「放たれる寅」(「花燃ゆ」第7話)はドラマとしては感動的な内容だったのに、なぜ視聴率が驚異的に低かった(11・6%)のか?
「平清盛」の4月の視聴率より悪かった
第7回「放たれる寅」(2月15日)は、関東地区では11・7という低視聴率を記録した。
近年最悪といわれた「平清盛」が11%台(11・3%)に突入したのは4月1日の放送(第13回)だったが、「花燃ゆ」は2月半ばの「第7回」の時点でそのワースト記録を更新してしまった。
前回(第6回)も含め、「一般的なドラマ」としては面白いが、「大河ドラマ」としては「どうも違う」と視聴者は考えているのではないか、と私は思った。
NHKと視聴者の求めているものが違ってきた
NKHが描いているのは、「明治維新に火をつけた最大の功労者の一人」である吉田松陰という兵学者・思想家・教育者と彼の家族との愛や友人らとの友情が中心である。
そういう描き方は、「あまちゃん」「花子とアン」「マッサン」のような朝ドラが得意とするところ。
一方、視聴者はというと、
「家族・友人・恋人との話は、国家の大計の前には霞んでしまう」
という描き方をNHKの「大河ドラマ」に求めているのではないか。
半世紀にもわたって連綿として続いてきた大河ドラマは、かつては「国民的ドラマ」として圧倒的な支持を受けた。
そういう時代から多くの視聴者が大河ドラマに求めてきたのは、激動する時代の中で激しく生きてきたヒーローたちだった。
今回の大河ドラマも、幕末という日本史上屈指の激変期を描いている。
視聴者が期待するのは、260年も続いた江戸幕府の封建制度を打倒して日本の近代化を推進した歴史上の大事件やそれにつながる数々の出来事の実話だけでなく、NHKが新しく発掘した裏話のようなものである。
そこに両者の大きな乖離(かいり)がある。私には、そう思えてならない。
金子重輔との護送道中をもっと描いてほしかった
前回(第6回)は、吉田松陰がペリーの艦船に乗り込んで密航しようとして断られ、自首後、江戸から長州へ送られ、そこの獄に込められたときの話を描いていた。
そのとき、一緒に密航しようとした金子重輔(重之輔)は、護送中に腸チフスのような症状を呈し、病状が徐々に悪化していく。 ※重輔は「じゅうすけ」、重之輔は「しげのすけ」と読む。
そして金子は、長州藩の獄で死んでしまうのだ。
金子は松陰の最初の弟子である。
松陰の弟子というと、文の最初の音となる久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文らを連想するが、金子は彼ら以前に松陰から薫陶を受けているのだ。
記録から推察できるのは、金子は夢と希望と向上心にあふれ、自分も海を渡ってアメリカへ行ってみたいと夢見た素朴な青年だった。
その心意気は、戦国時代の百姓が武士になって出世しようと考えた秀吉の「青雲の志」に通じるものがある。
金子は、長州藩の江戸藩邸で松陰と出会い、身分を超えた接し方をする松陰の話に強く引かれ、懇願して弟子にしてもらい、松陰とともに密航しようとしたのである。
密航に失敗してその弟子を死なせたという思いは、生涯、松陰を苦しめる。
松陰は、金子の霊を鎮魂する追悼集を出している。
そこには、松陰の金子に対する切々たる思いがあふれている。
江戸から長州へ送られるときの金子の悲惨な様子は、松陰が克明に記録し、護送した人間の記録も残っている。
それによると、身分が低いので松陰のような扱いを受けず、金子は下痢をし続け、衣服は糞尿にまみれる。松陰は、下着を変えてやってほしいと頼むが、すんなりと聞き入れられることはなかった。
その様子をNHKはなぜ克明に描かなかったのか。
金子に気をつかう松陰の温かい思いやりを、護送する側の人間は理解できかねたのである。
そこには、江戸時代という「身分制」があり、松陰の考え方の方が異質だったのである。
女囚高須久子を詳しく描く必要はあるのか
11名いた囚人のうち、高須久子は唯一の女囚である。
そう考えると、野次馬的な興味は湧く。だが、そちらの関心事を追いかけていくと、「天下国家を論じる」という視点はどんどん薄れていく。
NHKは、高須久子がなぜ牢に入れられたのかという話を詳細に追い、松陰が世捨て人となった囚人らに「孫子」や「老子」を講義し、松陰自身も他の囚人が得意とする書道や俳句などを、一緒に学ぶという内容にした。
これは事実ではあるが、高須久子と文が絡むところまで話を広げていくと、核心から外れていってしまう。
文が18歳の久坂玄瑞(くさか げんずい)と結婚するのは、15歳のときである。
当時の15歳は数え年だから、今なら満14歳。中2だ。
しかし、彼女を演じている女優(井上真央)は、そんな少女にはとても見えない。
久坂玄瑞を演じている役者も10代とは思えない。
だから、文の大人っぽい姿かたちと、しゃべっている子どもっぽいセリフに違和感が生じている。
「花燃ゆ」は人物名のテロップをきちんと入れて初めて見た人にもわかるようにしているが、年齢もカッコつきで入れないと、文はこのとき何歳なのかということが、視聴者には理解できないのではないか。
(城島明彦)
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