« 吉田松陰 これだけ知っていれば一人前 (1) | トップページ | 大河ドラマ史上最速! 「花燃ゆ」視聴率1ケタ突入は、統一地方選挙のせいなのか!? »

2015/04/13

吉田松陰 これだけ知っていれば一人前(2)


田舎の私塾「松下村塾」が、なぜ日本の歴史を変えることができたのか

 私が「吉田松陰の人材育成塾」と題して講演したときのメモを、2回に分けて書き記した。
 今回は2回目で「松下村塾」についてだ。
 したがって、正確には、今回だけだと〝半人前〞で、昨日の(1)と合わせて一人前だが、今回のテーマに関していえば、これだけ知っていたら一人前だ。

○松下村塾略史
 (藩主毛利敬親に講義 1840年 松陰11歳)  
 1842年 玉木文之進(叔父)が開塾
 1844年 外戚久保五郎左衛門(隠居)、引き継ぐ
 1852年 松陰、謹慎処分(実父百合之助の「育」(はぐくみ/保護観察)となる)
 1854年 松陰、密航に失敗・投獄
 1856年 松陰、獄を出て杉家に幽閉(12月)⇒翌年から教え始める
 1857年 幽閉中ながら、松下村塾で教え始める(教えた期間は2年半)

○松陰処刑後の日本の動き
 1864年 下関砲撃事件(馬関戦争)/禁門の変/第一次長州征伐
 1866年 薩長同盟/第2次長州征伐
 1867年 大政奉還 10/14 ⇒王政復古の大号令 12/9 
 1868~1869年 戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い~五稜郭の戦い)

○教え方の特徴
 「弟子」といわず、「諸友」と呼んだ。見下ろすのではなく、同じ高さで接した
 ①身分に関係なく、入塾を歓迎。対等に接した
 ②個性・得手不得手・長所短所をすばやく見つけ、長所を伸ばそうとした
 ③いつ、何時に来てもOK。遠距離通学者は宿泊もOK
 ④テキストは決まっておらず、習う者の個性に合わせた
 ⑤「歴史・地理・経済・算術を勉強せよ」「机上の学問ではなく、実学が大切」と説いた
水戸光圀編纂の史書『日本外史』、佐藤信淵の経済書『経済要録』、山鹿素行の兵学書『武教全書』
 ⑥人としての生き方、政治のあり方、身の処し方、戦い方などを教えた
 ⑦「読書するときは、抄録を必ず作成せよ。書中の主人公に感情移入せよ」と教えた

○時代を変えた愛弟子
 ①高杉晋作 9歳下 1839(天保10)年8月~1867(慶應3)年(享年29) 19歳で入門。松門の双璧
 「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」(伊藤博文の評)
 師松陰処刑の報に接し、「必ず仇を討つ」と長州藩家老に手紙を出す⇒奇兵隊結成。藩論を公武合体論から尊皇倒幕論へ導き、倒幕に成功 結核で死去
 ②久坂玄瑞 10歳下 1840(天保11)年5月~1864(元治元)年(享年25) 高杉と並ぶ〝松門の双璧〞。松陰の妹文(NHK大河ドラマ主人公)と結婚・義弟となる。「草莽崛起」思想を受け継ぐが、禁門の変で自刃。
 ③伊藤博文 11歳下 1841(天保12)年9月~1909(明治42)年(享年69) 16歳で入門、初代総理大臣

○卓越した眼力で、人材育成
 長所・短所を鋭く見抜き、長所を伸ばすように指導
 ①伊藤博文の評「才劣り学幼きも、質直にして華なし、僕頗(すこぶ)るこれを愛す」(質直:性質は素直、華なし:華美ではない)「周旋の才あり」(周旋:折衝力・政治力)
 ②高杉晋作の評「識見気魄他人及ぶなく、人の駕御を受けざる高等の人物なり」

○ライバルを競わせ、励まして双方の力を伸ばした
 高杉晋作を送る叙「暢夫(ちょうふ。高杉の字)の識を以って、玄瑞の才を行ふ、気は皆其(そ)れ素(もと)より有するところ、なにをか為してならざらん。暢夫よ、天下もとより才多し、しかれども唯一の玄瑞失うべからず」

○贈る言葉の達人
 名文・名調子で塾生の勇気を鼓舞し、やる気にさせた
 ①山田顕義に贈った言葉「百年は一瞬のみ、君子素餐(そさん・禄を盗む)するなかれ」 ※14歳で入門
 ②入江杉蔵のケース
 入熟時の評「学力等は指(さし)たる事も御座なく候(そうら)へども、誠に才智之(こ)れあり、忠義の志篤(あつ)く感心のものに存じ奉り候」 ※入江は身分が低い足軽の子。弟野村靖と最後まで忠誠を尽くした
 杉蔵を送る叙「杉蔵往け。月白く風清し、飄然馬に上(またが)りて、三百程、十数日、酒も飲むべし、詩も賦(ふ)すべし」 ※入江は〝松門の四天王〞(高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿(としまろ))の一人
杉蔵への手紙「日本もよくもよくも衰へたたこと、実に堂々たる大国に大節に死する者子遠(しえん。入江の字)一人とは、なしたなさけない。その防長に一人の子遠では之(こ)れなく、死なぬ忠義の士は山の如くあるなり」 禁門の変で戦死。享年28

 ――以上で、吉田松陰の「松下村塾」についての必要最小限のアウトラインは把握できる。
 もっと詳しく知りたい人は拙著『吉田松陰「留魂録」』を一読されたい。
 
 吉田松陰を一言でいうと、拙著のあとがきの冒頭に記したことだが、
 「死んで花実が咲くものかというが、吉田松陰は死んで花実を咲かせた人だ
 
 命がけで生きる。それほど強い生き方はないのだ。
  
(城島明彦)

« 吉田松陰 これだけ知っていれば一人前 (1) | トップページ | 大河ドラマ史上最速! 「花燃ゆ」視聴率1ケタ突入は、統一地方選挙のせいなのか!? »