「花燃ゆ」番外編――〝小さな巨人〞吉田松陰役に180cmの伊勢谷友介を起用したNHKのアホさ加減
小柄だった松陰
吉田松陰が小柄だったことは、私塾「松下村塾」で間近に接していた教え子たちが証言している。
たとえば、品川弥二郎(しながわやじろう)は、
「体格の小兵(こひょう)なる人にてありしなり」
と明治26年に語っている。
小兵とは、「小柄」「体つきが小さい」という意味である。
今日ではあまり使わない表現だが、伝統を重んじる大相撲では「小兵力士」という言い方はしばしば使われる。
「小兵」という表現は、品川の次のような言葉の中で使われている。
「松陰先生の人となりを語ることは、余(よ)の身に取りて誠に忍ばざる事なれども、一言申さば、実に想像外の人にてありしなり。誰しも先生の事跡より考ふれば、如何(いか)にも厳格にて激烈なる人の様(よう)に思はるれども、決して然らず。実に温順にして、怒ると云ふ事のなき、体格の小兵なる人にてありし」
(松陰先生の人となりをかたるのは、私の身では誠におそれ多いことではあるが、一言申し上げるなら、見た目のイメージとはまるで違うのが松陰先生でした。誰もが先生が残された事跡が頭にあるので、それを根拠にして厳格で激烈な人のように思ってしまうのだけれど、断じてそうではなかったのです。先生は、とても温順で、怒るというようなことなど決してしない、小柄な体つきの方でした)
〝希覯(きこう)男子〞品川弥二郎
松蔭は、15歳頃に松下村塾生となった品川弥二郎を、
「事に臨んで驚かず、少年中希覯(きこう)の男子なり」
と高く評価した。
古書や珍しい本のように、なかなか手に入らない貴重な本を「希覯本(きこうぼん)」というが、松蔭は品川を〝希覯男子〞とみなしたのである。
品川弥二郎は、のち、高杉晋作らと品川の英国公使館焼き討ちにも加わったり、禁門の変では久坂玄瑞らと会津・薩摩などで構成された幕府軍と戦うなどし、維新後は内務大臣などを歴任した。
優しいのに、教え子はびくびくしていた
前言に続けて品川弥二郎は、こういっている。
「三百人の書生が、一度も先生より叱られたることなきを以(も)って知るべし。併(しか)しながら、此書生等(このしょせいら)は、一人として先生を恐れざるものなく、皆先生を見てビクビクして居たり」
(300人いた塾生が、一度も先生に叱られたことがなかったという事実からも、先生が温順だったことがわかるはずだ。それなのに、塾生たちは一人の例外もなく先生を恐れていて、先生を見るとビクビクしていたのである)
松陰はオーラを放つ〝小さな巨人〞。それが松陰の大きな特徴だ
背も小さく、しかも温厚で、怒ったことがなかった松陰。
それなのに、塾生は例外なく松陰を恐れていた。
その理由を一言で言い表すと、松陰は〝オーラ〞を放っていたのだ。
だから、体つきは小さいのに、
「オーラを放つ巨人」
として全塾生の目に映っていた。
松陰は〝小さな巨人〞だったのだ。
それを180cmも背丈のある俳優が演じるなど見当違いも、はなはだしい。
大きな松陰では小さな巨人である松陰を表現できない。
だから、
「180cmの伊勢谷友介はミスキャスト、松蔭役は小柄な俳優にすべし」
というのが私の考えである。
別にドラマなんだから、誰が演じようと関係ないという人もいるだろうが、極論すれば、イエス・キリストを描くのにデブの俳優は起用しないと考えると、「NHKのキャスティングに対する考え方はおかしい」と気づくはずだ。
ダスティン・ホフマン主演映画「小さな巨人」の意味
蛇足になるが、1970年のアメリカ映画「小さな巨人」は、インデアンに育てられた数奇な運命をたどった小柄な白人の話だが、121歳という信じがたい設定の〝小さな巨人〞と呼ばれたその男を、身長165センチの名優ダスティン・ホフマンが演じたからこそ説得力が感じられ、高い評価を勝ち取れたのである。
NHKの「花燃ゆ」のプロデューサーやヂィレクターは、そういうことを考えたことなどないのだろう。
(城島明彦)
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