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2015/02/26

「花燃ゆ」の長州藩牢獄につながれた36歳~76歳の11人+松陰27歳


在獄期間の最長49年~最短3、4年

 アメリカへの密航に失敗した松陰は、江戸伝馬町の獄に送られたが、松陰の志に打たれたペリー提督の働きかけもあり、萩の長州藩へ送還された。

 長州藩では、処遇を「借牢にせよ」と松陰の父百合之助に勧めた。
 しかし、百合之助は受け入れず、「松陰は体が弱いので自宅に引き取りたい」と願い出る。
 これまた聞き入れられなかったため、
 「ならば、しばらくの間だけでも自宅に」
 と希望したが、これも聞き入れられず、結局、「借牢」という形の投獄となった。

 松陰が込められた武士用の獄舎「野山獄」には、11人の囚人がいたが、松陰のように藩からの要請を受けて「借牢」(しゃくろう)の形で投獄された者が4人、親戚が言い出して「借牢」となった囚人が5人で、その中には唯一の女囚高須久子もいた。
 藩の裁きを受けて投獄された囚人は、たったの2人に過ぎなかった。

 「借牢」は、親や親戚が食料や衣類などを差し入れる形で負担したので、藩は金を出す必要がなかった。

 安政元(1854)年10月24日に野山獄にされた松陰は、安政2(1855)年12月15日に野山獄を出獄し、杉家に幽閉されることになるが、そのときに獄のことを書いている。

 南北2棟全12房に投獄された囚人たちの顔ぶれを、松陰は、「野山獄囚名録序論」(「丙辰幽室文稿」に収載)に、在獄期間の長い順に以下のように記した。

 大深虎之允   76歳 在獄49年
 弘中勝之進   48歳 在獄19年
 岡田一廸    43歳 在獄16年
 井上喜左衛門 38歳 在獄9年
 河野数馬     44歳 在獄9年
 粟屋與七    不明  在獄8年 ※年齢が原本では不明
 吉村善作     49歳 在獄7年
 志道又三郎   52歳 在獄6年
 高須氏寡婦   39歳 在獄4年 ※高須久子
 冨永弥兵衛   36歳 在獄4年
 平川梅太郎   44歳 入獄3次・通算3年

 文末に「右行年(ぎょうねん)在獄、以丙辰歳言之」とあるので、出獄した翌年の年齢だとわかる。「丙辰」という干支は安政3(1856)年のことだから、松陰自身は27歳ということになる。
 これを記したのは同年3月28日である。

 囚人のうち最年長かつ最長投獄期間の大深虎之允は、前述したように「76歳 在獄49年」となっているが、その1か月後の5月1日に書いた「野山獄記」では、
 「大深虎之允といふ者あり。行年七八十。獄にあること五十年」
 とあり、年齢や在獄期間が微妙にずれてはいるものの、半世紀もの間、牢に込められていたことは間違いない。

(城島明彦)

2015/02/24

「花燃ゆ」の嘘――文が何度も野山獄(のやまごく)通いするのは不自然


獄中の松陰に毎日のように会いに行ったのは、兄梅太郎

 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」では、文が頻繁に獄へ通っているが、実際にはいっていないのではないか。通っていたのは、兄梅太郎である。

 松陰が書き残した『野山獄文稿』収録の「紀往事」(往事をおさむ)には、
 「兄が司獄(獄吏)の福川犀之助。ふくかわ さいのすけ)と懇意だったことから、面会を特に大目に見てくれ、過去に例を見ない頻度で何度も会いに来てくれた。そのうち、兄はほとんど毎日1回訪ねて来るようになった」
 と書かれているが、文が訪ねてきたということはどこにも触れられていない。
 
 しかし、ドラマでは文が主役だから、文も頻繁に通わないと話が盛り上がらない。
 演出としては難しいところだ。

 司獄の福川犀之助がいい味を出している。
 あのような雰囲気だったのではないかと思わせる。

 福川役の田中要次が、なかなかいい味を出している。
 実物の福川犀之助は、あのような感じだったのではないかと思わせる。

(城島明彦)


多摩川河川敷で中1少年を殺した複数少年とその親は命で償え!


 何もなければ、あと半世紀以上も生きられる可能性のあった少年の命を奪った不良高校生らは、見つからないとでも思ったのか。

 見つかって捕まっても、少年院送りですむとでも思ったのか。

 人を殺しても、のうのうと生きていけるなら殺し得、殺され損だ。

 「未成年」というなら、未成年を保護監督する親に責任が生じる。

 少年を殺した少年の親は、その子を殺して世間に詫びるか、それができないなら、おのれが死んで死んだ少年やその両親、そして世間に詫びることが、人としての道だ。

 (城島明彦)

2015/02/16

「放たれる寅」(「花燃ゆ」第7話)はドラマとしては感動的な内容だったのに、なぜ視聴率が驚異的に低かった(11・6%)のか?

「平清盛」の4月の視聴率より悪かった

 第7回「放たれる寅」(2月15日)は、関東地区では11・7という低視聴率を記録した。
 近年最悪といわれた「平清盛」が11%台(11・3%)に突入したのは4月1日の放送(第13回)だったが、「花燃ゆ」は2月半ばの「第7回」の時点でそのワースト記録を更新してしまった。

 前回(第6回)も含め、「一般的なドラマ」としては面白いが、「大河ドラマ」としては「どうも違う」と視聴者は考えているのではないか、と私は思った。


NHKと視聴者の求めているものが違ってきた

 NKHが描いているのは、「明治維新に火をつけた最大の功労者の一人」である吉田松陰という兵学者・思想家・教育者と彼の家族との愛や友人らとの友情が中心である。
 そういう描き方は、「あまちゃん」「花子とアン」「マッサン」のような朝ドラが得意とするところ。

 一方、視聴者はというと、
 「家族・友人・恋人との話は、国家の大計の前には霞んでしまう
 という描き方をNHKの「大河ドラマ」に求めているのではないか。
 半世紀にもわたって連綿として続いてきた大河ドラマは、かつては「国民的ドラマ」として圧倒的な支持を受けた。

 そういう時代から多くの視聴者が大河ドラマに求めてきたのは、激動する時代の中で激しく生きてきたヒーローたちだった。

 今回の大河ドラマも、幕末という日本史上屈指の激変期を描いている。
 視聴者が期待するのは、260年も続いた江戸幕府の封建制度を打倒して日本の近代化を推進した歴史上の大事件やそれにつながる数々の出来事の実話だけでなく、NHKが新しく発掘した裏話のようなものである。

 そこに両者の大きな乖離(かいり)がある。私には、そう思えてならない。


金子重輔との護送道中をもっと描いてほしかった

 前回(第6回)は、吉田松陰がペリーの艦船に乗り込んで密航しようとして断られ、自首後、江戸から長州へ送られ、そこの獄に込められたときの話を描いていた。
 そのとき、一緒に密航しようとした金子重輔(重之輔)は、護送中に腸チフスのような症状を呈し、病状が徐々に悪化していく。 ※重輔は「じゅうすけ」、重之輔は「しげのすけ」と読む。
 そして金子は、長州藩の獄で死んでしまうのだ。

 金子は松陰の最初の弟子である。
 松陰の弟子というと、文の最初の音となる久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文らを連想するが、金子は彼ら以前に松陰から薫陶を受けているのだ。

 記録から推察できるのは、金子は夢と希望と向上心にあふれ、自分も海を渡ってアメリカへ行ってみたいと夢見た素朴な青年だった。
 その心意気は、戦国時代の百姓が武士になって出世しようと考えた秀吉の「青雲の志」に通じるものがある。

 金子は、長州藩の江戸藩邸で松陰と出会い、身分を超えた接し方をする松陰の話に強く引かれ、懇願して弟子にしてもらい、松陰とともに密航しようとしたのである。

 密航に失敗してその弟子を死なせたという思いは、生涯、松陰を苦しめる。
 松陰は、金子の霊を鎮魂する追悼集を出している。
 そこには、松陰の金子に対する切々たる思いがあふれている。

 江戸から長州へ送られるときの金子の悲惨な様子は、松陰が克明に記録し、護送した人間の記録も残っている。
 それによると、身分が低いので松陰のような扱いを受けず、金子は下痢をし続け、衣服は糞尿にまみれる。松陰は、下着を変えてやってほしいと頼むが、すんなりと聞き入れられることはなかった。
 その様子をNHKはなぜ克明に描かなかったのか。

 金子に気をつかう松陰の温かい思いやりを、護送する側の人間は理解できかねたのである。
 そこには、江戸時代という「身分制」があり、松陰の考え方の方が異質だったのである。


女囚高須久子を詳しく描く必要はあるのか

 11名いた囚人のうち、高須久子は唯一の女囚である。
 そう考えると、野次馬的な興味は湧く。だが、そちらの関心事を追いかけていくと、「天下国家を論じる」という視点はどんどん薄れていく。
 
 NHKは、高須久子がなぜ牢に入れられたのかという話を詳細に追い、松陰が世捨て人となった囚人らに「孫子」や「老子」を講義し、松陰自身も他の囚人が得意とする書道や俳句などを、一緒に学ぶという内容にした。
 これは事実ではあるが、高須久子と文が絡むところまで話を広げていくと、核心から外れていってしまう。
 文が18歳の久坂玄瑞(くさか げんずい)と結婚するのは、15歳のときである。

 当時の15歳は数え年だから、今なら満14歳。中2だ。
 しかし、彼女を演じている女優(井上真央)は、そんな少女にはとても見えない。
 久坂玄瑞を演じている役者も10代とは思えない。

 だから、文の大人っぽい姿かたちと、しゃべっている子どもっぽいセリフに違和感が生じている。
 「花燃ゆ」は人物名のテロップをきちんと入れて初めて見た人にもわかるようにしているが、年齢もカッコつきで入れないと、文はこのとき何歳なのかということが、視聴者には理解できないのではないか。

(城島明彦)
 

2015/02/15

「花燃ゆ」の第7話予告編で思ったこと――「逃げの小五郎」「逃げずの松陰」


小説の主人公のような名前「桂小五郎」

 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の第7話「放たれる寅」の予告編に、東山紀之が扮する桂小五郎が出てきたのを見て、子どもの頃を思い出した。

 桂小五郎という名前は、小学生の低学年の頃に初めて知ったが、名前の響きがカッコよかったので、いっぺんで覚えてしまった。

 桂小五郎は剣の達人だったが、危ない場面になると、決まってこっそり姿を消す習性があったところから、「逃げの小五郎」と揶揄(やゆ)された。
桂小五郎は、のちに木戸孝允(きど たかよし)と改名したことを知ってガッカリした。
「孝允」は、昔は音読みして「こういん」といっていたが、いまはそう呼ばなくなっている。

 桂小五郎は「三十六計逃げずに如(し)かず」を絵にかいたような男だったが、逃げまくったおかげで総理大臣にまでなった。
 祇園祭の前夜に池田屋で密談していた尊攘派の志士を新選組が急襲し、殺傷に及んだ「池田屋事件」では運も味方した。早く顔を出したら、誰もいないので、出直し、命拾いしている。i松陰の大親友だった宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)は、このとき命を落とした。

 桂小五郎は、用心深い性格だったから、龍馬のように政敵に簡単に暗殺されることもなく、、「話せばわかる」と馬から下りて殺された佐久間象山のような目にも遭わなかったし、大久保利通のように馬車に乗って出勤する途上の紀尾井坂で暗殺されるようなこともなかった。

 小五郎とは正反対の考え方・生き方をしたのが、小五郎の先生に当たる松陰だ。
 松陰は、老中の暗殺計画を立てたことなどを理由に、井伊直弼が断行した反動政治「安政の大獄」に連座して幕府の牢獄にぶち込まれ、取調べを受けたときも、いわなくてもいいことを真正直にしゃべってしまい、そのせいで斬首刑にされてしまうのだ。
つまり、「逃げずの松陰」なのである。


鞍馬天狗と桂小五郎

 私が小学生だった昭和30年代は、「鞍馬天狗」とか「新選組」の映画が、人気があった。
 鞍馬天狗は、勤皇の志士倉田典膳(くらた てんぜん)で、杉作少年や薩長の志士が危機に陥ると、どこからともなく、白馬にまたがった黒頭巾の鞍馬天狗が颯爽と現れて助けた。
 なにぶんにも小学生だから、どこまでが真実でどこまでがフィクションなのかがよくわからず、鞍馬天狗は実在していたと思っていた。

 スタンダールの小説は「赤と黒」、日の丸は「白と赤」だが、鞍馬天狗は「白と黒」。水墨画の世界だ。

 覆面をかぶっても、目元や声で誰だかわかりそうなものだが、そこは映画。誰も気づかないのは変だ、と子供心によく思ったものだった。

 小学生だった私の頭の中では、鞍馬天狗、桂小五郎、「月さま、雨が」の月形半平太が一緒くたになっていた。いずれも、名前がカッコよかったからだが、実在したのは桂小五郎だけである。


木戸孝允「なぞかけ」

 ◆木戸孝允とかけて 「アップアップしている水槽のなかの金魚」と解く。
 そのこころは?

 「さんけつです」(酸欠と三傑)
 ※木戸孝允は、西郷隆盛、大久保利通とならぶ「維新の三傑」。
 ※信長・秀吉・家康は「戦国の三傑」で、「別に」でバッシングを受けた女優沢尻えりかは「半尻(はんケツ)」が有名。

 (おまけ)
 桂小五郎改め木戸孝允のみごとなまでの逃げっぷりを、
 「こういん矢のごとし」
 という。

(城島明彦)

2015/02/12

Mrホンダ(本田宗一郎氏)と会った――「ホンダ、F1復帰発表」から2日後の明け方の不思議な夢


夢は時空を超える

 現実にはありえない不思議な、というより、時空を超えた不可思議な夢だった。
 普通の夢は、目を覚ました瞬間、忘れてしまっているが、その夢は不思議すぎたせいか、目を覚ましてからも鮮烈に記憶に残っている。
 
 ホンダの博物館と思えるような場所で、本田宗一郎と物理学者だった私の叔父のコラボ展示会のようなものが開催されており、私はホンダの広報マンの案内で、夢の中で会った。

 展示会場は、よく考えると、本田宗一郎が死去し、ホンダの本社ビル1階で行われた「本田宗一郎氏をしのぶ会」の会場のイメージのような気がしないでもない。
 しかし、夢の中では、当の本田宗一郎は生きているのだから、不思議だ。

 夢の中の本田宗一郎は、髪が「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の博士のように側頭部が白く長くなっているので、私はしきりに不思議がっていた。
 私の叔父は、すでに亡くなっており、壁面のおしまいの方に貼られたパネル写真だけだったが、案内の広報マンの紹介で、本田宗一郎と握手した。

 本田宗一郎と握手するのは、私の願望だった。彼が存命中に私はF1を取材して記事を書いており、本田宗一郎を取材する予定だったが、病に倒れて入院したため、会うことができなかった。その思いが夢に現れたのかもしれなかった。

 叔父と本田宗一郎については、二人は異分野の人間であり、実際には会ったこともないはずだった。
 いや、私が知らないだけで、もしかすると、京大工学部で物理を教えていた叔父の教え子の誰かがホンダに入社し、F1エンジン開発の仕事に携わっていたかもしれない。

 理屈っぽく推理すると、〝100歳で現役〞のシャープの元副社長〝ドクター佐々木〞(佐々木正)の本『生きる力・活かす力』(かんき出版)を、1昨年から昨年にかけて私が手伝ったとき、ドクターが京大工学部時代の学生だったときに、私の叔父から物理を学んだという話を聞いていた。

 それだけでなく、私の別の叔父2人(いずれも故人)が、ドクター佐々木と同い年で、学部こそ法学部・理学部と違ってはいたが、同じ京大のキャンパスにいたという奇遇だった。

 もしかすると、F1マシンの電気系統にシャープの技術が関係していたかもしれない。

 いずれにせよ、異なる過去の異分野の出来事の断片が、潜在意識化で今という次元で、なぜか合体したことで、現実にはありえないSFの世界を「夢」として創り出したのではないか。

 目を覚ましたのは、自分の話す声だった。ホンダのF1のことを聞かれて、誰かに話をする自分の声で目を覚ましたのだ。
 寝言をいっていることになる。その寝言が耳に入り、目を覚ましたということではないか。


マクラーレン・ホンダは〝強い日本のシンボル〞だった

 1月10日午後、ホンダが「F1復帰」を発表。
 青山のホンダ本社ビルの前には、16戦15勝した「マクラーレン・ホンダ」のF1マシンが展示されているニュースを見た。

 私の夢は、そのニュースと関係があるはずだ。
 発表当日のテレビのニュースでは、テレ朝「ニュースステーション」で古舘伊知郎が、子どものようなうれしそうな表情でF1に触れたのが印象的だった。
 彼は、かつてフジテレビでF1の実況中継を担当、素晴らしい中継をした。
 日頃彼がどう番組で見せる奇妙な表情とは、まるで違っていた。
 古舘伊知郎は、そのことをよく考えるべきだ。

 日本がバブル景気にわいていた時期、日章旗をほうふつさせる白地に赤い「マクラーレン・ホンダ」は、〝強い日本のシンボル〞となり、同車を操縦したアイルトン・セナの人気も加わって「F1ブーム」を創出した。

 本田宗一郎(以下、敬称略)は、創業したホンダがまだ海のものとも山のものともつかない頃にいった「いつか必ず、F1で優勝して世界の頂点に立つんだ」は、見果てぬ夢のように思えたが、それから何十年もの歳月を経て、その夢は、マクラーレン・ホンダの優勝で「正夢」となり、本田宗一郎は伝説の人となった。


キャラミサーキットでの「南アGP」がF1観戦初体験

 前に触れたように、その時期、私はF1に関わっていた。
 東京中日スポーツ・中日スポーツにF1の記事の連載し、その後、F1専門誌「F1グランプリ」という雑誌に「F1の経済学」を連載するなどしていたのだ。
 
 私が初めてF1を見たのは、早稲田大学政経学部を卒業する直前の1970年3月である。
 「週刊プレイボーイ」の読者特派員として、露木という編集者に引率されて、ローマ経由でその年のF1の第1戦が行われる「南アグランプリ」を観戦しに行ったのだ。
 そのときホンダは、F1から撤退していて、日の丸マシンを見ることはできなかった。
 
 そのとき、私は東宝入社が決まっていて、映画の助監督になるはずだったので、いつか、日本人のF1ドライバーを主役にした映画をつくってみたと思ったものだった。
 当時は、シナリオは簡単で書けるが、小説やノンフィクションを書くだけの力は自分にはないと考えていた。今にして思えば、考え違いもはなはだしく、「シナリオと小説は似て非なるもの」であることに気づいていなかっただけの話だ。

 だが、3年で助監督を辞めてソニーに入ったので、映画をつくる夢は消え、自分は映画には向いていなかったという思いが次第に強くなった。


F1本を2冊書いたことで、大学卒業間際の夢はかなった

 東宝をやめて10年ばかり過ぎた頃、小説を書きたいと思うようになり、試作してみたが、どう書いたらいいのか、わからず、なかなか筆が進まなかった。
 妙に意識し、格好をつけすぎてしまっていたのだ。
 その結果、いまにして思えば妙に純文学を意識したような〝完全な駄作〞としかいえない低レベルのものしかできなかった。
 それを、当時角川書店の小説誌「野生時代」で編集者をしていた大学のゼミの後輩に見てもらったが、返答に給するほどの駄作だったせいか、これといった感想はなく、私には不向きと思えた「大藪晴彦のようなハードボイルド物」を書いてみませんか」といわれたので、書くのを諦めた。

 その後、このままサラリーマンを続けても面白くないという思いが強くなって、ふと気が変わり、自分には娯楽性の強い小説が向いているのではないかと気づいて短編小説を書き、文藝春秋の中間小説誌「オール読物」の新人賞に応募したところ、運よく次点となり、次作で新人賞がもらえた。

 しかし、ソニーでの仕事が超多忙になり、小説を書いている時間などなくなったので、思い切って退職。物書き専業に転じたが、不思議なことにF1を小説にしたいとは思わなくなっていた。

 ところが、不思議なことに、スポーツ紙のF1ホンダ連載の仕事が舞い込んだのである。そのとき、「いつかF1のことを」と願った大学時代の夢がかなったと思った。
 そのときスポーツ誌に連載したホンダのF1は、単行本の『ホンダ魂』(世界文化社)として上梓され、かなり売れたが、現在は絶版となっている。

 それを読んだF1専門誌の編集者が、「F1を経営面からとらえた連載をしないか」といってくれ、「F1の経済学」を執筆した。
 そういう方面に目を向けるF1ジャーナリストはいなかったこともあり、2年ばかり連載が続き、その後、加筆して『F1の経済学』(日本評論社)という単行本にした。
 ホンダマシンをドライブした中嶋悟の事務所を取材で訪れたら、書棚にその本があり、彼も読み、「面白かった」と聞いて喜んだことを覚えている。

 私が学生時代に思い描いたF1への夢は、映画ではなかったが、2冊の本にしたことでかなったと考え、F1の執筆から離れた。

 ――あれから幾星霜、私もすっかりと年をとってしまった……。
 今は亡きわが父が時折、くちづさんでいたフォスターの「オールド・ブラック・ジョー」の英語の歌詞が私の頭をかすめて過ぎる。

 ♪ Gone are the day when my heart was young and gay
 (若き日は はや夢と過ぎ……)

 拙著『吉田松陰「留魂録」』の増刷が決定したという知らせを受けた日に記す。

(オールド・イェロー・ジョーこと城島明彦)

2015/02/09

「花燃ゆ」(第6回)の視聴率は0・5ポイントアップ(13・3%)だったが……


何を描きたいのかはよく伝わってこない

 前回の視聴率(関東地区/ビデオリサーチ調べ)が12・8%とひどすぎたにしても、少しは伸びた。

 唯一の女囚である高須久子のことを描いていたが、資料があるわけではないから、どう描こうが自由だが、彼女は歌舞音曲に入れ込んでいたとの記録から「妖艶さが漂う美人」と決め付けているのはどうか。
 
 今の世の中を見渡してもわかるが、芸事に打ち込んでいる女性がすべて美人というわけではなく、むしろ美人の方が少ないのが現実。

 もっとも、映画やドラマでは主役や目立つ役どころは、美男美女が演じるのが普通ではあるが、美女という設定にするとそういう話をつくらなくなり、現実離れした絵空事になっていく危険性も高いのである。

 長州藩の牢獄の様子は、松陰の記述をもとにして詳細に再現しており、視聴者の関心も高いのではないか。
 のちに処刑されるまで放り込まれる江戸の獄舎と違って、かなり自由なところだったようだ。

 本田博太郎が演じている富永有隣(とみながゆうりん)という囚人がとんでもない奇人変人だったことは史実である。
 この男は、松陰のおかげで釈放され、松下村塾でも教えるが、恩をアダで返すことになる。国木田独歩の『富岡先生』という小説のモデルとなった男で、明治33年まで長生きする。

 松陰が込められている獄舎への使いは、家族の誰がいったかは、松陰の記録には書かれていないから、文がいったとしても間違いとはいえないが、ドラマに描かれたように気軽に他の囚人と口を聞いたかどうかは疑わしい。

 登場人物にテロップを入れるようになったのは、わかりやすくてよい。

 「視聴率はダメモト」と開き直って、とんでもない冒険をすれば、おもしろくなるかもしれない。

(城島明彦)

どうもいかん、また熱を出しておネンネだ


体調不良でがんす

 ♪ 熱が出た出た 熱が出たぁ ヨレヨレ

 というわけで、仕事がはかどらぬタヌキの皮算用でごじゃります。

 
 ◆覚醒剤でまた捕まった小向美奈子が、暖房のないパトカーの中で体を震わせた。
  「シャブい!」

 ◆シューベルトの「野ばら」でもどうだ。
  ♪わらべは見たり 野中のバ~ラバラ死体

 ◆おかみさん「困った子だねえ。どこの生まれだい?」
  でっち「へえ、阿寒湖です」

 虎が死んだら皮残し、豚が死んだら骨残し、
 オイラが死んだら、灰のこす。はい、さいなら!

(城島明彦)

2015/02/06

NHKの「おはよう日本」の顔に和久田麻由子アナ起用ってか


 東大出の若手美人で、視聴率を稼ごうというわけか。
 苦しゅうない、余は満足じゃ。
 近こう寄れ。

 というわけで、左から読んでも右から読んでも同じ「回文」じゃ。

 入浴中のバカ殿がいった。
 「良い娘(こ)和久田麻由子、湯間、抱くわ。来いよ」 
 (よいこわくだまゆこゆまだくわこいよ)

 朝風呂につかりながら、こんなアホなことを考えていたら、体調が悪くなってしまった。

 というわけで、超短い「回文」。

 「だめだ」 

(城島明彦)

2015/02/05

卒業祝! 井上あさひアナへの送辞「あさひ尽くし」


清楚な美貌、知性のきらめき、控えめなしぐさ――三拍子そろった大和撫子

 井上あさひアナの「ニュースウォッチ9」キャスター御卒業の報に接し、卒業式にはまだまだ早すぎるが、「あさひ尽(ず)くし」とまいりますぞ。

【三流詩人の送辞】
い 井上あさひは
の 野に咲く花なら白百合か
う うつつの人とは思われぬ
え 絵にもかけない美しさ
あ 明るく清く楚々として
さ 小夜ふけて
ひ ひそかに香る花一輪

【まじめ中年の送辞】
い いい女じゃありませんか
の ノーだって? オー、奥ゆかしい!
う うるんだ瞳が美しい
え 笑みも最高
あ あゝ、あさひ殿
さ 去ってゆくのか
ひ 控えめな大和撫子、永遠(とわ)に咲く

【ひねガキの送辞】
い インキンタムシって、どんな虫?
の ノートルダムって、どんなダム?
う 牛若丸って、どんな船?
え 笑みって、どんな実?
あ アヒルって、どんな昼?
さ サロンって、どんな理論?
ひ ひさご(瓢)って、どんな子?

【下品なオヤジの送辞】
い いくぞ
の 乗っかってやる
う 馬乗りだぁ
え ええじゃないか
あ 暴れるんじゃねえ
さ さするだけだ
ひ ひとたまりもねえ、ガクッ (映倫カット)


どうも、失礼しました!
おっと、こんなことをしている場合じゃなかった。お仕事お仕事。

(城島明彦)

お題は「ジョニー・デップ」でございます


八っあん・熊さんの掛け合い

 ♪踊るポンポコリン ダジャレおじさん登場!

 八っあん「ジョニー・デップが新作映画『チャーリー・モルデカイ 華麗なる名画の秘密』のキャンペーンで来日したな」
 熊さん「どんな貝だかカレーだか。まっ、それはいいとして、ジョニーは早速、丸井で彼女にプレゼントだ。ジョニー・月賦!」
 八っあん「くだらねえ」
 熊さん「それだけじゃないぞ。デンタル・クリニックで矯正もした。ジョニー・デッパ!」
 八っあん「そうかい、そうかい」
 熊さん「ジョニーは、大食家のようだな。たらふく食ってジョニー・ゲップ。オマケに屁までこいた。ジョニー・ゲップ~ッ!」
 八っあん「くせっ、話にかこつけて屁しやがったな」
 熊さん「51歳で、婚約者の28歳の美女同伴。うらやましい限りだが、10年後は肥満してぶくぶく。ジョニー・デブだ、ジョニー・デップリ、ざまあみろい」
 八っあん「まだいうことあるか」
 熊さん「昔、『ジョニーは戦場へいった』という映画があっただろ」
 八っあん「それがどうした」
 熊さん「ジョニー・デップは洗浄トイレへ行った」
 八っあん「(絶句)」

 ♪ノンちゃん のがつく ノンざえもん ノンちゃか ノンちゃか

 (城島明彦)

2015/02/04

♪恵方巻き巻き 恵方巻き巻き 売っても売っても トントントン!


馬鹿じゃないのか、恵方巻き便乗セール!

 昔は、節分といやぁ、歳の数だけ豆まいて、
 拾う数をごまかす妙齢のお姉さんもおりゃりんこ。

 そういや、昔の五反田あたりのチャバレー街では、
 「本日の大サービス! せっぷんの日」
 なんていう怪しげな看板が出たもんだ。

 だけど、なんだっちゃ、今の節分は?

 マメだけじゃ儲からんというて、「恵方巻き」を売りまくる。

 そんなもん、ないが恵方だ、エイホー。
 巻き寿司のお化けだっちゅ~の、エイホーのホイ。
 九州じゃ、太か巻きたい?
 昔なら、公園あたりで大道香具師(だいどうやし)が、
 「新婚の若嫁が泣いて喜ぶ〝太か恵方巻き〞だよ」
 などと怪しげなことをいっていた。
 ええかげんに心斎橋!

 ♪納豆こねこね 納豆こねこね 糸ひいて トントントン
 ♪リューズ巻き巻き リューズ巻き巻き 時計壊れて トントントン
 ♪さらし巻き巻き さらし巻き巻き 出腹じゃ無理だよ トントントン

 困ったもんだ、ここぞとばかりに、あの手この手で売りまくる
 ああ、浅間山だよ、あさましすぎる。
 日本のあさぼらけは、遠いぞなもし。
 ここで一句じゃ。

  あさぼらけ 獲(と)れる魚は ボラだらけ
 
 ♪踊る恵方に 見る恵方 同じ恵方なら 買わにゃ損々

 駅の構内だろうが、スーパーだろうが、回転寿司だろうが、
 「恵方寿司」「恵方寿司」だ。
 困ったもんじゃ、巻き寿司だけに、あの手この手で売りまくる。
 巻く? 巻くといえば、マクルーハンはどうなった?
 婆さん、しょんべんしたいと、着物のすそをマクルーハン?
 ジンギスハーンだ、ハハ~ン、そういうことか。

 ええかげんに仙花紙!  ※仙花紙(せんかし):安手のぼろい紙

 1月初め頃から早々と
 「恵方巻き 予約 ○○日まで」
 などと張り紙をして、あおる、あおる!
 セコイ商法が日本劣島にあふれ蛙のホッカムリだぁ。

 予約日はとうに過ぎたというのに、
 当日は山のように恵方巻きがあふれかえり、即売会じゃ。

 一体全体、どうなっトルネード野茂英雄? 
 ええかげんにサラセン帝国の復活だって? イスラム国。
 アグネス・ラムとイスラム国の関係について30字以内で述べよ。

 ――てなことを毒づきながらも、みんなが買っているので、
 つい並んでしまう、バカなオイラでアリギリス。

 馬鹿につける薬はないというが、馬鹿につけいる隙(すき)はアルバニア。
 396円の恵方寿司を買おうとするオイラに、にわか店員がいった、
 「396円と696円があります。どうしますか。高い方はあちらです」
 高い方には肉巻き、安い方はごく普通の「巻き寿司」。
 肉巻きの方に視線を移したオイラに、その店員が繰り返した。
 「高くて大丈夫ですか、高くて大丈夫ですか」 オイラは、たちまちぶちきれた。
 「どういう意味だ! くたばれ、ババロア」

 ♪恵方巻き巻き 恵方巻き巻き 聞いて聞いて ぶちきれた
 
 何も買わずに、その売り場を離れたことはいうまでもない。
 
 ♪恵方巻き巻き 恵方巻き巻き (値を)引いて引いて (採算)トントントン

(城島明彦)

2015/02/02

NHK大河「花燃ゆ」、「間違いでは」と思うほどの低視聴率12・8%


まだ5回目なのに「平清盛」以下に! 「平清盛」のトラウマか? 

 月替わりした「花燃ゆ」(2月1日放送)の第5回は、12・8%という信じられない低視聴率(ビデオリサーチ調べ/関東地区)を記録した。

 「画面が汚すぎる」といわれて、視聴者に見放された、〝あの「平清盛」〞でさえ、12%台を記録したのは3月25日の第12回である。
 このままいくと、大河ドラマ始まって以来の低視聴率を記録してしまう!?
 一体全体、どうなっているのか。

 参考までに、近年のNHK大河ドラマの「第5回」の視聴率は、以下のとおり。

 「花燃ゆ」     12・8%
 「軍師 官兵衛」 16・0%
 「八重の桜」    18・1%
 「平清盛」     16・0%
 「江」        22・0%

 こうやって眺めてみると、「平清盛」がトラウマかもしれないと思えてくる。
つまり、「平清盛」でNHKの大河ドラマに失望し、以後、見ようという気にならなくなってしまったのではないか。

(城島明彦)

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