「流行語大賞」は、やめる潮時! 選考センスがズレるなど「致命的5大欠点」が露呈
やめるべき理由は5つ
「流行語大賞」は、一般人の感覚とのズレが激しい。そう感じる人が増えてきた。
その理由は、次の5点だ。
◆「流行語大賞」のピンボケ症候群を示す5つの理由
①選考方法に進化なし (時代が変わっているのに、開始当初と同じ選び方をしている。もっと科学的に選ぶ手法を導入すべき。各界の著名人へのアンケートとか、一般人の投票とか、新しい試みがなされていない)
②工夫ゼロでマンネリ化 (斬新さが感じられず、〝偉大なるマンネリ〞でもなく、単なる〝どうしようもないマンネリ〞に陥っている)
③選考委員の固定化 (選考委員の顔ぶれは変えるべき。しかも、偏向思想と思われる委員が多い。どこの世界にも世代交代はある。それがない家系・職種は滅んでいる)
④選考センスのズレ (一般の感覚とずれている。聞いたこともない言葉、それほど流行したとも思えない言葉がノミネートされている)
⑤客観性の欠如 (客観的データに基づいて選んだわけでなく、主観で選んでおり、根拠が不明確。流行語大賞選びは、文学賞を選ぶのと違う。主観で選ぶのではなく、「世の中で最も流行した言葉・用語」を客観的に選ばないといけない。テレビ・新聞・雑誌などに使われた回数・Web検索数など、誰もが納得できる複数の数値データを示せ。そういう努力を怠っている)
「ダメよダメダメ」は、森進一のヒット曲のパクリ
今年の年間大賞の1つ「ダメよダメダメ」は、ネットですでに指摘されているように、昭和43年(1968年)の森進一のヒット曲「年上の女(ひと)」の2番の歌詞「♪ だめよ だめだめ いけないと」のパクリで新鮮味などない。
そのフレーズは、当時、歌詞として、とても大胆で新鮮だった。
森進一が一番輝いていた時期で、「花と蝶」「港町ブルース」など大ヒットを連発し、いまと違ってテレビの歌謡番組も多く、その時代に大人だった人は覚えているはず。
選考委員の1人やくみつるは、大相撲のコメントでも鋭いことをいうので評価していたが、この賞に違和感を覚えたことはなかったのか!?
昭和41年の「レコード大賞」の〝黒い霧事件〞と「流行語大賞」
昭和41年の「レコード大賞」は、ビクターが橋幸夫の「霧氷」に大賞を撮らせるために選考委員を金で買収したことが発覚し、「レコード大賞」の権威は地に落ち、以後、中継番組を見る人も激減した。
私は当時、〝ながら族〞の大学生だったから、毎日、長時間、ラジオの歌謡番組を聴いていたから、どんな曲がヒットし、どの曲にリクエストが多いかということは自然とわかった。
その年(昭和41年)は、大ヒットした曲が多かった。
城卓也「骨まで愛して」、西郷輝彦「星のフラメンコ」、舟木一夫「絶唱」、黒沢明とロスプリモス「ラブユー東京」、美空ひばり「悲しい酒」、布施明「霧の摩周湖」、青江三奈「恍惚のブルース」、ブロードサイドフォー「若者たち」、園まり「夢は夜ひらく」、山本リンダ「困っちゃうな」、高倉健「唐獅子牡丹」などだ。
どれがレコード大賞をとってもおかしくなかったが、11月に新発売された橋幸夫の「霧氷」が大賞を取り、「おかしい」という話になった。そして裏事情が暴露され、大騒ぎになった。
事件が表面化する以前に、「霧氷」が選ばれた時点で一般の視聴者はすでに「おかしい」と思っていたのだ。
「流行語大賞」には、買収してまで大賞を取るメリットはないから、レコード大賞のような醜いことは行われていないだろうが、一般人が「???」と感じる言葉が大賞候補にノミネートされたりすれば、もはや「公正な選考はなされていない」と思うのが人情である。
なかには、「何か裏にあるのでは?」と勘ぐる人も出てこよう。
それが、今回Webで表面化した「政治的意図があって『集団的自衛権』を選んだのではないか」という疑念ではないのか。
主催者・審査委員たちは、「何を馬鹿な」と一笑に付すのではなく、こういう声を真摯に受け止めないと、「流行語大賞」は存在価値を失っていく。
いや、もはや賞味期限切れ的様相を呈しているというべきか。
安倍首相に表彰式に来てほしくて「集団的自衛権」を選んだ
「集団的自衛権」は、ニュースなどではよく流れたかもしれないが、昔からある用語であり、子どもたちが口になどすることもなく、ポピュラーとはいえない。
なぜ、こんな言葉を選んだかといえば、前年、「アベノミクス」を大賞に選ばなかったことで批判を受け、その代わりに「集団的自衛権」を選んだ。
「集団的自衛権」は昔から存在する言葉。新鮮味などない。安倍首相が力を入れたことで、ニュース番組などではさかんに取り上げられたかもしれないが、新鮮味などどこにもない。
それに対し、「アベノミクス」は「造語」であり、新鮮度の点で突出していただけでなく、国際的にも広く知られ、外国メディアでもしばしば取り上げられた「日本初の世界的流行語」だ。しかし、昨年(2013年)の大賞は「今でしょ」と「お・も・て・な・し」だった。2つではなく、例外として「アベノミクス」も加えるべきだった。
そういう融通性に欠けているから、選考委員のセンスを疑われ、何か政治的意図があったのではないかと勘ぐられもするのだ。
安倍首相を表彰台に引っ張り出し、テレビでの露出効果を上げようとする浅ましい商魂が見え隠れするのだ。
選挙を控えているので、安倍首相は必ず出てくると計算したが、審査員の顔ぶれを見て、出ては来なかった。比較的、どこへでも顔を出す安倍首相に、二度も袖にされた理由を主催者はよく考えてみることだ。
ピントハズレな用語をなぜ選ぶのか
「ダメよダメダメ」が「アナ雪」「ありのままで」など以上に流行したという説得力もなく、ピントハズレな用語をリストアップする選考委員の選考センスに違和感を覚える人が増えている。
たとえば、テレビの露出度で、「ダメよダメダメ」が「STAP細胞」(または「スタップ細胞はあります」より勝っていることを示すデータはあるのか!?
数値で示せないないから不信感をもたれるのだ。
「レジェンド」のどこが新鮮で、どれくらい流行したのか。証拠を示せ。
「マタハラ」って何だ!? カネボウ化粧品の「白斑事件」の方がまだ騒ぎになった。
「流行語大賞」は、もはや、1884年から30年続けてきたという、その重みにのみ、おんぶに抱っこという印象しか受けなくなっている。
「ごきげんよう」にしても、昭和30年代前半まで使われていた言葉である。こういうものをノミネートするというセンスそのものがズレているとしか思えない。
「お役目、ご苦労さん!」 そういいたい人は多いのではないか。
「流行語大賞」は、「自由国民社」という一出版社が、『現代用語の基礎知識』という本を売るためのPRのひとつとしてスタートしたイベント。
しかし、時代は変わり、いまではその手の本が手元になくても、ネットで検索する方がかるかに便利な時代になり、発行部数は年々減少傾向をたどっている。
ならば、「流行語大賞」もテコ入れすべきと考えるが、そうしない。
紅白歌合戦も、視聴率下落が続いて内容を一新した。
選考委員は誰か
●姜尚中(論客・学者・評論家・聖学院大学学長・1950年生まれ)……在日韓国人2世、テレ朝「朝までテレビ」で注目され、のし上がっていった。表情が暗く、話す声も暗鬱。テレビ向きではない。
●鳥越俊太郎(ジャーナリスト・「サンデー毎日」元編集長・テレ朝テレビキャスター
●俵万智(歌人・1987年発表『サラダ記念日』で一躍時の人になる・40歳で出産したシングルマザー・1962年生まれ)
●室井滋(女優・早大社会学部中退・2段熟カレーなどCM・1958年生まれ)
●『現代用語の基礎知識』編集長(清水均)
●箭内(やない)道彦 (歌手・広告マン・東京芸大卒・1964年生まれ)
●やくみつる(漫画家・評論家・早大商学部卒・1959年生まれ)
姜尚中はテレ朝・TBSが好んで使うが、表情も話し方も暗く、テレビ向きではない。思想も偏向している。
それに、偶然の一致かもしれないが、早大出身者が7人中4人というのも、「偏(かたよ)っている」と受け取られかねない要素となっている。
(城島明彦)
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