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2014/09/18

吉田松陰の遺書『留魂録』、来週発売です

来年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の兄・吉田松陰

 「吉田松陰の本を一冊書きたい」
 という強い思いに捉われたのは、2年前の夏だった。

 知人の編集者で作家でもある福島茂喜(柳下要司郎)さんから、
 「徳間書店のムックで吉田松陰の松下村塾(しょうかそんじゅく)をやることになったので、手伝ってほしい」
 といわれ、吉田松陰の人生や語録などを執筆し、そう思ったのだ。

 ムックは『吉田松陰の夢 松下村塾の魂」というタイトルで2012年10月に発売された。

 その後、宮本武蔵の『五輪書』の現代語訳の仕事を振ってくださった『アップルシード・エージェンシーの鬼塚忠さん、栂井理恵さんから、
 「吉田松陰の遺書『留魂録』の現代語訳・解説を書かないか」
 と誘われたので、二つ返事で承知し、版元の致知出版社と細かい打ち合わせをして、執筆に取り掛かったという経緯がある。


76分で読める『五輪書』、24分で読める『留魂録』

 『五輪書』は、「いつか読んでみたかった名著シリーズ」の一冊に位置づけられており、何分で読めるかという目安が表紙カバーに印刷されている。

 『五輪書』の表紙には「76分で読めます」と書いてある。

 そのシリーズの売りは、
 「全文をとことん読みやすくしました!」
 で、スピーディに読めるように工夫して書いてあるのだ。
 
 新刊の『吉田松陰 留魂録』の現代語訳は、
 「24分で読めます」
 と書いてある。

 「えっ!? 早すぎる」
 と思う人がいるかもしれないが、
 『留魂録』は、吉田松陰が処刑前日に書き終えた五千数百字の遺書である。
 400字詰め原稿用紙に換算すると、10数枚。

 松陰が教鞭をとった私塾「松下村塾」(しょうかそんじゅく)の塾生に宛てたものだから、そんなに長々と書く必要はないのである。

 それだけでは一冊の本にならないので、残りは『留魂録』と吉田松陰という人物の解説である。
 
 遺書を理解するには、そこまでの人生を知っておく必要があるのだ。

 吉田松陰という人が、どういう生き方をし、どういう考えの人だったのか、どんな弟子がいたのか、どういうことを教えたのか、なぜ処刑されることになったのかといったことなどを理解して初めて、遺書に書かれた文章や内容が理解できるのである。


吉田松陰は人を差別しない人格者だった

 吉田松陰は、長州藩の兵学者・思想家。論客だったが、井伊直弼(いいなおすけ)の弾圧政治「安政の大獄」(あんせいのたいごく)で処刑された。
享年30。

 だが、その若さで膨大な量の著作を残し、藩主が目をかけた逸材だった。
 
 松陰の門弟だった塾生から、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎ら「明治の元勲」と呼ばれる人物が何人も出ている。

 西郷隆盛、坂本龍馬、勝海舟らと並んで明治維新の最大の功労者の一人だった高杉晋作は、〝松門(しょうもん)の双璧〞といわれていた。

 双璧のもう一人は、久坂玄瑞(くさかげんずい)である。

 来年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公・吉田文(ふみ)は、松陰の妹の一人で、彼女が最初に結婚する相手が久坂玄瑞なのだが、久坂玄瑞は「禁門の変」で会津・薩摩の軍と戦い、重傷を負って自刃して果てた。

 その後、文は、母の強い勧めで、松陰の友人で門弟でもあった小田村伊之助(おだむら いのすけ)と再婚する。
 小田村は、後に楫取素彦(かとり もとひこ)と改名し、初代群馬県知事になる。
 松陰は処刑される前に、松下村塾の後事を小田村伊之助に託している。
 松陰も人格者だったが、小田村もまた人格も高潔な男で、教育熱心だったのだ。


本の「あとがき」の冒頭を引用

 「死んで花実が咲くものか」
 という言い方があるが、吉田松陰は、
 「死んで花実を咲かせた人」
 である。

 幕末維新の動乱期に活躍したヒーローの多くが、天寿をまっとうせずに死んでいる。
  坂本龍馬  暗殺 享年三十三
  西郷隆盛  自刃 享年五十一
  大久保利通 暗殺 享年四十九
  伊藤博文  暗殺 享年六十九

 しかし、彼らは大きな事業を成し遂げて後の非業の死である。坂本や西郷は薩長同盟を成し遂げ、大久保や伊藤は明治政府の総理大臣にまで上りつめた。

 一方、松陰の門弟だった高杉晋作も、病魔に蝕まれて志(こころざし)なかばで散りはするが、奇兵隊を結成して指揮を執り、薩長同盟の中心人物としても政治の表舞台に立った。

 ところが松陰は、〝維新の種を蒔いた〞だけで世を去っている。しかも、活躍期間は二十代後半の数年間と短い。そしてまた、その死は処刑である。享年三十。散った年齢も若い。
 そこが、他の幕末維新のヒーローと大きく異なる点だ。


『留魂録』の原文をそのまま載せ、ルビを振った本はこれまでなかった

 『留魂録』は、これまでに何冊か現代語訳が出版されている。
 そこに割って入るのだから、独自性・独創性が必要になる。

 PR調になるが、松陰直筆の『留魂録』をそのまま引用し、さらにそれに基づいて現代語訳した本は、過去に例がない。

 松陰マニアの人は無論、松陰の『留魂録』を初めて読む人も、満足してくれるはずだ。

 手前みそになってしまうけれど、編集担当の小森俊司さんが、最初の原稿を読んだときに、
 「感動した。吉田松陰という人が、こんなに素晴らしい人だったとは知らなかった」
 といってくれたことを付記しておきたい。


『留魂録』の謎

 松陰は『留魂録』を2部書いた。
 幕府がそれを門弟の手に渡らないようにするのを恐れてのことだ。

 一冊は、幕府のチェックをかいくぐって、長州にいた高杉晋作ら門弟の手元に無事届いたが、門弟間で回覧し、書写しているうちに行方知れずとなった。

 もう一冊は、三宅島へ島流しされることになっている牢名主の男にこっそり渡し、
 「おぬしが刑期を終えて江戸に戻ったら、長州藩の誰かに渡してくれ」
 と頼んだ。

 その男は、元福島藩士で義侠心があり、島流しの期間中、大切に保管し、明治時代になって恩赦され、東京に戻ると、門弟にそれを届けたのだ。

 それが、今日、松陰神社に保管されている真筆の『留魂録』で、本の表紙カバーの写真がそれだ。

 だが、その本をめぐっても謎がいくつかある。
 あとは、本を読んでのお楽しみということで、ぜひご一読を。

 Photo_2
(致知出版社 発行)


(城島明彦)

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