〝ウインドウズXP症候群〞のせいで、2か月間もブログ更新できなかった
ユーザーの気持ちを踏みにじったマイクロソフトへの〝XP恨み節〞
丸2か月もブログを更新しなかったことは過去に一度もないが、書く気になれなかった。
私もいい年なので、「死んだのか」とか「病気にでもなったか」などと心配してくれる人もいるので、2か月間もダンマリを決めていた理由を以下に書こうと思う。
このブログは、ウインドウズXPを自分でウインドウズ7にバージョンアップしたデスクトップ型のパソコンで書いている。
「XPは、明日からウィルス攻撃に対し丸裸状態になる。新しいパソコンと買い換えるべし」
とマイクロソフトやパソコンメーカーや家電量販店などからさんざん脅された、〝あの忌まわしい4月9日〞を、私は生涯忘れることはない。
「まだ十分使えるパソコンを、なぜ捨てなければならないのか!」
そこで、メーカーの富士通にその思いを伝えて、相談すると、
「うまくいくかどうか保障できかねる。その覚悟が必要」
などといい、どうしてもやりたいというのであれば、ウインドウズ8・1は難しい、7だといわれた。
日本人の美徳は死んだ
私の世代は、子供の頃から、
「食事では、茶碗のご飯は一粒たりとて残すな。お百姓さんが汗水流して作った大切なお米だ」
と、いわれ続け、毛糸のセーターはほどいて新しいものにしたものを着、パンツのゴムがゆるゆるになったら新しいゴムと取り替えて使うなどした。
それが日本人の美徳だったのだ。
「どんなものも大切に使え。いたんだりしたときは、修繕して、とことん使い続けろ。それが日本人の生き方だ」
という感覚を自然に叩き込まれた。
それが、いまではどうだ。
「捨てろ、捨てろ」
捨てることが美徳であるかのごとき論理が、あたかも正論であるかのようにまかり通っている。
そういうことを思うようになった時点で、日本は死んだのだ。死なないまでも、病んでしまったのだ。
パソコンのキーボードのキーの文字が剥げ落ちてみづらくなったので、白色のマーカーを買ってきてキーにアルファベットを書き、その上から四角く小さくきったセロテープを貼って使っている。
そういう工夫をして、とことん道具も着るものも食べるものも大事にしてきたのが、昔の日本人だ。
XPを7に変えるのに、10日間も悪戦苦闘
話が脇道に入ったので、元に戻す。
「使えるパソコンは改善して使えるようにすべきだ」
そう考えた私は、アマゾンやパソコン販売店などで調べて、バージョンアップに必要なものを買い揃えた。
結論を先にいうと、かなり割高になる買い物をし、しかもパソコンがなかなかウインドウズ7になじんでくれず、何とか動いてくれるようになるのに、何と10日間も費やしてしまったのだ。
①Office2013を購入。
②ウインドウズ7のソフトを購入。(これも、品切れ状態が続き、OEM製品をやっと手に入れた)
③7の環境を作るためにメモリーを追加して、容量を倍にした。(これは、最初、間違えて、違う台湾製の露悪品(開けたら髪の毛が入っていた)を買ってしまい、買いなおすハメになった。
④ウインドウズXPから7や8・1にするためのガイドブックを2冊購入。
⑤ウインドウズXPのデータを引っ越させる外付けのハードディスクを買った。
⑥引越しソフトを購入(結局、これは使わなかった)。
⑦ウイルスチェック用ソフトとしてノートンを購入(XPの一件で生じたマイクロソフトへの不信感からエッセンシャルを使わなかった)。
⑥(その後)パソコンのCPUの熱を排出するファンも取り替えた。
これだけの準備をして、ウインドウズ7にする作業に入ったのだが、まずやったのは、コンピュータのCとDの容量を変えることだった。
意地でも古いパソコンを使い続けてやる
ウインドウズ95→ウインドウズMeを経て、2007年から愛用してきたウインドウズXP搭載の富士通製デスクトップパソコンは、購入時にはCに比べてDの容量が馬鹿でかく、使い始めて数年でCがかなり増えて動作が重くなったために、ネットで仕入れた知識を駆使して、CにあったものをかなりDに移すという作業をしていた。
しかし、何のことはない、最初にC・Dのパーティション(仕切り)の位置を変える作業を行っておくと、CとDの容量比率は自由に調整できるのだった。
その前に、長年、頑迷にこだわり続けて愛用してきた「アウトルック・エクスプレス」を「ウインドウズLiveメール」に変換して外付けのハードディスクに移しかえる作業を、まずやった。
これは割合簡単だったが、7のソフトをインストールする前に、「XP時代の文書なども一切合財、外付けのハードディスクにお引越し」させる作業は、「大事なものが消えたらどうしよう」と、こわごわやった。
それでも、「消えたら、しかたがない」という気にさせられ、「マイクロソフトの企業論理のおかげで、なんでこんな思いをしなければならないのか」と腹が立った。
エンドレス(7のインストールに失敗→XPをインストール→7のインストール)
何とか引越しを終え、空っぽになったパソコンにウインドウズ7をインストールしようとしたが、これが何度やっても、途中で、それ以上先へ行かない。
何度も電源を切った。その回数は10回を越え、
「パソコンが壊れるのではないか」
との不安にかられた。
「もうだめだ」
とあきらめて、XPを再インストールしたが、マイクロソフトがXPのサービスをやめてしまっているので、インターネットエクスプローラ6などという低レベルにしかならなず、もはやパソコンとしての機能を果たさない。
ネット検索など不可能なようなのろさだ。
そこで、意を決して、もう一度、7をインストールすることにした。
こんなことを繰り返しているうちに、パソコンがおかしくなり始めた。
こわれるのではないか、という恐怖感に襲われた。
もう自分では解決できないと思って、ソフトを買った店(唯一、ソフトを売っていた量販店の通販部門=ヨドバシカメラ)へ電話したが、解決策が見つからず、マイクロソフトに電話したらどうかといわれて、そのようにしたら、マイクロソフトの相談員は、そのソフトはOEMといったとたん、「対象外です」と高飛車な態度で一蹴された。
「独占企業だから、こんなでかい態度がとれるんだ!」
と不快に思いながら、また一人でチャレンジせざるを得なかった。
しかし、しょせんは、パソコンの素人。
やってみると、また同じところで先へ進まなくなる。
その繰り返しで神経は苛立ち、仕事どころではなく、しかし、原稿の締め切りは迫ってくる。
「もうだめだ。XP→7は無理。諦めるしかない。今までの時間は徒労ということか」
と、ついに観念して、秋葉原へ出かけ、原稿執筆用の安いノートパソコンを買ってきた。
しかし、帰宅後、気が変わった。
「もう一度、やってみよう!」
人は、これを〝あくなき執念〞=〝妄執〞と呼ぶのだろうか、それとも、単なるバカで片づけるのか。
そんなことを考えながら、ウインドウズ7のインストール作業にかかった。
結果は同じかと思う気持ちは強かったが、その作業は無駄ではなかった。
インストールしていて、あることにハッと気づいたのだ。
キーナンバーを打ち込む段階で、「Bと8」「OとQ」を間違えて入力していたのだ。
かなりの桁数の数字と英語のアルファベットが並んでいるが、その文字が極めて小さく、老眼の進んでいる私は、何度やっても間違えているということに気づかなかったのだ。
マイクロソフトの兄ちゃんも、ヨドバシカメラの通販部門および川崎店のパソコン売り場の兄ちゃんも、「打ち込む数字を間違えていませんか」と、なぜ一言アドバイスできなかったのか。
「あいつら、馬鹿じゃないのか」
自分の馬鹿さかげんを棚に上げながら、真剣にそう思ったし、いまもそう思っている。
そいつらは、悪戦苦闘しているじいさんの私を、
「XPを7にするのには無理があるのではないか」
などと、見当違いのことをもっともらしくいって、失望の谷へと突き放したのだ。
彼らは、こういうことを多くの人にやっているのではないのか。
7が新しい環境に慣れるのにまた何日もかかった
正しいキーナンバーを入力したら、無事、7は立ち上がったが、それで終わりではなかった。
長年、ウインドウズXPに慣れ親しんできたパソコンが、あたらしいソフトの7に慣れるまで何日かかかったのだ。
そうやって使うことになったウインドウズ7というのは、
「進化したソフトだから、いろいろ便利な機能はついているが、XPと比べていかほどのものか」
と評したくなる程度の内容だ。
この新しいパソコンを使って書いた第一弾は、雑誌「広報会議」の連載「時事ニュースから読み解く、危機管理の本質12」の原稿。
STAP細胞事件を取り上げた内容で、タイトルは、
「広報効果を狙いすぎた罪と罰」。
――というわけで、2か月ぶりに書いたブログは、ずいぶん長いものになり、内容的にはパソコンに強い連中から見たら、
「こいつ、ばかじゃないの」
といった情けないレベルかもしれない。
とはいいながら、70手前の文系のじいさんが、世界の趨勢が(というほど大げさではないが)、
「ウインドウズXPは捨てて、新しいパソコンに買い換えるべし」
となっているときに、それに逆らって、2007年4月から使い始めたロートルのパソコンを、
「まだまだ使えるのに、なぜ捨てなければならないのか」
というコケの一念で、自力で7にし、改良を加えて、立派に使えるようにしたウィルスから守るようにしたということに意義がある、と私はひそかに自画自賛しているのだ。
使い勝手の悪さは、あちこちに出ている
しかし、ウインドウズ7にしたために、XPのときに重宝していたDVDプレーヤーは使えなくなっており、機能の劣る別の使い勝手の悪いDVDプレーヤー(現パナソニック製)を使うしかなくなっている現状が不満という問題がある。
こいつも変えてやろうと思ったが、取り出し方がわからず、ごちゃごちゃやっていたら、左右の爪が折れてカバーの部分を手動でやらなければならなくなった。
もう一つの問題は、ファンの音だ。
7に変えたら音がうるさくなったので、グリスを買ってきて塗り替えてみたが、効果はなく、寿命がきたと判断して取り外し、PCデポへそれを持っていって、
「これと同じサイズのもので、音が静かなものがほしい」
このあたりが、どう考えても、われながら素人だ。
直径をどこで計るかがわからない。
店員が薦めたものを買ってきて取り付けたら、妙な高周波のような音が出て不愉快至極。
このような音に鈍感な店員だったのかもしれないが、いやな音だ。
CPUの熱に応じてファンの強弱を自動調整(商品のパッケージには「パルス幅変調方式」とあるオウルテックという会社の製品)できるという、普通のファンより少し高めのものだったが、すんなりそれを買ってきたことを後悔した。
パソコンを叩いたり、揺さぶったり、下部を押したりすると、高周波のような音は一時的に消えるので、どこかと共鳴しているのかもしれないが、それにしても、耳ざわりな高周波のような音を発するファンを薦めてはダメだ。
メーカーに聞いたら、防音・防振用のラバーをつけたらどうか、それでだめなら買い換えたらどうかだと。
ファンで思い出すことがある。
私は昔から音に敏感で、1980年代にワープロを使っているときにメーカー(NEC)に、
「もっと回転音が静かなものを開発してくれ」
と繰り返しクレームをつけたら、当時としては静かだというファンに変えてくれた。
当時はファンの音がうるさいのは普通で、そんな文句をいう者はまずいなかったし、メーカーもそういうことに気が向いていなかった。
いまの静かなパソコンに慣れた人には、信じられない話かもしれない。
「そういう時代になっているのに、いらいらさせる音を発するファンを作っているメーカーもメーカーだ」
と、毒づいたところで、今日はおしまいだが、それにしても、2か月間もブログを書きたくない気持ちにさせたマイクロソフトをすんなり許す気にはなれない。
私が感じているようなマイクロソフトに対する評価のような「負の批判」の一つ一つの積み重ねが、おごれる企業の落日へとやがてつながるのだ。
「ソニータイマー」という負の伝説が、地盤沈下の主要原因の一つとなったように――。
Officeの値段を安いと思っている人は世界にどれくらいいるのか。
おごれる平家久しからず。
おごれる企業、また久しからず。
独占にうるさいアメリカで、例外的にマイクロソフトが独占企業でいられるのは、「外貨稼ぎの先兵」として国家的に保護されているからであって、世界に通用しないそんな論理が一日も早く崩壊するか、もっと強力なライバル企業が登場して値下げ競争に走るようになるか、そのどちらかを期待するしかないのか。
(城島明彦)
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