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2014/09/30

サザンオールスターズの「東京VICTORY」、サブリミナルではないか!?


前科持ちのTBSならやりかねない

 「アジア大会」のテレビ中継や録画番組でサザンオールスターズの「東京VICTORY」の演奏が流れると、そのたびに私は頭が痛くなる。

 音楽がやむと、元の状態に戻る。

 これは私だけの現象なのか!?

 ミキシング時に「サブリミナル効果」を狙ったミキシングをおこなっていないか?
 音楽に詳しい人は調べてほしい。

 「サブリミナル」というのは、それをしのばせた映画・ドラマ・音楽を見たり聞いたりすると、無意識のうちにある行動や感情に走るように細工すること一種の催眠術で、映画や音楽にそれを用いることは禁止されている。

 映画やドラマは、録画してコマ送りにしないと気づかないようになっているので、なかなか気づかない。

 サザンの曲では、その曲を聴くと「アジア大会」の中継番組を見たくなるようにさせるような音を意図的に入れているのではないか、という疑問になる。

 その例として挙げられるのは、かつて、映画のフィルムのなかにコカコーラが飲みたくなるようなカットを何コマか挿入し、それを繰り返したところ、映画が終わって休憩時間になると観客の多くが売店でコーラを買ったというものだ。

 コーラのサブリミナル事件は、アメリカで起きたかなり古い事件だが、日本でも1995年に起きている。

 オウム真理教に関する番組をTBSテレビが放送したとき、教祖の麻原彰晃の顔をそのなかに意図的に繰り返し挿入し、視聴者を洗脳しようとした事件がそれだ。

 オウム真理教は、その以前(1989年)にも日テレのアニメ番組に麻原の顔を挿入している。


オウム真理教は小説『平家教団の陰謀』からヒントを得たのでは?

 実は、私は、オウム真理教が日テレのアニメ番組にサブリミナルを仕込む3年前(1986年)に『平家教団の陰謀』という推理小説を書いている。
 その本はたいして売れなかったから、事件となって騒がれたときは書店からは姿を消していたが、オウム真理教の誰かが書名に飛びついて目を通したと考えてもおかしくはない。
 事件が報じられたとき、本の手口をまねたなと思ったが、オウム真理教に利用されたことは気分が悪く、そのことは黙っていた。

 そのなかに、平家教団が映画を制作し、そのなかに「平」「家」「教」「団」の4文字を挿入して編集し、映画を見た人が信者になりたいと思わせるように洗脳したという場面が出てくる。


 (城島明彦)
 

2014/09/28

大相撲は、もはや「国技」ではない


モンゴル人と日本人とでは相撲の身体能力が違いすぎる

 陸上競技では、日本人はマラソンが得意だが、アフリカの高地に国がある民族には叶わない。
 短距離は、アフリカ系黒人がダントツの俊足を誇っている。

 バレーの強い民族、バスケットの強い民族、水泳の強い民族……といったように、どの民族にも得手不得手がある。

 そういう視点で、大相撲を眺めてみると、日本人の身体能力は、明らかに〝モンゴル相撲〞の国、モンゴル民族に劣っている。

 ぶっちぎりの強さだった朝青龍。
 ほとんど無敵、記録を塗り替えまくる白鵬はモンゴル人。
 日馬富士、鶴竜、白鵬――横綱はすべてモンゴル出身。
 40歳で幕内力士、しかも勝ち越した旭天鵬もモンゴル人。
 新入幕なのに大関や横綱相手に「待った」はするわ、はたき込んで勝つわ、ふてぶてしさは横綱級の逸ノ城もモンゴル人。

 一方の日本人力士はといえば。
 大器といわれながら〝ノミの心臓〞が災いし、横綱昇進のチャンスを逃す稀勢の里。
 才能がありながら大関にはほど遠い隠岐の海。
 がっぷり四つで白鵬を堂々と寄り切る力がありながら、もろい負け方が目立つ豪栄道。
 躍進が期待されながら取り口を研究されて大負け、期待はずれの遠藤。


日本人が小さいから柔道に階級制を設けた

 大相撲と同じく、日本の国技とされてきたのは柔道である。

 「小よく大を制す」が日本の柔道の特徴だった。
 体のでかい者が小さな体の者を圧倒するのは当たり前。
 だが柔道は、そうではなかった。
 体の小さい者が体の大きいものを、相手の勢いなどを利用して放り投げ飛ばす。 
 それが柔道の醍醐味だった。

 ところが、柔道が世界各国で愛好されるようになると、「小が大を制す」とばかりも行かない「体力差」という現実に突き当たった。


東京五輪で日本古来の柔道は消えた

 柔道が、いまからちょうど50年前の1964年に開かれた東京五輪大会で初めて正式種目に採用されたとき、全日本柔道連盟は、最強の柔道王者を決める無差別級の巨人ヘーシンクの相手に神永昭夫を選んだ。

 この神永、試合直前にじん帯を断裂していながら、そのまま試合に臨み、身長・体差で大差のあるヘーシンクに赤子の手をひねるように簡単にやられてしまった。
 自信があったのかもしれないが、柔道をなめていた。
 ケガに気づかなかったコーチたちも悪い。
 
 神永は決勝で敗れて銀メダルは取ったものの、日本国民を失望させた。

 ヘーシンクが相手であれば当初から猪熊功を出すべきだったが、全日本柔道連盟は猪熊より上背がまさる神永を選んだ。
 この人選ミスで、五輪主催国の日本は、国技でありお家芸である柔道の王者になれなかったのだ。

 猪熊は重量級に回され、金メダルを取った。


日本の柔道には「階級制」はなかった

 階級制が設けられた時点で日本の柔道は滅びた、と私は思っている。
 世界の男女がスポーツとして楽しんでいる現在の柔道は、日本古来の柔道ではなく、そこから枝分かれした〝新種の柔道〞であり、それを否定するつもりはない。

 一方、相撲も、若乃花や栃錦が活躍した昭和30年代の力士とは、身長も体重もおそろしく大型化しただけでなく、肉食系で巨人の外国人が土俵をにぎわせ、プロレスまがいの乱暴な技や取り口が目に付くようになった。

 だが、相撲には階級制はない。階級制を設けたら、取り組みが成立しなくなる。
 稽古して腹をすかせ、食べまくって寝て、太らせる。
 それが力士だ。

 能力はあっても、軽量に泣いて横綱や大関になれなかった力士は掃いて棄てるほどいる。
 だから、どんどん食べてどんどん太るようにする。
 そういう無茶を繰り返す反動は、引退後にやってくる。
 力士は、まず例外なく早死にしているのだ。


大相撲もまた、もはや日本古来の国技ではない

 相撲は、その姿かたちや土俵入りなど、昔の伝統を継承しているために、古来のものと思いがちだが、それは表面上だけで、さまざまな変化を見据えると、現在の大相撲は「古来の相撲とは似て非なるもの」というべきではないかと思えてきた。

 白鳳がガッツポーズさながら懸賞金の束を高く掲げて見せたり、日馬富士も鶴竜も、白鵬までもが張り差しや張り手といった横綱にはふさわしくない〝下品な技〞を繰り返す。

 碧山(あおいやま)は顔面に突っ張りをかまし、大砂嵐は「かちあげ」という技を勝手に誇大解釈して、ヒジで相手のあごを砕きに行く反則まがいの技を乱発している。

 横綱日馬富士は、めったに見られない反則技「髷(まげ)つかみ」をふり返す。

 それが時代の流れというべきなのか。

 
 (城島明彦)

2014/09/24

多摩川に さらす手作り サラサーテ

川が呼んでいる

 かに座生まれのせいでありましょうか、川を見ると胸が騒ぐのでございます。
 その日は、多摩川が私を呼んでおりました。

 というわけで、2日前(9月22日)、出版社での打ち合わせの岐路、二子玉川駅で下車し、多摩川の川べりまで短い足を伸ばしましたな。

 時刻は夕暮れ。
 川に張り出した石積みの低い突堤に一人、腰を下ろして流れる水を眺めると、
 浮かぶのは、情けないことに「おやじギャク」でありました。

  多摩川に さらす手作り サラサーテ

 頭に浮かぶは、むろん、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」
 というダジャレ川柳ですな。

 この元歌は、中学とか高校で万葉集を勉強するときには出てくる有名な歌の一つ。

  多摩川に さらす手作り さらさらに 何(なに)そこの児の ここだ愛(かな)しき

 多摩川のとうとうとした流れと、そこに手織りの布をひたし、さらしている美しい娘の腕の白さがまぶしくて心を動かされたという情景が浮かぶ内容ですぞ。

 「さらす手作り さらさらに」
 韻を踏んでおりますな。
 
 さらさらに――きれいな日本語じゃありませんか。
 川の流れが目に浮かびますな。
 布を晒(さら)すの「さらす」という意味以外に、

  ♪ 春の小川は さらさらゆくよ
 
 あの「さらさら」なんですぞ。
 女性の長い髪の毛を「さらさら」というときも、
 どこか、川の流れのようなイメージと重なりますな。


万葉の昔から流れる多摩川

 私が多摩川の川べりに降り立ったその日は、前日に降った雨のせいか、濁っていて流れがかなり早くなっておりましてな。
 激しい白波を立てて水が砕け、激しい音を立てているのを見ると、ふっと浮かぶ歌がありますな。

  瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 遭わんとぞ思ふ

 のちに四国に流され、「日本の怨霊の頂点に君臨する」ことになる崇徳院の歌ですな。

 この歌だけで終わらないのが、私の情けないところ。
 またまた、ダジャレ川柳が鮎の銀鱗のように脳裏で跳ねたのでございます。

  瀬をはやみ 早見優は いまいずこ

 20分ばかり川面を眺めてから川べりをゆるりと離れ、土手の方へと向う途中に、川と切り離されて大きなひょうたん型になった大きな池がございましてな。

 そのそばを通りかかったときでございました。
 そこで釣りをしていたじい様が、ちょうど小さな魚を釣り上げたところに出くわしたのでございます。

 「何が釣れますか」
 思わず口走って覗き込んでしまいましたのさ。

 10センチばかりの細身の魚でしたな。
 私が、その魚をじっと見つめると、じい様、
 「ほとんど入れ食いです。えさは、パン。これが一番」
 などと、あれこれ説明してくれましたぞ。

 そのじい様は、多摩川べりの超高層マンションに住んでいる74歳の歯科医で、駅前のビルで1970年から営業してきた地元の名士らしいが、いまはリタイアし、そこが閉店状態になって折り、立地条件のよさや患者がついているということから、「貸してくれ」「譲ってくれ」といわれているが、譲らないでいるなどと話したのでありました。

 高層階から人けが去ったのを見届けて、釣に来るのだということでございます。

 「ただものではない立派なサオですな」
 と私がいうと、そんなことをいわれたのは初めてのようで、
 「なぜわかる。めききだ」
 と喜ぶので、
 「私は子どもの頃しか釣りをしたことはないが、物書きをしているので、その程度のことは見分けがつく」
 と説明したのですな。


美しい鮎を見て思わず……

 じい様は、子ども3人を医大にやり、勤務医などをしているとのことで、自身は悠々自適、週のうち3~4日は伊豆の大島へ釣りに行っているとのこと。

 そのじい様とつい話し込んでいるうちに、あたりが暗くなってきたので、そこを離れましたけれど、その間、じい様がいうように、ほとんど入れ食い状態。
 
 見ていると、何種類かの川魚が次々とかかりましたな。
 しかし、魚がかかっても、すぐには上げず、泳がして遊んでおりましたな。
 
 夏の大雨のときに川と池がつながり、魚が岸近区にあるその場所に逃げ、その後、水が引いてまた川と切り離されたために、魚が大量に池に残されたということでございました。

 私が帰る前に見た最後の魚は、美しい鮎でしたな。
 
 「ハウ・アー・ユー」 
 とダジャレを飛ばしたくなるのをグッとこらえて、その場を後にしたのでありましたぞ。

(城島明彦)


神戸の女児殺人犯は、公開処刑にすべし


人を殺した人間に「人権」などない。あるのは「獣権」だ

 行方不明の女児が行方不明になったというニュースが流れたとき、
 娘を持つほとんどの親は、胸を痛めたはずだ。

 私もそうだった。
 無事に戻ってくるように、と願った。

 だが、失踪から日が経つにつれて、
 「もしかしたら、ころされてしまったのか」
 という不安が募った。

 そして、遺棄されていた遺体が見つかった。

 あと70年も80年も続くはずだった彼女の人生を、
 47歳にもなった男が、
 獣欲のために誘拐し、惨殺して遺棄した。

 普通の人間には、できない行為だ。
 人として許される範囲を超えている。

 そういう人間が、今日まで
 のうのうと生きてこられた社会のしくみ、
 犯罪防止のしくみに
 問題があるとしか思えない。


人を殺しても生きられる法律がおかしい

 人が殺されないと警察は動かない。
 ストーカー被害にあっって警察に相談しながら、
 何人の被害者がその直後に惨殺されたか。

 そういうことをする人間の人権なんかないのだ

 わが子を惨殺したり、
 いたいけな女児を誘拐し殺すような者に
 「人権」などない!
 あるとすれば、「獣権」だ。

 彼らは人間ではない。
 野犬化した野獣だ。

 狂犬を野放しにしていれば、
 噛まれて死に至ることがわかっていて、
 野放しにするという感覚がおかしい。

 「人の命は地球よりも重い」などといいながら、
 平気で人を殺した人間が、
 数年で出所できる裁判のしくみが問題だ。
 何が精神鑑定だ。

 少なくとも、性犯罪者などは
 アメリカ並みに氏名住所を公表すべきだ。

 こういうと、「そんなことをしても犯罪よく勢力にはならない」
 と反論する連中がいるだろうが、
 人の仮面をかぶった野獣など、
 即刻、「死刑」がふさわしい。
 それも「公開処刑」だ。

 (城島明彦)

2014/09/22

目を疑う〝常軌を逸した技〞が激増中の大相撲


日馬富士の顔面骨折はプロレス化した取り組みのせいだ

 大相撲秋場所の中日(8日目)。
 新大関の豪栄道と対戦した巨漢外国人力士碧山(あおいやま)の取り口は、ひどかった。

 顔面ツッパリが炸裂だ。
 碧山は、グローブのようなデッカイ手で、二度三度と豪栄道の顔面に突っ張りをした。
 それ以外にも、後頭部への張り手もあり、あきれるしかなかった。

 まともな突っ張りができない力士が増えている。
 とっさの場面で顔に手がいくというのは、まともじゃない。
 日頃の稽古で、親方がちゃんとした突っ張りを教えていないのだろうか。

 「のど輪」という立派な技もあるが、これだって、力士のでっかい手で、相手の頚動脈を圧迫するのは禁じ手だ。

 相撲の技と、プロレスでも反則技となるような禁じ手を混同して使うというレベルの低さが問題なのである。

 そのことは、相手を失神させた大砂嵐の得意技「かちあげ」にもいえる。
 「かちあげ」という技はあるが、相手の体のどの場所を狙うかを間違えている。

 アゴの骨を狙ってヒジでかちあげる、金的を蹴る、目に指を突っ込む……といった技は禁じ手だ。

 「張り差し」は技として認められているが、意図的に相手の耳を狙えば、鼓膜が破れてしまう。
 そうなれば、反則技と変わらなくない。

 そのあたりの基本がわかっていない力士が増えているのではないか。


髷(まげ)をつかむ! 顔面骨折! これが相撲か

 横綱日馬富士が髷をつかんで「反則負け」というのもひどかったが、反則をした日馬富士が「眼窩内壁骨折」で眼から出た血が止まらず「休場」というのはもっとひどかった。

 まるで乱闘だ。
 国技の名を汚すようなことはするな。
 プロレスでも、そこまでやらない。
 「力士の大型化」と「喧嘩まがいの乱暴な取り口」とは別の次元だ。
 相撲の禁じ手は、単なる「乱暴な技」というだけではない。
 
 「髷(まげ)をつかむ」と反則になるのは、乱暴な行為だからというだけではない。
 「礼を失した行為」だからだ。

 仕切りなどと同様、技にも「様式美」や「礼儀」「品位」というものがある。
 相撲は、どんな手を使っても勝てばいいというスポーツではないのだ。

 そこのところを、親方衆は力士にきちんと説明指導しないとダメだ。

 
(城島明彦)

2014/09/20

〝日本映画史上初の乳頭露出者〞は、意外にも〝白戸家の犬のお母さん〞だった


美貌いまだ衰えない若尾文子

 昨日(9月19日)のNHKテレビの「あさイチ」のゲストに女優の若尾文子が出ていた。
 御年80というけれど、さすがに超A級女優。美しい顔立ちは変わりませんな。

 年をとっても若い文子ですな。

 彼女、若い頃は「幻の馬」に出たことがありますが、近年では、すっかり「ソフトバンクの白戸家の犬」のお母さんですな。

 で、いまだ衰えぬその美貌に、思わず、
 「ワンだふる」
 と呟きそうになってしまいましたぞ。

 このお方こそ、何を隠そう、ほんの一瞬ではあるが、日本映画史上で初めて乳頭を露出してした女優なのである。

 うしろ姿ではありましたが、〝全裸第一号女優〞が新東宝の前田通子だったことは、比較的よく知られるようになりましたけれど、〝乳頭露出第一号〞が若尾文子だったことはほとんど知られていないのではないですかな。

 前田通子の全裸から3年後の1960年8月9日に封切られた「安珍と清姫」で、市川雷蔵扮する安珍が清姫に扮した若尾文子の着物を肩からずりさげるようにして脱がしたときに、ほんの一瞬だが、彼女の小ぶりの乳頭と乳輪が映るのであります。

 そのとき若尾文子は芳紀(ほうき)26歳。

 露出の一件を知った若尾文子、思わずいったとかいわないとか。
「これじゃ、安珍(安心)して夜も眠れません」

 いやらしい感じはまったくありませぬが、そういう映像が許されていない時代であり、しかも露出したのが「演技派ナンバーの美人女優」だったという点でギネス物ですぞ。

 なにしろ、当時の映画界では、乳輪が見える前に「ハイ、カット!」の声がかかるのが常識でありましたから、まずそういう場面が映ることなどありえません。
 「はずみ」で映ってしまったのでしょうかな。

 映画の後半で、安珍がその場面を回想するシーンが出てくるのですが、そちらは胸が見えない別カットを使っておりましてな。

 そういうカットがあるのなら、それと差し替えるべきだったけれど、そうしなかったのは、話題づくりを狙った監督(島耕二)の意図なのかと勘ぐりたくなりますが、島は遠い昔にあの世へ行ってしまったので、今では謎となっておりますぞ。

 もし島監督が意図的にやったとしても、当時そういう話がマスコミに取り上げられることはなかったので、空振りということになりますか。

 島は、明治生まれの元俳優で、「風の又三郎」とか「次郎物語」といったお堅い文芸物も撮っておりまして、意図的にそうした可能性は低いといえるかもしれませんな。

 この映画は2009年にDVD化されておりますからして、見た人もいるはず。
DVDで見るときは、静止画像にしないとお宝は確認できませんぞ。

 若尾文子が演じた清姫は、最後は大蛇になって恋しい安珍を追うという話だけに、こういう筋立てを
「乳頭蛇尾」
という、わけないか。

 それにしても、
 ちちよ、あなたは強かった。
 はは、のんきだね。
 (これで笑う人は、相当のじいさんだね)
 
 う~む、我ながら、なんとも情けない話を書いてしまった。

(城島明彦)

2014/09/18

吉田松陰の遺書『留魂録』、来週発売です

来年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の兄・吉田松陰

 「吉田松陰の本を一冊書きたい」
 という強い思いに捉われたのは、2年前の夏だった。

 知人の編集者で作家でもある福島茂喜(柳下要司郎)さんから、
 「徳間書店のムックで吉田松陰の松下村塾(しょうかそんじゅく)をやることになったので、手伝ってほしい」
 といわれ、吉田松陰の人生や語録などを執筆し、そう思ったのだ。

 ムックは『吉田松陰の夢 松下村塾の魂」というタイトルで2012年10月に発売された。

 その後、宮本武蔵の『五輪書』の現代語訳の仕事を振ってくださった『アップルシード・エージェンシーの鬼塚忠さん、栂井理恵さんから、
 「吉田松陰の遺書『留魂録』の現代語訳・解説を書かないか」
 と誘われたので、二つ返事で承知し、版元の致知出版社と細かい打ち合わせをして、執筆に取り掛かったという経緯がある。


76分で読める『五輪書』、24分で読める『留魂録』

 『五輪書』は、「いつか読んでみたかった名著シリーズ」の一冊に位置づけられており、何分で読めるかという目安が表紙カバーに印刷されている。

 『五輪書』の表紙には「76分で読めます」と書いてある。

 そのシリーズの売りは、
 「全文をとことん読みやすくしました!」
 で、スピーディに読めるように工夫して書いてあるのだ。
 
 新刊の『吉田松陰 留魂録』の現代語訳は、
 「24分で読めます」
 と書いてある。

 「えっ!? 早すぎる」
 と思う人がいるかもしれないが、
 『留魂録』は、吉田松陰が処刑前日に書き終えた五千数百字の遺書である。
 400字詰め原稿用紙に換算すると、10数枚。

 松陰が教鞭をとった私塾「松下村塾」(しょうかそんじゅく)の塾生に宛てたものだから、そんなに長々と書く必要はないのである。

 それだけでは一冊の本にならないので、残りは『留魂録』と吉田松陰という人物の解説である。
 
 遺書を理解するには、そこまでの人生を知っておく必要があるのだ。

 吉田松陰という人が、どういう生き方をし、どういう考えの人だったのか、どんな弟子がいたのか、どういうことを教えたのか、なぜ処刑されることになったのかといったことなどを理解して初めて、遺書に書かれた文章や内容が理解できるのである。


吉田松陰は人を差別しない人格者だった

 吉田松陰は、長州藩の兵学者・思想家。論客だったが、井伊直弼(いいなおすけ)の弾圧政治「安政の大獄」(あんせいのたいごく)で処刑された。
享年30。

 だが、その若さで膨大な量の著作を残し、藩主が目をかけた逸材だった。
 
 松陰の門弟だった塾生から、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎ら「明治の元勲」と呼ばれる人物が何人も出ている。

 西郷隆盛、坂本龍馬、勝海舟らと並んで明治維新の最大の功労者の一人だった高杉晋作は、〝松門(しょうもん)の双璧〞といわれていた。

 双璧のもう一人は、久坂玄瑞(くさかげんずい)である。

 来年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公・吉田文(ふみ)は、松陰の妹の一人で、彼女が最初に結婚する相手が久坂玄瑞なのだが、久坂玄瑞は「禁門の変」で会津・薩摩の軍と戦い、重傷を負って自刃して果てた。

 その後、文は、母の強い勧めで、松陰の友人で門弟でもあった小田村伊之助(おだむら いのすけ)と再婚する。
 小田村は、後に楫取素彦(かとり もとひこ)と改名し、初代群馬県知事になる。
 松陰は処刑される前に、松下村塾の後事を小田村伊之助に託している。
 松陰も人格者だったが、小田村もまた人格も高潔な男で、教育熱心だったのだ。


本の「あとがき」の冒頭を引用

 「死んで花実が咲くものか」
 という言い方があるが、吉田松陰は、
 「死んで花実を咲かせた人」
 である。

 幕末維新の動乱期に活躍したヒーローの多くが、天寿をまっとうせずに死んでいる。
  坂本龍馬  暗殺 享年三十三
  西郷隆盛  自刃 享年五十一
  大久保利通 暗殺 享年四十九
  伊藤博文  暗殺 享年六十九

 しかし、彼らは大きな事業を成し遂げて後の非業の死である。坂本や西郷は薩長同盟を成し遂げ、大久保や伊藤は明治政府の総理大臣にまで上りつめた。

 一方、松陰の門弟だった高杉晋作も、病魔に蝕まれて志(こころざし)なかばで散りはするが、奇兵隊を結成して指揮を執り、薩長同盟の中心人物としても政治の表舞台に立った。

 ところが松陰は、〝維新の種を蒔いた〞だけで世を去っている。しかも、活躍期間は二十代後半の数年間と短い。そしてまた、その死は処刑である。享年三十。散った年齢も若い。
 そこが、他の幕末維新のヒーローと大きく異なる点だ。


『留魂録』の原文をそのまま載せ、ルビを振った本はこれまでなかった

 『留魂録』は、これまでに何冊か現代語訳が出版されている。
 そこに割って入るのだから、独自性・独創性が必要になる。

 PR調になるが、松陰直筆の『留魂録』をそのまま引用し、さらにそれに基づいて現代語訳した本は、過去に例がない。

 松陰マニアの人は無論、松陰の『留魂録』を初めて読む人も、満足してくれるはずだ。

 手前みそになってしまうけれど、編集担当の小森俊司さんが、最初の原稿を読んだときに、
 「感動した。吉田松陰という人が、こんなに素晴らしい人だったとは知らなかった」
 といってくれたことを付記しておきたい。


『留魂録』の謎

 松陰は『留魂録』を2部書いた。
 幕府がそれを門弟の手に渡らないようにするのを恐れてのことだ。

 一冊は、幕府のチェックをかいくぐって、長州にいた高杉晋作ら門弟の手元に無事届いたが、門弟間で回覧し、書写しているうちに行方知れずとなった。

 もう一冊は、三宅島へ島流しされることになっている牢名主の男にこっそり渡し、
 「おぬしが刑期を終えて江戸に戻ったら、長州藩の誰かに渡してくれ」
 と頼んだ。

 その男は、元福島藩士で義侠心があり、島流しの期間中、大切に保管し、明治時代になって恩赦され、東京に戻ると、門弟にそれを届けたのだ。

 それが、今日、松陰神社に保管されている真筆の『留魂録』で、本の表紙カバーの写真がそれだ。

 だが、その本をめぐっても謎がいくつかある。
 あとは、本を読んでのお楽しみということで、ぜひご一読を。

 Photo_2
(致知出版社 発行)


(城島明彦)

2014/09/09

錦織圭3-0で大負け――優勝と決めてかかったテレビ各局の〝こりないバカさ加減〞


モーニングショーはバカ丸だし

 決勝当日の今日は、試合を中継できない民放各局が朝からワイドショーでバカ騒ぎだ。

 全米テニスの決勝戦が開始されてすぐ、相手選手の方が調子がよく、
 「準決勝までの錦織と違う」
 「危ない」
 ということがすぐに見てとれたのに、錦織の出身地の松江市を中継したり、ニューヨーク特派員を呼び出したり、こいつら何を考えているのか。

 結果は3-0のストレート負け。
 試合らしい試合をさせてもらえなかった。

 過去の2人の対戦成績が錦織の5勝2敗で、現在のランキングも相手が格下ということで、どのメディアも、錦織が勝って当然という見方をしてきた。

 そういう報道をして錦織にプレッシャーをかけ続け、結果的にはつぶしてしまったのだ。

 日本人なら誰でも、錦織に勝ってほしいと思うはず。

 しかし、試合には番狂わせが付きものだ。
 苦手な相手というのもある。
 当日の体調や精神状態も大きく左右する。

 ならば、相手選手をもっと追いかけて報道したらどうなのか
 相手選手をとことん追いかけて、プレッシャーをかけてやればよかったではないか。
 それでこそ、〝日の丸メディア〞だ。

 それなのに、相手選手(クロアチアのマリン・チリッチ)のことは、何ひとつ伝えず、ただミーハー的にバカ騒ぎする。
 それが公共の電波を使ってやる取材という仕事なのか。

 こいつらのやっていることは、「ひいきの引き倒し」だ。

 サッカーのW杯で、こりたのではなかったのか。


(城島明彦)

2014/09/05

災害には予兆あり。デング熱は「人災」だ。


土砂災害の「くさい土の臭い」が意味するもの

 広島を襲った土砂災害がテレビで報道されたとき、
 罹災した何人もの人が、
 「くさい臭いがした」
 と証言しているのを聞いて、
 (どんな臭いなのか)
 と関心を持った。

 追々(おいおい)状況がわかるにつれて、
 「土の臭いだった」
 ということを知った。

 どんな臭さだったのかは体験者にしかわからないが、普通の土の臭いとは明らかに違っていたのだろう。

 その臭いで異常を察知し、間一髪、難を逃れた人もいた。
 それは、もしかすると、自然が人間に対して発する「悲鳴」であり、一種の「警告の合図」ではないのか。


天災には前兆がある

 「くさい土の臭い」で思ったのは、
 「大災害が起きる前の自然界には、普段と違う異変が生じる」
 ということだった。

 私が中学生の頃、「伊勢湾台風」という巨大な台風が中京地区を襲撃し、甚大な被害を与えたが、台風が接近した日の夕焼けの色がえらくどぎつかったのを、いまも覚えている。

 今夏、台風がらみの豪雨が関東地方を襲ったときも、やはり、夕焼けの色が普段と違っていた。
 黒澤明監督が好んだ色彩のように、どぎつく毒々しい美しさだった。

 阪神・淡路大震災のときも、普段と違うある種の異変が生じていたと多くの罹災者が語っていた。

 動物は人間より嗅覚などが発達している。
 ナマズを飼って地震研究している学者もいるくらいだ。
 動物は、自然界の前触れを敏感に感知し、群れを成して安全な方角へ逃げる。


自然破壊がもたらした日本のデング熱

 「代々木公園で蚊に刺され、デング熱になった」
 というニュースが流れたときも、最初は、
 「何かの間違いではないのか」
 と思ったが、地球温暖化がじわじわと進んで、日本の気候は、いつのまにか東南アジアの地域のようになり、昭和の頃とは一変してしまった。

 熊が村を遅い、鹿やイノシシが街中に出没する。
 オウムやインコなどが公園で大繁殖。
 妙な毒グモが増えたり、噛みつきガメがそのあたりの河川に姿を現したりする。
 野生動物に餌づけしたり、育てきれなくなったペットを勝手に野や川や湖に放った結果、人為的にまともな自然界でなくしてしまったのだ。

 異常な猛暑。
 猛暑なのに冬は豪雪。
 海流温度変化による魚の遊泳進路変化。
 深海魚の水面浮上 など。

 「デング熱をもたらす蚊が、代々木公園で繁殖し、人にデング熱を媒介した」
 などという話は、本来、小説とか映画の世界の出来事だ。
 しかし、いまの日本は、SF的な出来事がごく当たり前のように起こる環境になっている。

 何十年先という単位ではなく、おそらく何百年先の話になろうが、
 このまま高温が続けば、日本列島の蚊、ハエなどの昆虫は
 生息域をどんどん北方へと延ばしながら、しだいに巨大化していく。

 今回の「デング熱患者、続出事件」は、その延長線上にある。
 デング熱は、元をたどれば「人災」なのだ。


「乱開発」「乱獲」「自然破壊」「農薬」などがもたらした人災

 中国の自然破壊の度合い、公害の程度は、高度成長期の日本の比ではない。
 領土も広いが、人も多い。

 中国のスモッグは尋常ではない。
 中国のけた外れの乱開発、ブラジルの広大な森林の伐採……。
 使い捨て文化の横行。

 人間の限度を超えた欲望が、地球を異常なかたちに変えてしまった。

 巨大流星が落下して恐竜が絶滅したというような話は「天災」。
 しかし、今日、異様な集中豪雨や異常高温をもたらした過半の要因は、まぎれもなく「人災」だ。

 中国など、耕地の5分の1を毒性が残る土壌に変えてしまった。
 そういう国から食糧を大量に輸入してきた日本人の体は、知らず知らずのうちに、ある種の毒におかされている。
 しかし、すぐには表面化しない。
 じわじわと効いてくる。
 遺伝子に作用するものは100%ないとと言い切れるか。


青い変色肉をリフレッシュして儲ける〝おぞましさ〞

 先日、上海の食肉加工工場で腐った肉を、
 先端技術を駆使してリフレッシュさせ、巧妙にリサイクル化して、廃棄することなく使い回すという、〝おぞましすぎる製造現場〞のスクープ映像が繰り返し流れた。

 海外向けと国内向けは分けて製造しているということだが、わかったものか。
 牛肉も豚肉も、マグロのサシミだって、時間がたっても変色しないように工夫されているご時勢だ。
 
 日本のマクドナルドは、そういうことを平然とやってきた中国上海の食肉加工肉を2002年からその工場から輸入し、使ってきたのだ。

 12年間、一度も古い肉を使っていなかったという保証がどこにある。

 そういう怪しげなものと知らずに、マクドナルドというブランドを信じ、それに騙されて、日本人は食べ続けてきたのだ。
 (この話は、10月1日発売の「広報会議」に書いているので、興味のある方はご一読を。今月号は「ベネッセ事件」)

 「盲目的ブランド信仰」が日本を滅ぼす元凶の一つになっている。

 日本うなぎが絶滅危惧種に指定されるほど、食べつくしてしまう日本人の異常食欲。
 
 何がグルメだ。
 日本人は、浅ましい民族に成り果てた。

 それを煽っているのが、テレビ番組だ。

 朝から晩まで、NHKまで食べ物番組を流し続ける。
 そんな暇があったら、「食の安全」「食料が枯渇しない食べ方」「温暖化の阻止のしかた」といった、もっと頭を使った番組をつくれ。

 (城島明彦)
 

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