2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」は学芸会か? 歴史上の人物の身長を完全に無視!
20cmも背が違ったら別人! リアリティを欠く〝史実とは似て非なるドラマ〞になる
2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」が12月21日で終了し、翌年の大河ドラマ「花燃ゆ」の予告編をNHKが流し始めた。
私自身、『吉田松陰「留魂録」』(致知出版社)という本を今年の9月末に上梓しているので、どういうドラマになるのかと関心をもっていたが、予告編やNHKのホームページを見た限りでは期待できそうにないドラマのような印象しかない。
映画やテレビドラマのヒーロー物で主人公を演じる男優は、喜劇など特別なケースを除いて、2枚目と相場が決まっている。
だが、〝猿〞と呼ばれた秀吉をハンサムな俳優が演じれば違和感が生じるし、小柄だった吉田松陰を長身の俳優が演じれば、その時点でもはや歴史上の吉田松陰の再現ではなく、架空の吉田松陰になってしまう。
「花燃ゆ」の主人公杉文(すぎ ふみ)の兄吉田松陰の身長は、156~160cmぐらいだったと推定できるが、それを身長180cmの伊勢谷友介が演じると、どうなるか?
マツコ・デラックスがナインティナインの岡村隆史を演じるようなものだとまではいわないが、20cmも身長が違えば、どう考えても別人でしかない。
大柄な男と小柄な男では、刀を差しても、刀の長さが違って見える。
部屋に座っていても、感じがまるで違ってくる。
日本家屋は昔の日本人の背丈に合わせて設計されている。
しかし、180cmもの大男は、鴨居(かもい)にぶつかってしまう。
鴨居をくぐるたびに、ひょいと首をすくめたり、上体をかがむようにしないと部屋に入れない。
そういう所作をすれば、もはや松陰ではなくなってしまっている。
詳しくは後述するが、高杉晋作も小柄な人だった。それでも迫力があったし、剣の腕もすごかった。
時代考証というのは、家屋や町の様子や人々の格好だけを再現すればいいというものではない。肝心の登場人物がまるでちがう背格好をしていたら、そこだけ浮いてしまうことになる。
文を演じる井上真央は158センチ。ホンモノの松陰と同じくらいの背丈である。
実際の文は、20cm以上も背丈のちがう、雲を突くような大男の松陰を見上げていたわけではないから、演技自体にウソが入ってくる。
そう考えると、「花燃ゆ」は、史実など関係のない〝NHKの学芸会〞レベルということになる。
松陰の実父が180cmもあるという話は聞いたことがない
体がでかくなれば、動きも違ってくる。
松陰の実父杉百合之助(すぎ ゆりのすけ)を演じる長塚京三も身長180cm。
杉百合之助がもし大柄な人であれば、目立つ特徴となるので当然、そういう記述があるはずだが、そんなことはどこにも書かれていない。子どもの頃から粗食を通した人だったことを考えると、松陰同様、小柄だったと考えるべきである。
NHKは、一体、いつの時代を描くつもりなのか。
歴史上の人物を演じる場合、信長にしろ、秀吉にしろ、家康にしろ、髪型、姿かたち、衣装などをできるだけ実物に近づけるのが普通だ。
それが時代考証というものである。
NHKの大河ドラマには時代考証の専門家や方言の指導者がついていて、当時をできるだけ忠実に再現しようとしている。松陰が住んでいた長州の家は今も保存され、残っているが、NHKはそれをまねたセットをつくってリアリティを追求しようとしている。
その心意気は立派だが、そこまで細部にこだわるのなら、なぜもっとキャスティングにこだわらないのか。
年齢、顔立ち、芝居のうまい下手、声の性質、背格好は、キャスティングの際の重要な要素である。
NHKは、どうしてをもっと身長を考慮した人選をしないのか。
高杉晋作も身長20cmオーバー
私の友人などは、新聞に載った「花燃ゆ」の配役の写真を見て、「高杉晋作のイメージが違いすぎる」と怒っていた。
NHKのホームページを覗いてみると、高杉晋作を演じる役者は高良健吾で、ヅラをつけて高杉に扮した顔は、写真として残っている高杉晋作のイメージとはまるで違っていた。
ネットで検索すればわかるが、実物の高杉晋作は、釣り上がった細く鋭い目に特徴がある。
ホンモノの高杉晋作を演じさせたいなら、少し目を吊り上げるメイクにしろといいたい。
テープを使った顔面模写ではないが、目を吊り上げるようなことをやるべきである。
少年時代は勉強嫌いで、剣道に打ち込んでいたから、背は低くても剣道は強かった。そういう生き方をしてきたから、眼光も鋭くなったと考えられる。
高良健吾の身長は176cmだが、実際の高杉晋作は推定155~156cmと小柄だったから、20センチ近い差がある。
江戸時代に比べて今の日本人の体格はずいぶんよくなったから、155cmくらいの男は極めて少ない。そういう事情もあるが、リアリティを追求するなら、あるいは視聴者に違和感を与えない配慮をするなら、165~170cmくらいの役者を見つけなければならない。
なぜ高杉の背丈がわかるかといえば、写真からの推定である。
高杉晋作は、背が低いことを気にしており、何人かで写真撮影するときは必ず座った。
手にした大刀の長さから推定して、およその身長がわかるのである。
大きかったといわれている久坂玄瑞にしても、180cmはいかなかったのではないか。
だがNHKは、久坂役に189cmの東出昌大を起用している。
家や服装、人物の衣装・髪型も時代考証し、背丈は知らん顔というのはおかしい
日本の家屋は、前述したように、多少背の高い日本人でも頭をぶつけないように鴨居(かもい)の高さを設定している。鴨居に頭をぶつけるような大男は、ほとんどいなかったのだ。
首をすくめたり、上体をかがめて通らないと鴨居に頭をぶつける180cm前後の大きな男が何人も出入りする松下村塾などありえない。
天井に届くような背丈の大男が何人もいたら、室内が狭く見え、塾の様子も違ってくる。
何のために時代考証をやっているのか。
皮肉な言い方をすれば、NHKは、「ガリバー旅行記」でもつくっているのかということになる。
身長が違えば、体の動きも違ってくる
なぜ身長をうるさくいうかといえば、動作が違ってくるからだ。
相撲を見ればわかるが、小兵力士に比べると大型力士は動きが鈍い。
相撲に限らず、弁慶と牛若丸(義経)のエピソードが象徴するように、小柄な者は身のこなしも速く、大柄な者は動きがゆっくりだ。
腕力も、体が大きい方が強いのが普通だ。
柔道やレスリングやボクシングが体重別に分けられているのは、体重が重くて大きい方が勝ってしまからだ。
スポーツマンでなくても、大柄な男と小柄な男とでは、身のこなしだけでなく、歩き方や走り方も違ってくるし、馬の乗り方にも差が生じる。
剣を取っての戦い方も。当然変わってくる。
そういう違いが生じるから、20cmもの身長差があることについて、うるさくいうのである。
「キャスティングをおざなりにしている」と疑われる
演じる役者にリアリティが感じられなければ、何のために当時の家や室内のセットを史実にのっとって再現し、髪型や服装も、肖像画などを参考にして忠実に再現するのか、意味がなくなってしまう。
たとえば西郷隆盛。演じる役者が、たとえ太い眉やどんぐりまなこにメイクをしても、体がやせ細っていたり、かん高い声でキーキーと早口でまくしたてたりしたら、見ている方は興ざめだ。
俳優として、いくら姿かたちがよくても、身長が高すぎたら、その時点でアウトである。
映画やテレビドラマは、演劇と違って、背が高すぎたり、低すぎたりすれば、演じる役柄は限られる。
だから、監督やプロデューサーはキャスティングに苦労するのだ。
人気があるからとか、NKH好みだからというだけで役者を選ぶなら、こんな楽なことはない。
そういうことをやっているから、NHKと大手芸能プロと癒着などといわれてしまうのだ。
あばたのない松陰・晋作などありえない
高杉晋作は、顔中、「あばた」だらけだった。
子どもの頃の疱瘡(痘瘡、天然痘)の痕である。
これもちゃんと再現しないとウソになる。別人ということになる。
吉田松陰の顔も、疱瘡を患ったために、やはり「あばた」だらけで、家族や松下村塾生の証言もある。
幕末の安政4年(1856年)に長崎へやってきたオランダの海軍医師ポンペは、日本人の3人に1人の顔が「あばた」だらけになっているのに驚いている。
吉田松陰や高杉晋作の顔をあばたにすることは、当時の時代考証をきちんとやっているという証拠にもなるのだから、適当に扱ってはいけないのである。
ニキビ痕のない坂本九は坂本九ではなく、顔面が凸凹ではないケーシー高峰はケーシー高峰ではないのと同様、あばたのない顔をした吉田松陰や高杉晋作は、吉田松陰でも高杉晋作でもないのだ。
(城島明彦)
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