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2015/02/15

「花燃ゆ」の第7話予告編で思ったこと――「逃げの小五郎」「逃げずの松陰」


小説の主人公のような名前「桂小五郎」

 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の第7話「放たれる寅」の予告編に、東山紀之が扮する桂小五郎が出てきたのを見て、子どもの頃を思い出した。

 桂小五郎という名前は、小学生の低学年の頃に初めて知ったが、名前の響きがカッコよかったので、いっぺんで覚えてしまった。

 桂小五郎は剣の達人だったが、危ない場面になると、決まってこっそり姿を消す習性があったところから、「逃げの小五郎」と揶揄(やゆ)された。
桂小五郎は、のちに木戸孝允(きど たかよし)と改名したことを知ってガッカリした。
「孝允」は、昔は音読みして「こういん」といっていたが、いまはそう呼ばなくなっている。

 桂小五郎は「三十六計逃げずに如(し)かず」を絵にかいたような男だったが、逃げまくったおかげで総理大臣にまでなった。
 祇園祭の前夜に池田屋で密談していた尊攘派の志士を新選組が急襲し、殺傷に及んだ「池田屋事件」では運も味方した。早く顔を出したら、誰もいないので、出直し、命拾いしている。i松陰の大親友だった宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)は、このとき命を落とした。

 桂小五郎は、用心深い性格だったから、龍馬のように政敵に簡単に暗殺されることもなく、、「話せばわかる」と馬から下りて殺された佐久間象山のような目にも遭わなかったし、大久保利通のように馬車に乗って出勤する途上の紀尾井坂で暗殺されるようなこともなかった。

 小五郎とは正反対の考え方・生き方をしたのが、小五郎の先生に当たる松陰だ。
 松陰は、老中の暗殺計画を立てたことなどを理由に、井伊直弼が断行した反動政治「安政の大獄」に連座して幕府の牢獄にぶち込まれ、取調べを受けたときも、いわなくてもいいことを真正直にしゃべってしまい、そのせいで斬首刑にされてしまうのだ。
つまり、「逃げずの松陰」なのである。


鞍馬天狗と桂小五郎

 私が小学生だった昭和30年代は、「鞍馬天狗」とか「新選組」の映画が、人気があった。
 鞍馬天狗は、勤皇の志士倉田典膳(くらた てんぜん)で、杉作少年や薩長の志士が危機に陥ると、どこからともなく、白馬にまたがった黒頭巾の鞍馬天狗が颯爽と現れて助けた。
 なにぶんにも小学生だから、どこまでが真実でどこまでがフィクションなのかがよくわからず、鞍馬天狗は実在していたと思っていた。

 スタンダールの小説は「赤と黒」、日の丸は「白と赤」だが、鞍馬天狗は「白と黒」。水墨画の世界だ。

 覆面をかぶっても、目元や声で誰だかわかりそうなものだが、そこは映画。誰も気づかないのは変だ、と子供心によく思ったものだった。

 小学生だった私の頭の中では、鞍馬天狗、桂小五郎、「月さま、雨が」の月形半平太が一緒くたになっていた。いずれも、名前がカッコよかったからだが、実在したのは桂小五郎だけである。


木戸孝允「なぞかけ」

 ◆木戸孝允とかけて 「アップアップしている水槽のなかの金魚」と解く。
 そのこころは?

 「さんけつです」(酸欠と三傑)
 ※木戸孝允は、西郷隆盛、大久保利通とならぶ「維新の三傑」。
 ※信長・秀吉・家康は「戦国の三傑」で、「別に」でバッシングを受けた女優沢尻えりかは「半尻(はんケツ)」が有名。

 (おまけ)
 桂小五郎改め木戸孝允のみごとなまでの逃げっぷりを、
 「こういん矢のごとし」
 という。

(城島明彦)

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