テレ朝「宮本武蔵」(木村拓哉主演)の第二夜(3月16日)も、前夜に続き、描き方が浅かった
武蔵を理解していない演出の「一条寺下り松の決闘」「巌流島の決闘」
ドラマの原作である吉川英治の『宮本武蔵』は、武蔵を単なる剣豪ではなく、60数度戦って一度も負けたことがない決闘を重ねることで、次第に「人間武蔵」として成長していく姿を描いた。
ドラマもそのあたりを重視していることはわかったが、どこか薄っぺらな印象しか残らなかった。
特に吉岡一門との一条寺下(さが)り松での決闘シーンは、武蔵の戦い方を本当に知っているのかと疑わせるような演出だった。
武蔵は、21歳のときに、天下に名を轟かせていた京の吉岡道場と三度戦い、三連勝する。
すさまじかったのは、詩仙堂近くの「一条寺下り松の決闘」で、吉岡道場の門弟を全滅させたことだ。
武蔵は、「蓮台野の決闘」などの決闘によって、吉岡道場の道場主やその弟を殺害するが、そのために復讐に燃える数十人の門弟と一戦交えることになった。
それが「一条寺下り松の決闘」である。
多勢に無勢。まともに戦っては勝ち目はない。
相手の予想しない戦い方をすることで、相手陣営を混乱に陥れる策略を練った。
それにはまず、高い位置から戦場(決闘の場所)の地勢を見おろし、どう動くかを考えた。
そのときどう動き、どう戦えばいいかは、武蔵が晩年に記した『五輪書』に、すべて書き残されている。
背後に敵が回れないような場所を選ぶ、敵が剣を自在に震えないような狭い難所へ相手を誘い込む。複数の敵と戦うことは避け、できる限り「1対1の戦い」にもって行くようにする、などだ。
しかし、ドラマの演出からはそのようには受け取れなかった。
武蔵は、「勝つため」に、ありとあらゆる計算をした〝非情の剣豪〟である。
武蔵は、決闘の刻限に遅れることで知られていた。
それは、相手をじらす作戦だったのだ。
決闘では、冷静沈着に相手の動きを捉えないと優位に立てない。
少しでも頭に血が上ると感情のままに攻め込もうとするので、そこに隙が生じる。
武蔵は、そうした「駆け引きの達人」だったのだ。
しかし、吉岡道場との決闘では、相手は大勢だ。
吉岡道場の連中は、「いくら強いといっても、こちらは多勢いる」と思って、気がゆるんでいる。
加えて、「どうせ、また遅れてくるだろう」と高をくくっている。
そうした相手の心理を完璧に読み切り、その逆を行うことで、吉岡道場の連中を混乱させる作戦に出た。
一条寺下り松の背後の山陰からダダッと飛び出し、吉岡の嫡子である幼い子どもを、まず叩き斬った。
吉岡の大将に祭り上げられているとはいえ、まだ子ども。
普通の剣豪なら、斬らない。
しかし、武蔵は叩き斬った。
それを見て、吉岡一門に激しい動揺が走る。
まんまと武蔵の術中にはまったのだ。
いくら武蔵が強いといっても、数十人とまともに戦っては勝てないから、1人ずつ片づけるために、泥田の畦(あぜ)道を走って逃げ、敵の戦力を分断し、束になってかかれないようにした。
一人が追いすがってきたと見るや、振り返って一気に攻める。
1対1では、武蔵に叶う者はいない。
武蔵は「敵に場を見せず」といっている。
敵にあたりの様子を見る余裕を与えない攻め方をせよ、といっているのだ。
吉岡一門は、逃げる武蔵を夢中に追いかけているから、足元がどうなっているとか、あまりがどうなっているかということも眼中にない。
武蔵は、事前に山の上から戦場となる地勢を頭に叩きこんだ上、どう相手を誘い込むかと計算して逃げている。
どちらが勝つかは、いうまでもない。
決闘時刻も夜明け前である。日時は、両者の合意の上に成り立つ。
薄暗い状態というのも、武蔵が選んだのではないか。
武蔵は、さまざまな条件が少しでも自分に有利に運ぶような計算をした。
そうやって、武蔵は1人また一人と殺していったのだ。
緻密に計算しつくし、倒すべくして倒したのである。
ただ剣の腕が強かったというだけではないのだ。
ドラマの「一条寺下り松の決闘」場面では、そうした点が視聴者にはまったく伝わらず、キムタク扮する武蔵が、まるでスーパーマンのように吉岡一門を次々と小気味よく斬り捨てていくかのように描いていた。
それでは、真の武蔵像を描くことはできない。
巌流島の決闘でも、武蔵は緻密な計算をした
巌流島の決闘でも、武蔵は常套手段を使う。
約束の刻限にわざと遅れていった。
どんな相手に対しても遅れるというわけではない。
遅れていくと、カッとなる相手のときだけそうしたのである。
佐々木小次郎は、カッとなるタイプと武蔵は読んだからだ。
遅れた理由はほかにもあった。
決闘時刻おw計算していたのだ。
武蔵は、「太陽を背にして戦え」と『五輪の書』に書いている。
逆光で相手と対峙すると、目に光が入って、まぶしいだけでなく、相手の微妙な表情の変化なども見づらくなる。
逆に、太陽を背にした者から見ると、相手は全身に光を浴びており、微細な変化も手にとるようにわかるのだ。
だから、武蔵が戦うときは、必ず太陽を背にした。
夜であれば、明かりを背にするのである。
遅れて着けば、「舟から下りた波打ちぎわの武蔵」VS「陸の小次郎」という位置関係になる。
遅れていけば、太陽は登り、武蔵は太陽を背にするだけでなく、小次郎はキラキラとまぶしく光る波が目に飛び込む。
『五輪書』をよく読めば、武蔵はこういうことも計算していたと推理できるはずだ。
「巌流島の決闘」に臨む場面での武蔵の有名なエピソードに、遅れてついた武蔵を見た佐々木小次郎は、「物干し竿」と呼ばれる長い剣を抜き放つと、その鞘を捨てたという話がある。
そのとき、武蔵は、こう言い放つのである。
「小次郎、破れたり!」
小次郎が怪訝(けげん)な顔をすると、
「勝つつもりなら、鞘は捨てぬもの」
と畳みかける。
「このエピソードは、単なるつくり話だ」という人も多いが、必ずしもそうとばかりはいえないのだ。『五輪書』の内容から推測すると、武蔵なら、計算してそういいかねないのである。
映画の「宮本武蔵」では、第太鼓のシーンを入れているが、今回のテレビドラマでは、投げた鞘を移しただけで、武蔵にそのようなセリフをいわせなかった。
このことも演出家が宮本武蔵の本質をよく理解していないからだと私は思った。
遅れてきた武蔵。
縁起でもないセリフをぶつけた武蔵。
逆光のなかに立つ、見づらい武蔵の姿。
しかも、武蔵は櫂(かい)を削った木刀を手にし、その長さは小次郎の「物干し竿」よりも長い。
武蔵は、奇策・奇襲の名人。
小次郎にとって、そのような長い木刀を手にした相手とはこれまで戦ったことがないから、動揺する。
武蔵は、これでもか、これでもかと相手の動揺を誘う仕掛けを繰り出したのだ。
小次郎の頭のなかは混乱し、カッとなりやすい性格の小次郎は、ますます頭に血を上らせてしまったはずである。
この時点で、もはや勝負は決していたのだ。
しかし、ドラマでは、こういったことをまったく無視していた。
ゆえに、せっかくの二夜連続の大型ドラマも、底が浅く思えた、というのが私の見方だ。
(城島明彦)
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