「花燃ゆ」の「寅兄」(とらにい)と呼ぶ今風の軽い言い方に抵抗感
「長幼の序」を無視した印象を受ける
「花燃ゆ」では、現代劇的な感覚を重視したのか、文たち妹が、兄の松陰のことを今風に、
「寅兄」(とらにい)
と気軽に呼んでいるが、その呼び方に抵抗を感じる視聴者は多いのではないか。
武家社会では、幼少時から「長幼の序」について厳しく教育され、父は「父上」、母は「母上」と呼ぶようにしつけられ、手紙などを出す場合には「父上様」「母上様」と書くように教育された。
武士の師弟は、お父(とう)とか「お母(かあ)」などとは呼ばないし、「父様」「(ととさま)「母様」(かかさま)とも呼ばない。そう呼ぶのは庶民である。
同様に、兄は「兄上」、姉は「姉上」で、手紙は「兄上様」「姉上様」。
例外は、言葉がろくにいえない幼児期は例外だ。
坐る位置も、上座・下座があり、長幼の順に従った。
NHKは、そういうことを知った上でわざと無視することで自由さを強調しようとしたのだろうが、基本的なところはビシッと押さえるべきではないのか。
登場人物にスーパーを入れない悪弊がまた顔を出している
北大路欣也が扮する長州藩主が初登場する場面でも、セリフで「殿様」と家臣に呼ばせるまで、誰かわからず、スーパーを入れないのは不親切。
こういうところに、NHK制作陣のもったいぶった姿勢が感じられる。
長州藩主 毛利敬親(もうり たかちか)
と、なぜスーパーを入れないのか。
もっとも、冒頭に紹介する前回までのあらすじのダイジェストのところでは、きちんと人物のテロップをを入れており、その点は評価できるが、本編でも入れるべきだ。
おそらくNHKは、
「番組の最初に流すタイトルバックの登場人物のところに、毛利敬親 北大路欣也と書いてある」
と開き直るのだろうが、視聴者全員がタイトルバックに流れる役柄とその日の出演者を覚えていると思うのは、NHKの思い上がり。
その日初めて見る人もいるのだから、その日初めて登場する人物や頻繁に顔を出さないような人物が出てきたときには、スーパーを入れるのが親切というもの。
大河ドラマにに登場する全員を、誰もが知っているとは限らないのだ。
思い上がったことを繰り返していると、登場人物がどんどん増えて、視聴者は誰が誰だかわからなくなり、面白くなくなって次第に離れていく。
皮肉っぽい言い方になるが、「平清盛」の二の舞にならないことを祈るばかりである。
(城島明彦)
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