「花燃ゆ」の第17話「松陰、最後の言葉」の歴史的事実と異なる3つの点
大河ドラマで、脚色はどこまで許されるか
今週日曜日は、疲れていて早く眠ってしまい、「花燃ゆ」を見逃してしまったので、本日土曜日(5月2日)の再放送で見た。
よくまとまっていると思ったが、歴史的事実と異なるところが気になった。
異なる点は3つ。
①井伊直弼と吉田松陰は顔を合わせていない
ドラマでは、評定所での吉田松陰の取調べに際し、井伊大老が隣の部屋に潜んでいて、松陰の前に現われ、直接、やり取りする場面があったが、実際にはそういうことはなかった。
もしそういう事実があれば、松陰の遺書『留魂録』に書かれているはず。
②井伊直弼は判決文を「処刑」に変えさせたが、自分で直してはいない
井伊直弼は、判決文の「遠島」の上に貼られた紙の上に、自分で「斬首」と書き込むように演出してあったが、井伊直弼は「処刑にせよ」と命じはしたが、自ら「処刑」などと書くことはありえない。
③松陰が処刑される頃、萩の自宅で父母が松陰を見たのは夢の中で、幻を見てはいない
松陰の2つ下の妹の長女千代(NHKでは、なぜか、この人を登場させていない)が、後日(明治時代になってから)、雑誌の取材を受けたときに「不思議なことがあった」と言って、以下のようなことを話している。
そのくだりを拙著『吉田松陰「留魂録」』(致知出版社)の「両親の正夢」から引用する。
《松陰が斬首されたまさにその時刻に「信じがたいことが起きた」と、のちに雑誌の取材を受けた松陰の妹千代が語った。
長男の梅太郎が病に伏し、その看病疲れで布団の脇で仮眠していた父母が、ほぼ同時にふっと目を覚ました。
母が最初に、
「今、妙な夢を見ましたよ。寅次郎が、九州旅行から帰ったときよりもいい顔色をして元気な姿で帰ってきたので、『あらまあ、うれしいこと、珍しいこと』と声をかけようとしたら、忽然として寅次郎の姿は消えてしまい、と同時に目がさめました」
すると父が、
「私も同じように夢から覚めたところだ。どういうわけかわからないが、私の首が斬り落とされる夢だったのだが、実に気持ちがいいのだ。首を斬られるということはこんなに愉快なことなのかと思った」
それから二十日ばかり過ぎて松陰が刑場の露と消えたという知らせが届いたとき、両親は夢を思い出し、指折り数えてみると、その夢を見たまさにその日のその時刻に松陰が処刑されていたと知った。
野山獄から江戸へ送られる前日の五月二十四日、一日だけ家に帰ってきた。
母は風呂を沸かし、松陰が湯につかると、
「もう一度、江戸より戻ってきて、機嫌のいい顔を見せておくれ」
と声をかけた。
「母上よ、そんなことはいともたやすいことです。必ずや健康で母上のお顔を拝見することを誓います」
「孝行な寅次郎のことだから、きっとそうしてくれるに違いなかろう」
母がそのことを思い返していると、父はこういったという。
「私が首を斬られながらも心地よいと感じたのは、寅次郎が刑場の露となったとき、心に何の気がかりもなかったことを知らせてくれたに違いない」》
ドラマだから、このとおりにやれとはいわないが、井伊直弼と直接対決させたのはまずかったのではないか。
(城島明彦)
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