奪う愛・与える愛――異性への愛は恐ろしい
感情が理性を奪う「略奪愛」
「略奪愛」と呼ばれる、〝愛のかたち〟がある。
略奪とは、他人のものを力ずくで奪い去ることだ。
「愛した人のすべてをわがものとしたい」と激しく意識して奪い取る場合もあれば、何かのはずみでそうなる場合もあるし、気づいたら奪っていたという場合もある。
いずれの場合も、心のどこかに「罪悪感」は伴っても、「隣人愛」の類いの愛は存在せず、人を思いやる心などは完全に失われている。
愛は「理性」を奪い、愛してしまった相手に「激情」という名の「感情」を与えるのだ。
愛は与え、奪う
正常時の人間には、理性と感情のバランスが保たれているが、略奪愛に陥った人間はそのバランスを崩し、感情が次第に理性を圧倒するようになり、極端な場合は理性が完全に失われてしまう。
江戸時代の武士・山本常朝(やまもとじょうちょう)が『葉隠』(はがくれ)でいう「忍ぶ恋」は、理性が際立った恋である。
恋する思いを打ち明けず、誰にも知らせず、秘かに胸のうちに抱き続けることのが、「忍ぶ恋」で、山本常朝は「至極(しごく)の恋は忍ぶ恋」といった。
これに対し、略奪愛は同じ「忍ぶ恋」であっても、「世を忍ぶ恋」「他人の目を忍ぶ愛」だ。
略奪愛では、忍ぶ時期を経て、その愛が成就すると、奪った喜びと愛した相手にすべてを与える幸せを感じるが、その一方で、奪い取った人に深い悲しみや嘆き、苦しみを与える。
愛は与え、奪うのである。
愛は奪い、そして与えるのである。
(城島明彦)