「花燃ゆ」第14話「さらば青春」は緊迫感があった――頭の中で松陰とモーツアルトが重なった
映画「みじかくも美しく燃え」で流れた「ピアノ協奏曲第21番」
「みじかくも美しく燃え」というスウェーデン映画を見たのは、私が学生だった1968年。
美しいサーカス芸人の女性と妻子ある伯爵の道ならぬ恋を描いたその悲恋映画で流れた美しい旋律が、モーツアルトの「ピアノ協奏曲21番」の第2楽章。
1889年に実際にあった話の映画化で、身分違いの2人は人目を避けて逃避行を続けるが、逃げ切れなくなって北欧の短い夏の終わりに心中する。
激しくも短く、美しく燃えた愛だった。
吉田松陰の30歳という生涯もまた、激しく短く、そして至誠に殉じたその姿は美しかった。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が低視聴率にあえぐ一因は「緊迫感」にかけることだったが、第14回「さらば青春」は、幕府の大老・井伊直弼が断行したの「安政の大獄」の嵐が吹き始めて、危機感をつのらせた松陰が、井伊の腹心である老中(間部詮勝)暗殺をもくろみ、血盟するという緊迫した内容だった。
これで視聴率が少しも上らないようなら、「花燃ゆ」はオシマイだ!
松陰が〝陰頑〞(いんがん/陰湿で頑固)と評した吉田稔麿
瀬戸康史が演じている吉田稔麿(としまろ)は、おいしい役だ。
吉田稔麿は、高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一(くいち)とともに〝松門の四天王〞と称された秀才だったが、性格的に暗いところがあり、松陰は「陰頑」と評した。
姓が同じ吉田で家も近所だったが、親戚というわけではない。
松下村塾は松陰の叔父玉木文之進が開塾し、それを久保五郎左衛門(松陰の外戚)が引き継ぎ、松陰へとバトンタッチされるのだが、稔麿は9歳のときに久保五郎左衛門の松下村塾に入塾している。
家は足軽で身分が低かったが、教育熱心だったのである。
その後、稔麿は、塾を離れ、幽閉中の松陰が開いた松下村塾へ入るのは16歳のときである。
稔麿は過激派。松陰に扇動されて血盟書に血判を押したり、塾生7名とともに重役宅に押しかけるなどしたために、自宅謹慎を申し付けられた。
親や親戚は、びっくり仰天し、村塾と縁を切らせようとした。
しばらくおとなしくしていたが、松陰の死後、品川の英国大使館を焼き討ちして意気上がる高杉・久坂が提唱した「攘夷血盟書」に加わった長州藩士25名の1人となる。
松陰処刑(安政6(1859)年10月27日)から3年半後の元治元(1864)年6月5日、同志たちと京都の「池田屋」にいるところを新選組に奇襲され、斬られて重傷を負い、長州藩邸の門前までたどり着くと、そこで自刃して果てた。享年24という若さだった。
久坂もまた、その1か月半後には禁門の変で自刃することになる。
(4月6日追記)「花燃ゆ」第14話の視聴率(関東地区/ビデオリサーチ調べ)が出た、11・2%。 もはや再起不能。今後の関心は、どこまで数字が落ち込むか。いつ、「平清盛」のワースト記録を塗り替えるか、いつ、NHK大河ドラマ史上のワーストワン視聴率を記録するかに移って行くのではないか。
(城島明彦)
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