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2015/06/18

「雨あめかんむり」に「冢」と書いて、「豪雨」と読む?


きのうの集中豪雨馬は、すごかった

 いまは、梅雨のまっさかり。
 横浜界隈でも、ものすごい雨が降りまくった。

 地下鉄に乗るときは、ほとんど降っていなかったのに、
 30分後にターミナル駅を降りると、とんでもないことになっていた。

 大量の雨が、轟然たる音をたてて降っていた。
 尋常の雨ではない、太く短い線の連続模様に見える。
 いや、線ではなく、棒だ。
 雨の棒だからアメンボウ。
 アメンボウが水面で動くと、雨が降ったようになる。

 それにしても、すさまじい豪雨だ。
 劇雨とか激雨とか超雨という表現はないが、限度を超えている。

 「こんなことってアルキメデス?」
 と、あきれ蛙もびっくりして姿を見せない。
 バス待ちのたくさんの人も、茫然と見つめている。
 「茫然」の茫にはサンズイ(=水)がある。
 若い女の子は、スマホで撮影している。
 友人に知らせるのか、待ち受けにでも使うつもりなのか。

 天気予報を見ずに、傘も持たずに外出した私は、
 「これだけの勢いで集中的に降れば、すぐに止むだろう」
 と軽く考えたが、10分待っても、15分待っても、雨の勢いは一向に衰える気配を見せぬ。


 「困ったな」
 と思った瞬間、どういうはずみか、半世紀もの間、完璧に忘れていた記憶の断片が突然、覚醒した。

 (問)次の英文のカッコを満たせ。 
  It never rain (   ) it pours.

 ちょうど高1の秋頃に、受験参考書で覚えた慣用句だった。
 
 カッコに入るのは「but」だpourは「降り注ぐ」で、全体の意味は、
 「降れば土砂降り」
 面白い表現なので、一発で覚えたような記憶がある。

 脳裏に、春日八郎の歌が浮かぶ。
 ♪あんときゃあ 土砂降り 雨ん中……
 
 次いで、土砂降りは「dog & cat」だったか、「cat & dog」だったかは忘れたが、そのような英語のイディオムもあったことも思い出した。

 そういえば、集中豪雨を昔は「村雨」(むらさめ)といったということも頭に浮かんだ。
 村雨とくれば、似た語の連想で「妖刀村正」(ようとう むらまさ)だ。
 村正は、私が産湯を使った桑名の刀工。


車軸を洗う雨

 「篠(しの)突く雨」という表現を覚えたのがいつだったかは、記憶にないが、
 「車軸(しゃじく)を洗うような雨」
 という表現を覚えたときのことはよく覚えている。

 東宝に就職が決まり、助監督になるのに備えて、シナリオの基本を身につけておこうと考え、シナリオ研究所の夏期講座に通っていたときだ。
 黒澤映画のシナリオにそのような表現があったような気がするが、確かではない。
 
 道理で、昔は、時代劇の大雨シーンでは、「回る大八車」などに降りしぶく雨のカットがよく出てきた。


まぎらわしい漢字の覚え方

 次に思い浮かべたのは、小野篁(おののたかむら)。平安時代の才人だが、江戸時代には「おののばかむら」とからかわれた、その理由は、彼の著作とされる『小野篁歌字尽』(おののたかむら うたじづくし)。
 江戸時代中期に寺子屋あたりで漢字の教科書として使われた本で、漢字の面白い暗記の仕方がいろいろ書かれている。

 その本の冒頭に出てくるのは「木篇」で、これがなかなかしゃれている。
 
  春つばき 夏はえのきに 秋ひさぎ 冬はひらぎ 同はきり 

 木篇に春と書いて「椿」(つばき)、同じく夏と書いて「榎」(えのき)、秋が「楸」(ひさぎ)で冬は「柊」(ひらぎ。ひいらぎのこと)というわけだ。
 寺子屋で子供たちは「この漢字はこう覚えなさい」と教えられたのだろう。
 「爪にツメなし、瓜にツメあり」のたぐいだ。


「たかむら」だから「ばかむら」

 子どもたちは、好奇心が旺盛。
 「じゃあ、雨は!?」
 などといって、先生を困らせたので、パロディ本『小野● 謔字尽』(おののばかむらうそじづくし)が出た。
 「ばかむら」の「ばか」(●のところ)は漢字一文字で、篁をパロッって「竹かんむりに愚」という「つくり字」になっており、「ばか」と読ませている。「うそ」は諧謔(かいぎゃく)の謔という字を当てている。
 
 石という字を5つ6つ縦に並べ、下へいくほど大きくかいて「賽(さい)の河原」と読ませるなどした本である。


雨づくしで、アーメン

 話が脱線ついでに、古代エジプトの「アメンホテプ3世」の話はどうだ。
 昔、アメノフィス3世と習ったが、今ではアメンホテプ3世が一般化してしまった。
 そのアメではなく、水滴の雨の話。

 雨が天井から落ちてくると、「雨漏り」だ。雨という字のダブルパンチになっている。

 雨が形を変えると、霧や雲になる。
 キリマンジャロの霧。キリコは画家で、コキリコは日本の民族楽器。「おまえが泉に落としたのいは金のオノか、銀のオノか」と泉の神様に尋ねられたのは、キコリ。
 そういうことを書いているとキリがないのでやめるが、霧も雨の一種なのか。
 夜霧よ今夜もアリゲーター。赤頭巾ちゃん、ワニに気をつけて。(なんのこっちゃ)
 霧と霞(かすみ)と靄(もや)は、親戚かと思ったら、昔の人は、霞と雲と雪を見間違っていたらしい。
 
 ♪霞(かすみ)か雲か(くも)か はた雪か

 で始まる明治時代につくられた小学唱歌「かすみか雲か」は、ドイツの曲だ。
「はた」は「それとも」という意味。

 雨は、春には霞(かすみ)になり、夏は雷になり、青天の霹靂だ。
 冬は雪になり、霰(あられ)になり、雹(ひょう)になる。霜もおりる。
 雪に雨が混じると霙(みぞれ)だ。
 では秋は何か? 靄(もや)か。
 雲は四季を通じて形を変える。

 「雲流」(雲が流れる)と書いて、何と読む? 
 「雲、行く→公文幾問(くもん いくもん)」はどうだ。

 「雨かんむりに心」と書いて、どう読む?
 「泣き寝入り」ってのは、どうだ。

 くだらない話になってきたので、本日はこれで、おしまい。

 
 (城島明彦)

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