審判部批判で馬脚を現した白鵬! 相撲協会が甘やかしたから増長した!
〝勘違い横綱〞白鵬は、説教めいた話も自重せよ
白鵬が強いのは誰にもわかる。
大体、日本人力士がふがいなさ過ぎる。
白鵬に手も足も出ない。
だから、白鵬が増長し、説教めいた話をよくするのだ。
横綱は勝って当たり前、兜の緒を緩めてはいけないのだ。
もっと自戒せよ。
横綱は、ただ強いだけではいけないのだ。
強ければ強いほど、淡々としていなければならない。
白鵬は、そのことの本当の意味がわかっていない。
白鵬は、しゃべりすぎる。よけいなことをべらべらとしゃべりすぎる。
なにかというと「大鵬さんを尊敬している」と口にするが、そんなに尊敬しているのなら、大鵬にならって、もっと寡黙になったらどうか。
懸賞金でガッツポーズする〝おぞましい姿〞は横綱にふさわしくない
「どうだ!」とでもいわんばかりに、白鵬がこれみよがしに懸賞金でガッツポーズをして見せる姿は「おぞましい」の一言に尽きる。
「張り差し」やプロレスまがいの「かちあげ」のような〝セコイ技〞も大横綱にはふさわしくない。控えるべきである。品位にかける。
堂々たる体格にくわえて、堂々たる押し相撲や、がっぷり四つに組んでの豪快な投げで勝てるにもかかわらず、セコイ手を使うのは、ただただ勝率を上げようという浅ましい魂胆なのか!?
関脇ぐらいまでなら許されるそのようなセコイ手も、封印してこそ横綱だ。
立合いの変わり身同様、横綱なら、勝負に負けてもいいから「張り差し」や「かちあげ」のような手はもう使うな。
大鵬が不滅なのは、ただ単に強かったからではない
大鵬が名横綱といわれるのは、優勝回数が多かったからだけではない。
大横綱にふさわしい堂々たる相撲をしたからだ。
双葉山も同様だ。
大鵬は、マイクを向けられても多くを語らなかった。
人生を語ったり、大鵬についてあれこれ語ったりするのは、引退してからで十分だ。
勝って兜の緒をゆるめっぱなしにしてどうする。
黙っていれば神秘性が増す。
勝っておごらず、なおも精進し続ける寡黙な姿こそ、真の大横綱にふさわしい。
白鵬を増長させたのは「相撲協会の怠慢」
真の大横綱とは何か。
強いだけなく、「心技体が完成している」と第三者の目に感じられることが必要だ。
取り口が堂々として美しく、立ち居ふるまいにも「横綱としての品位」が滲み出てこそ、真の大横綱である。
審判の判定に文句をつけるなど、もってのほか、横綱の風上にも置けないということだ。
白鵬の懸賞金の扱い方にそれが現れていたが、相撲協会は注意すらしてこなかった。
懸賞金を高々と掲げて、ガッツポーズをする横綱がどこにいるか!
懸賞は「粛々と戴く」のが作法である。
横綱なら、なおのこと。
わかっていて、やっているとすれば、他の力士を小バカにし、国技をなめている、おごっているのであり、「横綱の資質」が問われることになる。
大鵬は誤審で46連勝をストップされた世紀の誤審にも黙っていた
白鵬は、稀勢の里との勝負が取り直しとなった件で、「あれは勝っていた」と相撲協会の審判部をストレートに批判した。
そもそも、大相撲の歴史のなかで、公然と審判を批判した力士などいない。
それをいっちゃオシマイなのだ!
だが、白鵬はそれを行い、相撲史を塗り替えてしまった。
バカじゃないのか。
明らかな誤審であれば、ファンが騒ぎ、メディアが騒ぐ。
白鵬は「大鵬さんを尊敬している」という繰り返しいっているが、それなら取り直しの一番にも文句をいうな。
相撲史に残る昭和44年の春場所2日目。
双葉山の69連勝を破るのではないかといわれていた大鵬が、45連勝でストップしたのは〝世紀の誤審〞だった。
戸田が勢いよく攻め、大鵬を土俵際に追い詰めた。
大鵬は俵伝いに右に回り込んで、「はたく」と戸田の右足が土俵の外に出た。
その直後に大鵬が土俵を割った。
行司軍配は大鵬に上がったが、物言いがつき、協議の結果、「行司差し違い」で戸田の「押し出し」となり、大鵬の連勝は途絶えたのだ。
その取り組みを私はテレビ(白黒テレビ)で見ていたが、戸田の足が出たので大鵬が勝ったとわかったので、
「審判の目は節穴か」
と、非常に腹を立てたことを覚えている。
翌日の新聞各紙が、戸田の足が先に俵を割っている証拠写真を掲出したことから騒ぎが大きくなり、相撲協会はビデオ判定を取り入れたのだ。
白鵬の師匠が北の湖理事長と審判部長に詫びを入れ、「白鵬も反省している」といったと報道されているが、白鵬が本当に反省しているかどうかは、来場所の懸賞金の扱い方をみればわかることだ。
(城島明彦)
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