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2014/12/25

2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」は学芸会か? 歴史上の人物の身長を完全に無視! 

20cmも背が違ったら別人! リアリティを欠く〝史実とは似て非なるドラマ〞になる


 2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」が12月21日で終了し、翌年の大河ドラマ「花燃ゆ」の予告編をNHKが流し始めた。

 私自身、『吉田松陰「留魂録」』(致知出版社)という本を今年の9月末に上梓しているので、どういうドラマになるのかと関心をもっていたが、予告編やNHKのホームページを見た限りでは期待できそうにないドラマのような印象しかない。

 映画やテレビドラマのヒーロー物で主人公を演じる男優は、喜劇など特別なケースを除いて、2枚目と相場が決まっている。
 だが、〝猿〞と呼ばれた秀吉をハンサムな俳優が演じれば違和感が生じるし、小柄だった吉田松陰を長身の俳優が演じれば、その時点でもはや歴史上の吉田松陰の再現ではなく、架空の吉田松陰になってしまう。

 「花燃ゆ」の主人公杉文(すぎ ふみ)の兄吉田松陰の身長は、156~160cmぐらいだったと推定できるが、それを身長180cmの伊勢谷友介が演じると、どうなるか?
 マツコ・デラックスがナインティナインの岡村隆史を演じるようなものだとまではいわないが、20cmも身長が違えば、どう考えても別人でしかない。

 大柄な男と小柄な男では、刀を差しても、刀の長さが違って見える。
 部屋に座っていても、感じがまるで違ってくる。

 日本家屋は昔の日本人の背丈に合わせて設計されている。
 しかし、180cmもの大男は、鴨居(かもい)にぶつかってしまう。
 鴨居をくぐるたびに、ひょいと首をすくめたり、上体をかがむようにしないと部屋に入れない。
 そういう所作をすれば、もはや松陰ではなくなってしまっている。
 詳しくは後述するが、高杉晋作も小柄な人だった。それでも迫力があったし、剣の腕もすごかった。

 時代考証というのは、家屋や町の様子や人々の格好だけを再現すればいいというものではない。肝心の登場人物がまるでちがう背格好をしていたら、そこだけ浮いてしまうことになる。

 文を演じる井上真央は158センチ。ホンモノの松陰と同じくらいの背丈である。
 実際の文は、20cm以上も背丈のちがう、雲を突くような大男の松陰を見上げていたわけではないから、演技自体にウソが入ってくる。

 そう考えると、「花燃ゆ」は、史実など関係のない〝NHKの学芸会〞レベルということになる。


松陰の実父が180cmもあるという話は聞いたことがない

 体がでかくなれば、動きも違ってくる。
 松陰の実父杉百合之助(すぎ ゆりのすけ)を演じる長塚京三も身長180cm。
 杉百合之助がもし大柄な人であれば、目立つ特徴となるので当然、そういう記述があるはずだが、そんなことはどこにも書かれていない。子どもの頃から粗食を通した人だったことを考えると、松陰同様、小柄だったと考えるべきである。

 NHKは、一体、いつの時代を描くつもりなのか。

 歴史上の人物を演じる場合、信長にしろ、秀吉にしろ、家康にしろ、髪型、姿かたち、衣装などをできるだけ実物に近づけるのが普通だ。
 それが時代考証というものである。
 NHKの大河ドラマには時代考証の専門家や方言の指導者がついていて、当時をできるだけ忠実に再現しようとしている。松陰が住んでいた長州の家は今も保存され、残っているが、NHKはそれをまねたセットをつくってリアリティを追求しようとしている。
 その心意気は立派だが、そこまで細部にこだわるのなら、なぜもっとキャスティングにこだわらないのか。

 年齢、顔立ち、芝居のうまい下手、声の性質、背格好は、キャスティングの際の重要な要素である。
 NHKは、どうしてをもっと身長を考慮した人選をしないのか。


高杉晋作も身長20cmオーバー

 私の友人などは、新聞に載った「花燃ゆ」の配役の写真を見て、「高杉晋作のイメージが違いすぎる」と怒っていた。

 NHKのホームページを覗いてみると、高杉晋作を演じる役者は高良健吾で、ヅラをつけて高杉に扮した顔は、写真として残っている高杉晋作のイメージとはまるで違っていた。

 ネットで検索すればわかるが、実物の高杉晋作は、釣り上がった細く鋭い目に特徴がある。
 ホンモノの高杉晋作を演じさせたいなら、少し目を吊り上げるメイクにしろといいたい。
 テープを使った顔面模写ではないが、目を吊り上げるようなことをやるべきである。
 少年時代は勉強嫌いで、剣道に打ち込んでいたから、背は低くても剣道は強かった。そういう生き方をしてきたから、眼光も鋭くなったと考えられる。

 高良健吾の身長は176cmだが、実際の高杉晋作は推定155~156cmと小柄だったから、20センチ近い差がある。
 江戸時代に比べて今の日本人の体格はずいぶんよくなったから、155cmくらいの男は極めて少ない。そういう事情もあるが、リアリティを追求するなら、あるいは視聴者に違和感を与えない配慮をするなら、165~170cmくらいの役者を見つけなければならない。

 なぜ高杉の背丈がわかるかといえば、写真からの推定である。
 高杉晋作は、背が低いことを気にしており、何人かで写真撮影するときは必ず座った。
 手にした大刀の長さから推定して、およその身長がわかるのである。
 
 大きかったといわれている久坂玄瑞にしても、180cmはいかなかったのではないか。
 だがNHKは、久坂役に189cmの東出昌大を起用している。


家や服装、人物の衣装・髪型も時代考証し、背丈は知らん顔というのはおかしい

 日本の家屋は、前述したように、多少背の高い日本人でも頭をぶつけないように鴨居(かもい)の高さを設定している。鴨居に頭をぶつけるような大男は、ほとんどいなかったのだ。

 首をすくめたり、上体をかがめて通らないと鴨居に頭をぶつける180cm前後の大きな男が何人も出入りする松下村塾などありえない。

 天井に届くような背丈の大男が何人もいたら、室内が狭く見え、塾の様子も違ってくる。

 何のために時代考証をやっているのか。
 皮肉な言い方をすれば、NHKは、「ガリバー旅行記」でもつくっているのかということになる。


身長が違えば、体の動きも違ってくる

 なぜ身長をうるさくいうかといえば、動作が違ってくるからだ。
 相撲を見ればわかるが、小兵力士に比べると大型力士は動きが鈍い。
 相撲に限らず、弁慶と牛若丸(義経)のエピソードが象徴するように、小柄な者は身のこなしも速く、大柄な者は動きがゆっくりだ。
 腕力も、体が大きい方が強いのが普通だ。
 柔道やレスリングやボクシングが体重別に分けられているのは、体重が重くて大きい方が勝ってしまからだ。

 スポーツマンでなくても、大柄な男と小柄な男とでは、身のこなしだけでなく、歩き方や走り方も違ってくるし、馬の乗り方にも差が生じる。
 剣を取っての戦い方も。当然変わってくる。
 そういう違いが生じるから、20cmもの身長差があることについて、うるさくいうのである。


「キャスティングをおざなりにしている」と疑われる

 演じる役者にリアリティが感じられなければ、何のために当時の家や室内のセットを史実にのっとって再現し、髪型や服装も、肖像画などを参考にして忠実に再現するのか、意味がなくなってしまう。

 たとえば西郷隆盛。演じる役者が、たとえ太い眉やどんぐりまなこにメイクをしても、体がやせ細っていたり、かん高い声でキーキーと早口でまくしたてたりしたら、見ている方は興ざめだ。

 俳優として、いくら姿かたちがよくても、身長が高すぎたら、その時点でアウトである。
 映画やテレビドラマは、演劇と違って、背が高すぎたり、低すぎたりすれば、演じる役柄は限られる。
 だから、監督やプロデューサーはキャスティングに苦労するのだ。

 人気があるからとか、NKH好みだからというだけで役者を選ぶなら、こんな楽なことはない。
 そういうことをやっているから、NHKと大手芸能プロと癒着などといわれてしまうのだ。


あばたのない松陰・晋作などありえない

 高杉晋作は、顔中、「あばた」だらけだった。
 子どもの頃の疱瘡(痘瘡、天然痘)の痕である。
 これもちゃんと再現しないとウソになる。別人ということになる。

 吉田松陰の顔も、疱瘡を患ったために、やはり「あばた」だらけで、家族や松下村塾生の証言もある。
 幕末の安政4年(1856年)に長崎へやってきたオランダの海軍医師ポンペは、日本人の3人に1人の顔が「あばた」だらけになっているのに驚いている。
 吉田松陰や高杉晋作の顔をあばたにすることは、当時の時代考証をきちんとやっているという証拠にもなるのだから、適当に扱ってはいけないのである。

 ニキビ痕のない坂本九は坂本九ではなく、顔面が凸凹ではないケーシー高峰はケーシー高峰ではないのと同様、あばたのない顔をした吉田松陰や高杉晋作は、吉田松陰でも高杉晋作でもないのだ。


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Photo_2 ※画像、クリックで拡大できます

(城島明彦)

2014/12/07

「流行語大賞」は、やめる潮時! 選考センスがズレるなど「致命的5大欠点」が露呈


やめるべき理由は5つ

  「流行語大賞」は、一般人の感覚とのズレが激しい。そう感じる人が増えてきた。
 その理由は、次の5点だ。

◆「流行語大賞」のピンボケ症候群を示す5つの理由

①選考方法に進化なし (時代が変わっているのに、開始当初と同じ選び方をしている。もっと科学的に選ぶ手法を導入すべき。各界の著名人へのアンケートとか、一般人の投票とか、新しい試みがなされていない)

②工夫ゼロでマンネリ化 (斬新さが感じられず、〝偉大なるマンネリ〞でもなく、単なる〝どうしようもないマンネリ〞に陥っている)

③選考委員の固定化 (選考委員の顔ぶれは変えるべき。しかも、偏向思想と思われる委員が多い。どこの世界にも世代交代はある。それがない家系・職種は滅んでいる)

④選考センスのズレ (一般の感覚とずれている。聞いたこともない言葉、それほど流行したとも思えない言葉がノミネートされている)

⑤客観性の欠如 (客観的データに基づいて選んだわけでなく、主観で選んでおり、根拠が不明確。流行語大賞選びは、文学賞を選ぶのと違う。主観で選ぶのではなく、「世の中で最も流行した言葉・用語」を客観的に選ばないといけない。テレビ・新聞・雑誌などに使われた回数・Web検索数など、誰もが納得できる複数の数値データを示せ。そういう努力を怠っている)


「ダメよダメダメ」は、森進一のヒット曲のパクリ

 今年の年間大賞の1つ「ダメよダメダメ」は、ネットですでに指摘されているように、昭和43年(1968年)の森進一のヒット曲「年上の女(ひと)」の2番の歌詞「♪ だめよ だめだめ いけないと」のパクリで新鮮味などない。
 そのフレーズは、当時、歌詞として、とても大胆で新鮮だった。
 森進一が一番輝いていた時期で、「花と蝶」「港町ブルース」など大ヒットを連発し、いまと違ってテレビの歌謡番組も多く、その時代に大人だった人は覚えているはず。

 選考委員の1人やくみつるは、大相撲のコメントでも鋭いことをいうので評価していたが、この賞に違和感を覚えたことはなかったのか!? 


昭和41年の「レコード大賞」の〝黒い霧事件〞と「流行語大賞」

 昭和41年の「レコード大賞」は、ビクターが橋幸夫の「霧氷」に大賞を撮らせるために選考委員を金で買収したことが発覚し、「レコード大賞」の権威は地に落ち、以後、中継番組を見る人も激減した。

 私は当時、〝ながら族〞の大学生だったから、毎日、長時間、ラジオの歌謡番組を聴いていたから、どんな曲がヒットし、どの曲にリクエストが多いかということは自然とわかった。

 その年(昭和41年)は、大ヒットした曲が多かった。

 城卓也「骨まで愛して」、西郷輝彦「星のフラメンコ」、舟木一夫「絶唱」、黒沢明とロスプリモス「ラブユー東京」、美空ひばり「悲しい酒」、布施明「霧の摩周湖」、青江三奈「恍惚のブルース」、ブロードサイドフォー「若者たち」、園まり「夢は夜ひらく」、山本リンダ「困っちゃうな」、高倉健「唐獅子牡丹」などだ。

 どれがレコード大賞をとってもおかしくなかったが、11月に新発売された橋幸夫の「霧氷」が大賞を取り、「おかしい」という話になった。そして裏事情が暴露され、大騒ぎになった。

 事件が表面化する以前に、「霧氷」が選ばれた時点で一般の視聴者はすでに「おかしい」と思っていたのだ。

 「流行語大賞」には、買収してまで大賞を取るメリットはないから、レコード大賞のような醜いことは行われていないだろうが、一般人が「???」と感じる言葉が大賞候補にノミネートされたりすれば、もはや「公正な選考はなされていない」と思うのが人情である。
 なかには、「何か裏にあるのでは?」と勘ぐる人も出てこよう。
 それが、今回Webで表面化した「政治的意図があって『集団的自衛権』を選んだのではないか」という疑念ではないのか。

 主催者・審査委員たちは、「何を馬鹿な」と一笑に付すのではなく、こういう声を真摯に受け止めないと、「流行語大賞」は存在価値を失っていく。
 いや、もはや賞味期限切れ的様相を呈しているというべきか。


安倍首相に表彰式に来てほしくて「集団的自衛権」を選んだ

 「集団的自衛権」は、ニュースなどではよく流れたかもしれないが、昔からある用語であり、子どもたちが口になどすることもなく、ポピュラーとはいえない。
 なぜ、こんな言葉を選んだかといえば、前年、「アベノミクス」を大賞に選ばなかったことで批判を受け、その代わりに「集団的自衛権」を選んだ。

 「集団的自衛権」は昔から存在する言葉。新鮮味などない。安倍首相が力を入れたことで、ニュース番組などではさかんに取り上げられたかもしれないが、新鮮味などどこにもない。

 それに対し、「アベノミクス」は「造語」であり、新鮮度の点で突出していただけでなく、国際的にも広く知られ、外国メディアでもしばしば取り上げられた「日本初の世界的流行語」だ。しかし、昨年(2013年)の大賞は「今でしょ」と「お・も・て・な・し」だった。2つではなく、例外として「アベノミクス」も加えるべきだった。
 そういう融通性に欠けているから、選考委員のセンスを疑われ、何か政治的意図があったのではないかと勘ぐられもするのだ。
 
 安倍首相を表彰台に引っ張り出し、テレビでの露出効果を上げようとする浅ましい商魂が見え隠れするのだ。
選挙を控えているので、安倍首相は必ず出てくると計算したが、審査員の顔ぶれを見て、出ては来なかった。比較的、どこへでも顔を出す安倍首相に、二度も袖にされた理由を主催者はよく考えてみることだ。


ピントハズレな用語をなぜ選ぶのか

 「ダメよダメダメ」が「アナ雪」「ありのままで」など以上に流行したという説得力もなく、ピントハズレな用語をリストアップする選考委員の選考センスに違和感を覚える人が増えている。

 たとえば、テレビの露出度で、「ダメよダメダメ」が「STAP細胞」(または「スタップ細胞はあります」より勝っていることを示すデータはあるのか!?
 数値で示せないないから不信感をもたれるのだ。

 「レジェンド」のどこが新鮮で、どれくらい流行したのか。証拠を示せ。
 「マタハラ」って何だ!? カネボウ化粧品の「白斑事件」の方がまだ騒ぎになった。

 「流行語大賞」は、もはや、1884年から30年続けてきたという、その重みにのみ、おんぶに抱っこという印象しか受けなくなっている。
 「ごきげんよう」にしても、昭和30年代前半まで使われていた言葉である。こういうものをノミネートするというセンスそのものがズレているとしか思えない。


 「お役目、ご苦労さん!」 そういいたい人は多いのではないか。
 
 「流行語大賞」は、「自由国民社」という一出版社が、『現代用語の基礎知識』という本を売るためのPRのひとつとしてスタートしたイベント。
 しかし、時代は変わり、いまではその手の本が手元になくても、ネットで検索する方がかるかに便利な時代になり、発行部数は年々減少傾向をたどっている。

 ならば、「流行語大賞」もテコ入れすべきと考えるが、そうしない。
 紅白歌合戦も、視聴率下落が続いて内容を一新した。


選考委員は誰か

 ●姜尚中(論客・学者・評論家・聖学院大学学長・1950年生まれ)……在日韓国人2世、テレ朝「朝までテレビ」で注目され、のし上がっていった。表情が暗く、話す声も暗鬱。テレビ向きではない。

 ●鳥越俊太郎(ジャーナリスト・「サンデー毎日」元編集長・テレ朝テレビキャスター

 ●俵万智(歌人・1987年発表『サラダ記念日』で一躍時の人になる・40歳で出産したシングルマザー・1962年生まれ)

 ●室井滋(女優・早大社会学部中退・2段熟カレーなどCM・1958年生まれ)

 ●『現代用語の基礎知識』編集長(清水均)

 ●箭内(やない)道彦 (歌手・広告マン・東京芸大卒・1964年生まれ)

 ●やくみつる(漫画家・評論家・早大商学部卒・1959年生まれ)
 
 姜尚中はテレ朝・TBSが好んで使うが、表情も話し方も暗く、テレビ向きではない。思想も偏向している。
それに、偶然の一致かもしれないが、早大出身者が7人中4人というのも、「偏(かたよ)っている」と受け取られかねない要素となっている。

 (城島明彦)

2014/12/03

『枕崎物語』を楽しく読んだ

創立140周年を超えた枕崎小学校 

 『枕崎物語』は、鹿児島県の枕崎市立枕崎小学校の創立140周年記念本だ。2013年の夏につくられた。

 執筆者は、同校の麓純雄(ふもと すみお)校長。

 麓先生とは面識はなかったが、同年秋発行の「日本教育」という小冊子の巻頭随筆に私が「学校の広報」について書いたところ、感想に添えて同書を送っていただいたのだ。

 そのお礼をと思いながら、1日また1日と日が過ぎてしまい、気がつくと1年以上も経ってしまった。

 『枕崎物語』は、枕崎市の歴史や枕崎小学校の沿革がわかりやすい言葉で綴られ、写真も豊富にあって、本が届いた直後に興味深く読んだ。
 残念ながら、この本は非売品である。

 時代が移り、人も変わっていくと、町や村の歴史も忘れ去られるので、本にして残しておくことは大事だ。

 古い時代の白黒写真や新しい時代のカラー写真は、私のような第3者であっても、眺めているだけで楽しい。特に自分が子供だった頃の街の様子や校舎のたたずまいの写真は、少年時代の光景を蘇らせる効果がある。

 私が少年時代を送った昭和30年代は、街の様子とか学校の建物などは、どこもかしこも似たような感じだったのだ。


「かごしま」と「かごめ」

 『枕崎物語』で、特に興味を引かれたのは、枕崎が昔は「鹿籠」(かご)と呼ばれていたという点。
 鹿籠は、鹿児島の語源のようで、
 「竹で編んだ丸い小舟(竹のたらい)で、籠(かご)の目をびっしりと編んで水が入り込まないようにしたもの」「目無籠」(めなしかご)を意味するようだが、
 なぜ「鹿」という字が入っているのか、連想が働く。
 
 「鹿籠」を「かごめ」と読むとどうなるか。もともとは、「鹿」を閉じ込めるのに使った籠なのだろうか。
 鹿は泳ぐ。敵に追われて、海に逃げ込み、それを人が助けようとして竹で編んだ籠に乗せて海岸まで運んだといったエピソードがあったのかもしれない。
 この話は、別の機会に推理したい。

 安曇野の方にも「鹿籠」という地名のところがあるが、「かろう」と読んでいる。
 広島市安芸郡にも「鹿籠」という知名があり、なんらかの関係があるかもしれないが、こちらは、「かごめ」ではなく、「こごもり」と読む。
 
 『枕崎物語』に興味を引かれたもうひとつの理由は、枕崎が、『古事記』や『日本書紀』に出てくる海幸彦・山幸彦の話に出てくる「わたつみのいろこのみや」の候補地のひとつという点だ。
 「わたつみ」は「わだつみ」ともいい、漢字では「綿津見」と書く。


〝天才と狂気のはざま〞青木繁の「わだつみのいろこの宮」

 明治を代表する画家に青木繁がいる。作品では「海の幸」が有名だが、「わだつみのいろこの宮」もよく知られた作品だ。

 山幸彦が兄から借りた大切な釣り針をなくし、いろこ(魚鱗)のように連なる瓦のある海の底の宮殿を訪ね、そこにある井戸のところで、侍女を伴ったトヨタマヒメと出会う場面を絵にしたのが、「わだつみのいろこの宮」だ。

 山幸彦は、木の上に登って、様子をうかがっていると、姫が水をくみにやってくるというストーリーである。


画室とした旧家と愛人の実家

 私は、30代の頃、青木繁のことをとことん調べた。
 青木が家族と住んでいた久留米の家へも行ったことがあるし、「わだつみのいろこの宮」を描いた栃木の旧家を訪ねて、絵を書いた部屋を見せてもらったこともある。
 そういう部屋にしばらくいると、どういう状況で絵を描いたかが想像できる。

 「わだつみのいろこの宮」に描かれたトヨタマヒメは、濃いピンク色というより「珊瑚色」に近い色の衣を身にまとっている。

 Photo_3青木繁「わだつみのいろこの宮」 
 なぜ、この色にしたのかは理由がある。
 当時、青木はその旧家の近くに住んでいた。愛人(福田たね)の実家である芳賀町(はがちょう)の呉服屋に転がり込んでいたのだ。
 その呉服屋からさまざまな色の布地を持ち出して、旧家の一室を借り受け、そこを画室として「わだつみのいろこの宮」を描いた。

 姫のモデルは、近所の農家の娘だが、顔は福田たねに似せて描いた。
 福田たねは、その後、九州へ帰ったまま戻らぬ青木と別れて、親の勧める身持ちの固い別の男と結婚し、多くの子を産むことになるが、私は、たねの娘の家を訪ねて、写真や存命中の話を聞いたこともある。

 旧家の画室へは、愛人の弟の少年が、弁当や布などを届けていた。
その少年は、90歳で存命だったので、そのころの話を聞いたこともある。

 私が訪ねたとき、その部屋の壁の色は珊瑚色に近いピンクに塗られていた。家主に聞くと、どういうわけか、明治の昔からピンクに塗られていたとのこと。

 そういう部屋で描いたから、トヨタマヒメの衣にもそういう色を使うアイデアが湧いたのだ、と私は思った。

 青木は、久留米市から上京し、東京美術学校(現在の東京芸大)で学び、在学中に描いた「海の幸」で注目を浴びたが、横柄な態度と極端な貧乏が災いして、その後、いい作品がかけなくなる。

 再起を期そうとして、愛人の実家へ転がり込み、生活の心配のない状態で、展覧会の1位入賞を狙った。その作品が「わだつみのいろこの宮」である。

 絵に描かれた木は、「かつら」とされているが、青木はそのようには描かなかった。
 しかし、高名な美術史家が「福田たねの実家の庭にある金木犀を描いた」としてしまったために、その説が一般化したが、これは間違いである。
庭に植わっているのは、珊瑚樹(さんごじゅ)である。庭に、かなり大きな珊瑚樹があるのだ。

 たねと青木の一粒種は、福田家で育てた。
 福田蘭堂といって音楽家になり、NHK連続ラジオドラマ「笛吹き童子」ほかの音楽を担当。その息子も、音楽が得意だった。クレイジーキャッツに長くいた石橋エータローだ。

 「鹿籠」という地名と「わだつみ」からの連想で、話が脱線してしまった。


鹿児島県人との縁

 私は、この何か月か、鹿児島出身の3人のクリエイターと仕事をしてきた。

 1人は、東宝映画「ゴジラ対スペースゴジラ」などを撮った山下賢章監督。私が東宝で助監督をしていた頃の仲間の一人だ。私は映画界からは長くはなれていたが、彼の誘いで最近になって映画の企画を一緒に考えているところ。

 もう1人は、編集者の伊集院尚子女史。彼女は、マガジンハウスの女性誌「クロワッサン」や「Hanako」の編集者を経て、サッカーJリーグの清水エスパルスの元広報部長を務めた異色のキャリアの持ち主。私が執筆したムック「世界の名家・大富豪の経済学」(12月6日発売/ダイアパレス)の編集を担当した。この本は、コンビニなどにも並ぶという話だ。

 もう1人は、作家エージェント「アップルシード・エージェンシー」の代表である鬼塚忠さん。去る9月末に私が執筆した『吉田松陰「留魂録」』(致知出版社)のプロデューサーだ。彼は自分でも本を書き、芝居の台本も書くマルチ人間。

 いままで、地方の同じ県の出身者3人と同時期に一緒に仕事をしたことはなく、偶然にしても、その確率の高さを思い、驚いている。

(城島明彦)

2014/12/02

世界の大富豪の方程式とは!?

あの名家・あの大富豪は、どうやって巨富を築いたのか!?


 王室の資産からビルゲイツの資産まで、見て楽しく、読んで面白いお話が満載。
 

【『世界の名家・大富豪の経済学』 内容の一部】 

  グレース・ケリーの持参金はいくらだったのか?

  ビル・ゲイツを破った〝メキシコの通信王〞の錬金術とは?

  「世界長者番付」に一族がずらりと並ぶウォルマート創業家の秘密!

  ペンタゴンやCIAに目をつけたIT長者ラリー・エリソン

  アブラカダブラ! 〝IT成金〞アリババの馬雲のニューヨーク市場上場!

  キャロライン・ケネディ駐日大使の来日に絡む「悲劇の名家」の謎の数字とは!?

  イケメンプリンスVS麗しきプリンセスの興味津々ストーリー!

  世界長者番付にイチャモンをつけたサウジアラブの投資王子!

  〝ZARA帝国〞の支配者VS〝ファッション界の法王〞  

  巨億資産のサムスン電子の総帥、倒れる!

  フェイスブックのザッカーバーグのIT成金物語 など

 ◆城島明彦著『世界の名家・大富豪の経済学』

  Photo_3  ※クリックすると、少し写真が大きくなります。 ダイアプレス 発行

 12月6日発売

 エンターテインメントに徹しました。


(城島明彦)

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