浅田真央は五輪の場で「開眼」したのだ。選手をやめるなんて、とんでもない
「攻め」の気持ちで「悟り」を開いた
ショートで自分を見失った浅田真央が、たった一晩で不死鳥のように蘇り、フリーで自己最高得点を叩き出した姿に賞賛の声が寄せられている。
彼女は、世界中の人が見ている五輪の場で「悟り」を開いたのだから、すごいことだ。
どうすれば迷いが吹っ切れ、どうすれば強くなれるか、自分の思ったとおりのことができるかという「極意」を掴んだのである。
宮本武蔵が二刀流に開眼したのも、鎖鎌(くさりがま)の名手である穴戸梅軒(ししどばいけん)との真剣勝負の場においてだった。
そのときの武蔵にあったのは、弱い「守り」の気持ちではなく、「攻める」という強い意思の力だった。
殺すか、殺されるか。
そのどちらかしかない戦いの場で、武蔵の太刀に分銅のついた鎖が蒔きつく。
梅剣は、その鎖をたぐり寄せながら、鎌をふりかざして武蔵に迫った。
と、武蔵は、とっさに腰に差していた小刀を梅軒めがけて投げつけた。
小刀は、梅軒の胸にぐさりと突き刺さり、梅軒は倒れたのである。
浅田真央は、トリプルアクセルという強敵と戦った。
成功するか、失敗するか。二つに一つしかない真剣勝負だ。
それに挑戦するときに、気持ちのなかに少しでも臆するところがあれば失敗するが、絶対に射止るとの強い思いで向かっていけば成功する。
菩提樹の下で瞑想していた釈迦も、「迷い」や「煩悩」という強敵に敢然と向かっていって、「悟り」を開いた。
浅田真央は、「己に勝つ極意」をフリーの滑りのなかで掴んだのだ。
浅田真央の力を持ってすれば、「己に勝つこと」は「勝負に勝つこと」とほとんど同意義だ。
五輪という特別な場で「攻め」の姿勢に転じて「悟り」を開いた浅田真央が、無敵の強さを発揮できるのは、これからだ。
今回で選手引退などというのは、もったいない話である。
(城島明彦)
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