「花燃ゆ」(第13話「コレラと爆弾」)は、脇役(小野為八)に時間を割きすぎ、低視聴率11・7%というひどさ
どんな事件にも文が頭を突っ込む設定に無理がある
文がドラマの主人公なので、さまざまな事件に関わっているようにしたいという気持ちはよくわかるが、あらゆる場面にシャシャリ出ていくのは、江戸時代の武家の作法として考えると極めて不自然である。
やたら「おにぎり」を握って、尊塾生たちと親しく話し込むが、これも不自然。
そういったことも災いし、3月29日の視聴率は、「花燃ゆ」の放送開始以来、7回目の11・6%(監督地区/ビデオリサーチ調べ)に0・1ポイント差まで肉薄する低視聴率を記録した。
このままでいくと、大河史上最低だった「平清盛」のワースト記録を塗り替えるのも時間の問題かもしれない。
※当初に記載した視聴率の数字が間違っていたので訂正した。
文の声でナレーションをやるという設定もあったはずで、そういう設定なら、重要な事件の現場にいなくても、後で誰かに聞いた話としてナレーションしても不自然とは感じない。
松陰にもっと時間を割くべきではないのか
3月29日放送の大河ドラマでは、小野為八(ためはち)にずいぶん時間を割いていた。
長崎で火薬技術を学んだ点は、塾生の中では異色だが、高杉晋作や久坂玄瑞らに比べると、はるかに小物。どうして長々と時間を割いたのか、私には理解不能だ。
為八は、文政12(1829)年1月8日生まれなので、松陰より年齢が一つ上。
自筆の履歴書が残っていて、天保15(1844)年5月5日に松陰の山鹿流兵学に入門したとあるが、松陰はまだ見習い中だから、直接習ってはいないのではないか。
松下村塾に学びにきたのは30歳というから、この点はかなり異色だ。
為八は明治40(1907)年まで生き、79歳で死んだ人なので、日清・日露の両戦争も知っている。
為八は、藩医の生まれだが、長崎に留学して西洋砲術を習得し、松下村塾に通っているときに「地雷火」(地雷)の爆発実験をやった点は面白いかもしれないが、のち、高杉晋作が結成した「奇兵隊」に加わって大砲の指導を行い、幕府との戦争でも大砲隊長になって活躍してはいるが、あくまでも脇役のひとり。
「地雷火」(地雷)の爆破実験も煙しか写していない。
謹慎中の松陰が出かけるわけには行かないから、背負っていったと伝えられているが、NHKなら実際に爆破させるところを見せてほしかった。
それと、為八に長い時間を割くなら、松陰が、なぜ幕府の大老・井伊直弼(いい なおすけ)の腹心である老中・間部詮勝(まなべ あきかつ)の暗殺に傾いていくかということにもっと時間をかけるべきである。
(NHKは、それは次回で描くというかもしれないが、コレラと爆弾に1話分を取る必要性などないのではないかということだ)
無勅許(天皇の許可を得ない)で〝不平等条約〞(日米修好通商条約)を結んだのは井伊直弼の独断なのだから、常識的に考えるなら、暗殺目標は井伊直弼のはず。
ところが、松陰が暗殺目標にしたのは、間部詮勝であって、井伊直弼ではない。
松陰は、「安政の大獄」で江戸伝馬町の牢獄にぶちこまれ、評定所(今の最高裁判所)の取調べを受ける。
その結果、処刑の判決が下るが、松陰は、井伊直弼が悪いとは考えず、遺書『留魂録』には井伊直弼の名は一つも出てこない。
この点が、松陰の大きな謎となっている。
たとえ間部を暗殺しても、井伊直弼が生きていたら意味がない。
こんな簡単な理屈が松陰にわからないはずはないと、私を含め、吉田松陰を高く評価している者は、つい考えてしまう。
しかし、そう考えることは、もしかすると、かいかぶりなのかもしれない。
松陰は、幕府の動きを江戸の藩邸にいる門下生からの手紙で知るだけだったから、正確な情勢を把握できていなかったのではないか。
つまり、全貌をよく知らなかったのかもしれないということだ。
松陰は獄中からの手紙で、間部の暗殺に決起するよう門下生にしきりに檄を飛ばすが、桂小五郎らから時期尚早とさかんに諫められるのも、自分自身の目で江戸の動きを見ていなかったからではなかったか。
京都の動きは察知できても、江戸の動きを理解できていなかった可能性もないとはいえないのである。
後に水戸藩の浪士が江戸城の桜田門外で、井伊直弼を暗殺するのは、井伊が無勅許で不平等条約を締結したためであり、それに対し意を唱えた藩主を安政の大獄で処罰したり、尊皇に動いた志士を処刑にしたからだ。
暗殺すべき相手は、井伊直弼なのである。
(城島明彦)
« 渋谷の東急プラザがなくなり、「カフェ シャリマァル」も消えた | トップページ | 「花燃ゆ」視聴率が〝大河ドラマ視聴率ワースト1〞になる日 »