなどという神を冒涜(ぼうとく)するような不遜(ふそん)な行為が許されるわけがない。

 そういうことを改めず、やり続けるような横綱なら、さっさと引退したほうがよい。
 強いだけが横綱ではないのだ。


日本人とモンゴル人の「民族差=身体能力差」は歴然

 残念ながら、相撲の身体能力はモンゴル人の方が日本人より勝(まさ)っている。
 照ノ富士、逸ノ城といったモンゴルの新進勢力の台頭を見ていると、改めてそう思う。

 力の差は、「民族差」である。
 昨日今日に生じた差ではない。長い歴史の間に培われた「民族的な身体能力の差」である。

 その民族に適したスポーツというものがあり、相撲は日本人に適していると思われたが、モンゴル民族の身体能力は日本民族の比ではなかったのだ。
 
 モンゴル人が相撲界に進出して、次第に頭角を現してきた当初は、日本とモンゴルの経済力の差が「ハングリー精神の違い」になって出ているという見方もされたが、それは「二の次」である。
 モンゴル人が次々と横綱になる最大の理由は、前述した「民族的な身体能力の差」なのである。

 短距離走で、白人が黒人に勝てないのと同じ理屈なのだ。
 そのことは、相撲ファンなら誰でも気づいていることだ。
 
 日馬富士は、今場所は途中から休場したが、この横綱もやたら張り差しをしたり、取り組み中に張り手を連発する傾向がある。
 そういう荒っぽい取り口は、モンゴル民族の荒々しい血がさせるのかもしれない。
 だが、ここは日本だ。
 神事と深く関係している伝統的で神聖な土俵上での戦いには、日本流の礼儀や所作を守らなければならない。
それが嫌なら、相撲界から足を洗えばよい。


照ノ富士と逸ノ城は「張り差し」を封印せよ

 同じモンゴル出身の新鋭でも、優勝して大関になった照ノ富士はふてぶてしいが、関脇になった逸ノ城は心臓が小さい。
 逸ノ城は、幕内に上がった場所で上位陣と対戦したとき、立ち合いに変わったり、はたいたりした。奇襲戦法で勝ったのだ。

 一方、照ノ富士は横綱に平然と「張り差し」にいくなどクソ度胸がある。
 
 白鵬がダメ押しした同じ9日目の勝負では、鶴竜も、相撲の途中で互いの体が離れたときに、とっさに右手で張りに出た。その結果、脇があいて、栃煌山に飛び込まれ、そのまま押し切られた。
 顔面を張ろうとする根性が浅ましい。
 
 モンゴル勢は、特に張り差しが多い。
 突っ張るとか、ガッと組みついて行くとかして、それで破れたのなら、誰も文句はいわない。
 
 照ノ富士も、白鵬、日馬富士、鶴竜のように、横綱になっても、頻繁に張り差しにいったり、勝負の途中で、相手の顔面に張り手をかますなどという〝安易な手〞は使わないようにしてほしい。
 大きな岩のような体なのだから、今から堂々とした相撲を心がけ、早く横綱になって、大鵬や貴乃花のような「品格」漂う神々しい名横綱になってもらいたいものだ。

(城島明彦)

2015/07/16

断末魔の「花燃ゆ」、〝Xデー〞近し!? 〝イケメン集団〞のワイガヤに失敗し、〝美女集団〞の大奥イビリへ突入


視聴者の期待を裏切り続けるNHK

 イケメン俳優を集めて「幕末男子の育て方」などという「チャラすぎるキャッチフレーズ」を掲げて女性視聴者を取り込もうともくろんだNHKだったが、松下村塾生のワイガヤ(ワイワイ、ガヤガヤ)に〝おにぎり製造・運搬役〞の主人公文がやたら顔を突っ込むという強引な展開は、大河ドラマの常連視聴者の失笑を買い、「レベルの低さ」を疑われて、視聴者ばなれを招いた。

 断末魔のNHKは、今度は乃木坂48を奥女中に起用して視聴率アップを図ろうとした。
 目先が変わって、視聴者の一部が興味を持ち、

 (6/28)9・9%⇒(7/5)10・3%⇒(7/12)12・4%

 と、ここ3回だけの視聴率を見ると、上昇に転じた――かのような印象を受けるが、問題は次回(7月19日)以降。

 7月19・20日は連休であり、19日はワースト更新の最初の危険日である。


ワースト視聴率更新は、7月か8月か10月か――〝Xデー〞、迫る

 「花燃ゆ」は放送開始から4か月目の第15回(4月12日)という早い段階で、

 9・8%(東京地区/ビデオリサーチ調べ)

 という信じがたい低視聴率を叩き出した。

 「あの低視聴率の」という〝枕詞〞がつく「平清盛」でさえ、ヒトケタの視聴率を記録したのは、ドラマ開始から8か月後の第31回(8月5日)だった。
 もっとも、そのときの視聴率は、7・8%という異常な低さだったが――。

 だが、その数字は、「花燃ゆ」にとって人ごと、別世界の出来事ではない。
 その記録を更新し、大河史上空前絶後の最低視聴率となる〝Xデー〞は近い。
 早ければ7月中、遅くても8月に来る可能性なきにしもあらずである。

 そこを乗り切ったとしても、秋口になってプロ野球やサッカーなどの優勝がかかった試合中継を裏番組で放送すれば、その時点で「アウト!」だ。


 (城島明彦)

2015/07/07

大塚まで行ってきたら、疲労こんぱい、おお疲れサマー


年をとると、ろくなことがナイジェリア

 世間じゃ、中国人観光客の〝爆買い〞が話題になっているが、
 こちとらは、執筆のストレスで、大好きな〝スイカの爆食い〞だ。

 直系30センチの巨大スイカを、ご飯変わりに、シャリシャリ、パクパク。
 「余は満足じゃ」
 となるはずが、新陳代謝の衰えはオトロシイ、いや、恐ろしい。
 急に体重が数キロ増えてしまいましたとさ。

 そうしたら、テキメン、膝に来たのでございます。
 「おい! 鬼太郎」(老い、来たろう)

 来たかチョーさん、待ってたホイ!
 ♪春が来た 春が来た どこに来た
  膝に来た 腰に来た 頭に来た!

 ♪目の奥ジンジン、ナポリンリン (エーザイの「ナポリン」は眼精疲労に効くとか)
 「目にも北きつね物語」などと、ノンキに歌っている場合ではございません。

 膝に来た。
 重いスイカを持ったのがまずかったのか、
 「これがホントの、スイカンバンヘルニヤ」
 などと、冗談いっているうちはまだ余裕があった。
 しかし、だんだんヤバクなってきた。

 膝はガクガク、足ヨロヨロ
 視力ガタガタ、腰フラフラ
 股間レロレロ、おつむテンテン
 ラレラレバ~イ

 ♪坂道の下の 小さなクラブ (吉永小百合の「坂道のクラブ」の出だし)
 坂道は登りより、下りの方が膝にきついのであります。
 思い荷物を持って急な坂道を登ると、息がゼイゼイ、心臓バクバク。
 しかし、急な坂道を下るときは、膝に来る来る、腰にも来る。
 来るわ、来るわで、くるくるパーで、クルリンピック。
 昔なら〝廓(くるわ)狂い〞でありますな。

 ♪膝がグリグリ 皿ジンジン
 「ちょちょちょ、あわわ」の心境でございます。
 ♪おつむてんてん かいぐりかいぐり
 不摂生、ここにきわまれりでございますな。

 ♪お~ソレミヨ、恐れて見~よ? アモーレ見よ、尿漏れ見~よ?


大塚娘は〝家具屋姫〞

 行き先は「大塚」。もうすぐ夏だ。
 お~疲れサマー。
 山手線「池袋」の隣でございます。

 大塚といえば、大塚のボンカレー。
 「3分間、じっと待つんだぞ」
 いや、もう一つあった。
 大塚娘といえば、大塚家具の〝かぐや姫〞久美子社長でございます。
 経営権をめぐるオヤジ殿との必殺バトルで、〝家具屋悲鳴〞となりました。
 大疲れさま~。


ねんねんコロリ、ゴキブリころり

 ♪隣のあの子は 大塚娘 
  あいつの彼女も 大塚娘 
  大塚形成美容外科

 懐かしいCMソングを口ずさみながら、
 原稿のゲラを届けに、大塚駅まで行ってまいりましたのさ。
 郵送するより、もって行ったほうが早いのでございます。

 おかげで、膝はガクガク。がく然とする日々でございます。
 ゆっくり寝るには各停(各駅停車)が一番。各停に限ると確定!
 帰りは車中で、〝爆睡〞また〝爆睡〞でありました。
 家に着いても、気力減退。精力はとうに〝爆衰〞。
 膝にシップ薬を張り~ポッター。
 そしてそのまま、ねんねんコロリ、ゴキブリころり。
 そのまま死んだら、ぴんぴんコロリ、寝んコロリ。
 オイラはいつしか、深~い眠りに落ちていたのでございます。

 と、夢かうつつか、リンリン ランラン 電話がリンリン。
 爆睡より目覚めて受話器をとれば、
 「参考文献の原稿、まだですか」
 と編集者からの矢の催促。
 「や~ね」
 思わず出そうになるダジャレのオカマ言葉を押し殺しつつ、時計に目をやれば、
 ギョギョ、ギョエテとは俺のことかとゲーテいい。
 真夜中の1時を回ってオリンパス。

 飛び起きて、パソコンの前へ。
 作成中のワード文書に加筆して、メールで送りましたとさ。
 オイラもすっかり疲れてしまいました。

 ♪お~疲れし わが胸 父母を慕う
〝アメリカ音楽の父〞といわれているフォスターの名曲「故郷の人々」(スワニー河)の一節でございます。


ここからは、少しまじめに――

 フロリダ州の州歌になっているこの曲の原題は「Old Folks at Home」。
 「故郷の人々」は直訳ですな。
 150年以上も昔の1851年につくられた曲なので、ペリーの黒船が来襲する2年前ということになりますな。

 日本語訳の歌詞の出だしは
 ♪遥かなるスワニー川 その下(しも)

 「しも」という言葉は歌詞らしくなく、余りきれいな言葉ではないが、訳詞だから仕方がないというところか。
 原詞はというと、

 ♪Way down upon de Swanee ribber,Far, far away,

 riverではなく、ribberとなっているし、フランス語の「de」(英語のofに該当)が出てくるので戸惑ってしまうが、「スワニー河を、遠く、はるか遠くへ下っていく」といった意味の歌詞になっている。
 で(de)、オイラなら、「遥かなるスワニー河」は生かし、こう訳す。

 ♪遥かなるスワニー河 下(くだ)って


(城島明彦)

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