目を疑う〝常軌を逸した技〞が激増中の大相撲
日馬富士の顔面骨折はプロレス化した取り組みのせいだ
大相撲秋場所の中日(8日目)。
新大関の豪栄道と対戦した巨漢外国人力士碧山(あおいやま)の取り口は、ひどかった。
顔面ツッパリが炸裂だ。
碧山は、グローブのようなデッカイ手で、二度三度と豪栄道の顔面に突っ張りをした。
それ以外にも、後頭部への張り手もあり、あきれるしかなかった。
まともな突っ張りができない力士が増えている。
とっさの場面で顔に手がいくというのは、まともじゃない。
日頃の稽古で、親方がちゃんとした突っ張りを教えていないのだろうか。
「のど輪」という立派な技もあるが、これだって、力士のでっかい手で、相手の頚動脈を圧迫するのは禁じ手だ。
相撲の技と、プロレスでも反則技となるような禁じ手を混同して使うというレベルの低さが問題なのである。
そのことは、相手を失神させた大砂嵐の得意技「かちあげ」にもいえる。
「かちあげ」という技はあるが、相手の体のどの場所を狙うかを間違えている。
アゴの骨を狙ってヒジでかちあげる、金的を蹴る、目に指を突っ込む……といった技は禁じ手だ。
「張り差し」は技として認められているが、意図的に相手の耳を狙えば、鼓膜が破れてしまう。
そうなれば、反則技と変わらなくない。
そのあたりの基本がわかっていない力士が増えているのではないか。
髷(まげ)をつかむ! 顔面骨折! これが相撲か
横綱日馬富士が髷をつかんで「反則負け」というのもひどかったが、反則をした日馬富士が「眼窩内壁骨折」で眼から出た血が止まらず「休場」というのはもっとひどかった。
まるで乱闘だ。
国技の名を汚すようなことはするな。
プロレスでも、そこまでやらない。
「力士の大型化」と「喧嘩まがいの乱暴な取り口」とは別の次元だ。
相撲の禁じ手は、単なる「乱暴な技」というだけではない。
「髷(まげ)をつかむ」と反則になるのは、乱暴な行為だからというだけではない。
「礼を失した行為」だからだ。
仕切りなどと同様、技にも「様式美」や「礼儀」「品位」というものがある。
相撲は、どんな手を使っても勝てばいいというスポーツではないのだ。
そこのところを、親方衆は力士にきちんと説明指導しないとダメだ。
(城島明彦)
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