« 日はまた昇る――2014年を迎えて思うこと | トップページ | 愛は与えるものなのか、奪うものなのか »

2014/01/04

「A級戦犯」を合祀した靖国神社への安倍首相参拝と「日本の怨霊」


日本より中国に目が向いているから「失望した」という米国のコメントが出た

 安倍首相が靖国神社に参拝したといって、国外でガタガタ騒いだのは、中国や韓国だけでなく、アメリカもだったから、日本人は一様に驚いた。

 「失望した」などと、これまで聞いたことのない発言をしたのはハーフ副官房長官だったが、これは、参拝前(昨年11月)に訪米した衛藤首相補佐官に対し、「オバマ大統領は、中国を刺激する参拝に反対している」と大統領側近が伝えていたのに、それを知りながら参拝を強行した安倍首相に対して述べた言葉と解釈するのが正しい。日本なら「遺憾だ」というコメントに相当する。

 オバマ大統領は、日本より中国に目がいっている。
 そうさせたのは、〝日本の空白外交時代〟を担った政治家たちである。具体的にいうと、迷走時代の自民党政権(麻生、安倍、福田各内閣)と、政権交代を実現させながら、さらに日本を迷走させた民主党政権(鳩山、菅、野田内閣)だ。


中国・韓国のいいがかり

 中国や韓国は、「A級戦犯を合祀した靖国神社を安倍首相が参拝することは、過去の侵略の歴史を容認し、日本が軍国化することを意味する」などという妙な理屈をつけて問題視する。

 だが、よく考えるまでもなく、巨大な軍艦を建造して自国海域拡張へと超軍国化するにとどまらず、独自の空域(防空識別圏)を勝手に設定して周辺諸国を刺激し続けているのは中国の方ではないのか。

 韓国はといえば、大統領の器ではない〝井戸端会議のおばちゃん〟のような大統領が、あっちこっちの国に、あることないこと、隣国日本の悪口を言いふらしている。
 儒教の国でありながら、品性下劣。仁も礼も義もありゃしない。
 他人を貶(おとし)めて自身のポジションを高めようとする志の低い生き方は、大統領にふさわしくない。
 このおばさんも、過去の歴代大統領の末路と同じく、政権の座を手放なす近辺から、今度は自分自身があることないことでっちあげられて、最後は監獄送りだという構図が見えてきた。


安倍首相が「A級戦犯」を否定することは、祖父を否定するのと同じで、ありえない

 安倍晋三の祖父・岸信介は、東条英機内閣の閣僚だったことから、戦後、中国が目の仇にする「A級戦犯」の一人として拘留された男だが、許されて復権し、総理大臣となり、日米安保条約を結んだ。

 岸信介は、アメリカとの戦争を遂行した内閣の主要閣僚でありながら、戦後は一転して「超親米派」となり、アメリカばかり目が向いているとして〝向こう岸〟などと揶揄(やゆ)された。
 岸信介の弟・佐藤栄作は、兄の思いを受け継ぎ、沖縄返還を実現させた。

 安倍晋三は、子どもの頃から、この2人を強く意識して育った。
 A級戦犯をすべて否定することは、祖父をも否定することにつながるからできない。
したがって、安倍晋三は、A級戦犯を合祀した靖国神社参拝を控えることはできないのである。


日本が決めた「A級戦犯」ではない

 A級戦犯、B級戦犯、C級戦犯は、日本が決めたわけではない。戦勝国アメリカが敗戦国日本を「極東国際軍事裁判」の名のもとに一方的に決めつけたものである。

 日米戦争に駆り立てたのは、主として陸軍であり、戦線を拡大し続けたのは関東軍司令部であり、日本人が裁いたとすれば、同じ首相経験者でも、東条英機は死刑かもしれないが、広田弘毅は死刑にはしなかったのではないか。

 戦争の歴史は「勝者の歴史」であり、敗者の論理や言い分など無視される。
 戦争で勝たない限り、その国は悲惨な目に遭い続ける。
 これが世界の常識。
 だから、日本も、無念の思いを噛みしめながら、表面的には唯々諾々とそれを受け入れた。

 それが嫌なら、戦勝国になるしかない。
 ドイツは第一次大戦に負けて屈辱を味わったために、ヒットラーが台頭し、再び戦争を起こした。

 日本にそうさせないために、アメリカは、太平洋戦争後、平和憲法をつくり、軍隊を持たせないようにした。

 ところが、ソ連の共産主義化がエスカレートして敵対するようになったことや、昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が勃発したことで、その思惑が狂ってきた。
 そこで、「警察予備隊」などという奇妙な呼び名の〝骨抜き型軍隊〟を「自衛隊」という名の軍隊にし、非常時に備えたのだ。

 要するに、アメリカの都合のいいように憲法がつくられ、アメリカの都合のいいように日本の軍隊組織がつくられたのだ。

 日本人の意思でつくった憲法ならまだしも、アメリカの都合でつくられた〝お仕着せの憲法〟を「世界に類のない平和憲法などといっている連中の気が知れない。
 各種の法律は、時代とともに変わってきたのと同じように、憲法も変わって当たり前。

 それなのに、平和ボケした日本人は、半世紀以上も前に制定された憲法の内容を守り続けようとする。おかしな話である。

 わかりやすい例えでいうなら、アナログのビデオしかなかった時代につくられた映像や音楽に対する規格・規制を、デジタルのDVDの時代にもそっくりそのまま当てはめるようなもので、基本的・本質的に無理がある。拡大解釈すればいいという問題ではないのだ。


安倍晋三の心身に流れる長州人の血
 
 安倍晋三の靖国神社への参拝は、彼のなかに流れている長州人(山口県人)の血を無視して考えることはできない。
 幕末維新を成し遂げた中核勢力は、世に「薩長連合」というが、実質的には髙杉晋作らの長州勢である。

 維新後の明治政府を動かしたのも、伊藤博文をはじめとする長州人で、それが岸信介内閣の安保条約、最長不倒内閣の佐藤栄作内閣の昭和まで続き、平成になっても安倍晋三の第一次・第二次内閣として引き継がれている。
 
 靖国神社は、明治2年(1869年)に幕末の戊辰戦争で散っていった官軍の兵士の霊を祭ったところから始まっている。
 
 新しい日本をつくるために死んで行った官軍の憂国の士たちを鎮魂するための招魂社(東京招魂社)で、明治10年におきた西南の役で死んだ官軍の兵士も祭られたが、政府に盾ついて西南の役をおこして自決した西郷隆盛は、維新の最大級の功労者であっても祭られていない。


髙杉晋作とその師・吉田松陰を敬愛する安倍晋三

 招魂社といえば、髙杉晋作だ。

 「奇兵隊」をつくった長州人である髙杉が、元治元年(1864年)1月に言い出して、幕末の戦闘で戦死した長州藩士の霊を弔う桜山招魂社(現桜山神社)ができた。
これが、招魂社の第1号である。

 桜山神社には、髙杉の師である吉田松陰や同志だった久坂玄瑞(くさかげんずい)らも祭られている。

 東京招魂社が靖国神社という名前に改称されたのは、西南の役の2年後の明治12年である。

 上野のお山に西郷隆盛の像ができるのは、西南の役から21年も経ってからだ。

したがって、2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の賊軍・会津藩の戦死者は、当然、祭られていない。

その後、日清戦争や日露戦争が起こり、戦死者が増え、彼らの御魂(みたま)も祭られた。
 
 その戦争で敗れた清国であれ、ロシアであれ、戦死者は「国のために戦った愛国の士」であり、国として手厚く葬るなり、慰霊碑を立てるのが人間としてのつとめだ。
 
 今日の日本が植民地や属国ならまだしも、歴とした独立国であり、中国や韓国からとやかくいわれる筋合いはない。にもかかわらず、とやかくいうのは、内政干渉以外のなにものでもない。


極東国際軍事裁判 

 GHQによるA級戦犯の指名は、4次にわたって行われ、100数十名にも及ぶ軍上層部、閣僚ら起訴・収監されたが、不起訴となって釈放されたものが多かった。

 岸信介、賀屋興宣(かやおきのり)らの政治家のほか、正力松太郎(読売新聞社主)、児玉誉士夫(右翼の親玉で、政界のフィクサー)、笹川良一(政界の黒幕、CIAエージェントの噂があった国粋主義者)ら、戦後日本を表裏の両面から動かす巨魁(きょかい)となる連中も、そうだった。

 中国がことさら問題にするのは、昭和53年(1978年)に合祀された14名のA級戦犯だ。うち半数は判決前あるいは刑服役中に病死した。
A級戦犯7名の処刑が執行されたのは、昭和23年(1948年)のクリスマスイブの前日12月23日だった。

 ◆絞首刑7名……①東条英機(首相・陸軍大臣)、②弘田弘毅(首相・外務大臣)、③土肥原賢二(奉天特務機関長)、⑤板垣征四郎(支那派遣軍総参謀長)、⑥木村兵太郎(ビルマ方面軍司令官)、松井石根(中支那方面軍司令官)、⑦武藤章(陸軍省軍務局長) ※文官は広田のみ

 ◆(判決前または刑期中に)病死7名……①平沼騏一郎(首相)、②小磯国昭(首相)、③松岡洋右(外務大臣)、④東条茂徳(外務大臣)、⑤長野修身(海軍大臣)、⑥梅津美治郎(関東軍司令官)、⑦白鳥敏夫(駐イタリア大使)


神仏同居という考えが欧米人にはわからない
 
 日本人の暮らしには、神仏が同居している。
 日本人が参拝する神様の種類もさまざまだ。
 何しろ日本には八百万(やおよろず)もの神様がいて、来るものは拒まないのだから、素晴らしい。

 苦しいときは神頼みするが、初めていく神社の神様にお願いすることも多い。

 安産祈願ならここ、交通安全はここ、家内安全はここ、受験合格祈願ならここなどといって、勝手にお願いにいく。

 居住地域にある氏神様でなくても、遠出して別の神社へお参りにいく。
 靖国神社でも、松陰神社でも、諏訪神社で、どこでも構わないと思っている日本人が圧倒的多いのである。
 欧米人には、こういう考え方は理解できないだろうが、中国人や韓国人にはわかるはず。


日本人の死生観「死ねば誰でも仏になる」と怨霊信仰 

 日本人は「怨霊」を神としてきた国だ。
 怨霊を神として敬(うやま)うことで、その怒りを封じ込め、彼らの持つ魔力の恩恵を受けようとしたのだ。

 たとえば、京都の上御霊(かみごりょう)神社。
 そこに祭られているのは、権力争いに巻き込まれ、言いがかりをつけられて殺されたり、自害するかして、無念のうちに死んで「怨霊」となり、自分を死に追いやった者たちを祟(たた)り殺したり、天災地変を招いたりして人々を震えあがらせた高貴な人たちである。

 早良(さわら)親王、吉備真備(きびのまきび)、菅原道真、井上内親王など8柱の神々。

 平安時代から日本人の魂に深く根ざしている怨霊信仰・御霊信仰を考えるならば、そういう視点から、国を滅ぼす戦争に駆り立てた東条英機らの魂も祭らなければならないという理屈も出てくる。

(城島明彦)

« 日はまた昇る――2014年を迎えて思うこと | トップページ | 愛は与えるものなのか、奪うものなのか »