多摩川に さらす手作り サラサーテ
川が呼んでいる
かに座生まれのせいでありましょうか、川を見ると胸が騒ぐのでございます。
その日は、多摩川が私を呼んでおりました。
というわけで、2日前(9月22日)、出版社での打ち合わせの岐路、二子玉川駅で下車し、多摩川の川べりまで短い足を伸ばしましたな。
時刻は夕暮れ。
川に張り出した石積みの低い突堤に一人、腰を下ろして流れる水を眺めると、
浮かぶのは、情けないことに「おやじギャク」でありました。
多摩川に さらす手作り サラサーテ
頭に浮かぶは、むろん、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」
というダジャレ川柳ですな。
この元歌は、中学とか高校で万葉集を勉強するときには出てくる有名な歌の一つ。
多摩川に さらす手作り さらさらに 何(なに)そこの児の ここだ愛(かな)しき
多摩川のとうとうとした流れと、そこに手織りの布をひたし、さらしている美しい娘の腕の白さがまぶしくて心を動かされたという情景が浮かぶ内容ですぞ。
「さらす手作り さらさらに」
韻を踏んでおりますな。
さらさらに――きれいな日本語じゃありませんか。
川の流れが目に浮かびますな。
布を晒(さら)すの「さらす」という意味以外に、
♪ 春の小川は さらさらゆくよ
あの「さらさら」なんですぞ。
女性の長い髪の毛を「さらさら」というときも、
どこか、川の流れのようなイメージと重なりますな。
万葉の昔から流れる多摩川
私が多摩川の川べりに降り立ったその日は、前日に降った雨のせいか、濁っていて流れがかなり早くなっておりましてな。
激しい白波を立てて水が砕け、激しい音を立てているのを見ると、ふっと浮かぶ歌がありますな。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 遭わんとぞ思ふ
のちに四国に流され、「日本の怨霊の頂点に君臨する」ことになる崇徳院の歌ですな。
この歌だけで終わらないのが、私の情けないところ。
またまた、ダジャレ川柳が鮎の銀鱗のように脳裏で跳ねたのでございます。
瀬をはやみ 早見優は いまいずこ
20分ばかり川面を眺めてから川べりをゆるりと離れ、土手の方へと向う途中に、川と切り離されて大きなひょうたん型になった大きな池がございましてな。
そのそばを通りかかったときでございました。
そこで釣りをしていたじい様が、ちょうど小さな魚を釣り上げたところに出くわしたのでございます。
「何が釣れますか」
思わず口走って覗き込んでしまいましたのさ。
10センチばかりの細身の魚でしたな。
私が、その魚をじっと見つめると、じい様、
「ほとんど入れ食いです。えさは、パン。これが一番」
などと、あれこれ説明してくれましたぞ。
そのじい様は、多摩川べりの超高層マンションに住んでいる74歳の歯科医で、駅前のビルで1970年から営業してきた地元の名士らしいが、いまはリタイアし、そこが閉店状態になって折り、立地条件のよさや患者がついているということから、「貸してくれ」「譲ってくれ」といわれているが、譲らないでいるなどと話したのでありました。
高層階から人けが去ったのを見届けて、釣に来るのだということでございます。
「ただものではない立派なサオですな」
と私がいうと、そんなことをいわれたのは初めてのようで、
「なぜわかる。めききだ」
と喜ぶので、
「私は子どもの頃しか釣りをしたことはないが、物書きをしているので、その程度のことは見分けがつく」
と説明したのですな。
美しい鮎を見て思わず……
じい様は、子ども3人を医大にやり、勤務医などをしているとのことで、自身は悠々自適、週のうち3~4日は伊豆の大島へ釣りに行っているとのこと。
そのじい様とつい話し込んでいるうちに、あたりが暗くなってきたので、そこを離れましたけれど、その間、じい様がいうように、ほとんど入れ食い状態。
見ていると、何種類かの川魚が次々とかかりましたな。
しかし、魚がかかっても、すぐには上げず、泳がして遊んでおりましたな。
夏の大雨のときに川と池がつながり、魚が岸近区にあるその場所に逃げ、その後、水が引いてまた川と切り離されたために、魚が大量に池に残されたということでございました。
私が帰る前に見た最後の魚は、美しい鮎でしたな。
「ハウ・アー・ユー」
とダジャレを飛ばしたくなるのをグッとこらえて、その場を後にしたのでありましたぞ。
(城島明彦)