大学生になった君へ/浪人することになった君へ
青春時代に何をすべきか
受験に失敗すると、両親や先生は、必ずこういって慰める。
「1年や2年浪人したって、長い人生から考えれば、どうってことはない」
確かにそのとおりなのだが、受験に失敗した当人には、その意味がよくわからない。
なぜなら、「人生」とはどういうものかがわかっていないからだ。
本を読んだり、社会人の知り合いから話を聞いたりして、頭では人生のことがわかったつもりでいても、20代、30代、40代、50代と続く人生がどういうものになるかはまったくの未知数なので、まるで「実感」として理解できないのである。
青春とは、そういうものなのだ。
青春とは、発展途上にある人生の通過点に過ぎない。
青春時代は、木々にたとえるなら、どんどん若芽を芽吹き、青々と葉を茂らせ、枝葉を伸ばし、大きくなっていく時期だ。
完全な大人ではなく、どこかに未熟で幼い部分を残している。
だから、失敗も多い。
世間を知らないからである。
20代、30代、40代、50代と年輪を重ねていくと、わかるのが世間なのだ。
10代や20代の前半で、人生をわかったようなことをいう若者は、信用できない。
人の意見や考えを、まねしているだけであって、自分の足で歩き、年輪を重ねながら身につけた体験でもなければ知識でもないものを、いくらふりかざしてみたところで、所詮、それは「借り物」に過ぎない。
どんなに読書に精を出しても、わかったようになるだけで、実感としてつかめることなど、ごくごく限られている。
本の中の知識が実感として感じられるようになるのは、社会人となって理不尽な世界に生きるようになって、さまざまな経験をしてからだ。
しかし、何も知らないよりはましだ。
どんな本でもいいから、乱読するのがいい。
栄養になるもの、ならないもの、いろいろあるが、読みたいと思ったものがあれば、かたっぱしから読んだらいい。
「役に立つ」とか、「役に立たない」といった狭い了見で本を読むと失敗する。
覚えられないものは、脳や体が拒んでいるのであって、身につくものは自然と身につくし、頭に残るものは放っておいても頭に残る。
そういうことに気づくのは、社会人になって40代とか50代になってからだ。
ただし、受験のために覚えなければならないものは例外である。
どんなに評判の高い参考書であっても、どんなにすぐれた先生が書いたものでも、目や脳や体が拒否するようなものは合わないのだから、そういう拒否反応を示さない別の参考書を探す方がいい。
このことは、一般の本にもいえることだ。
読むと害になる本もある。
眠くなったり、なかなか先へ進まない本に出合ったりしたら、それが「害になる本」である。
好きでもない食事を無理に続けていると、体をこわすのと同じで、どんなに売れている本であっても、そういう本は読まないほうがいい。
合っていないのだ。
人生は不可解。やってみなければわからない。
やってみて失敗したとき、やり直しができるのも青春だ。
だから、失敗を恐れず、頑張れ!
失敗には必ず原因がある。 原因を探らずにまた挑戦しても失敗する。
もしうまくいったとしても、それは単なる偶然に過ぎず、同じ失敗は二度までと心得るべきだ。
そうすれば、やがて成功の門に至るだろう。
(城島明彦)
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