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2014/01/06

愛は与えるものなのか、奪うものなのか

異性への愛は、何を奪い、何を与えるのか!?

 異性を好きになるということは、心を奪われるということだ。
 奪われるのは、心だけではない。
 時間も奪われる。
 その人を好きにならなければ、別のことをしていた時間が、その人を思うことに向かうからだ。

 相手を好きになると、自分もその相手から愛されたいと願うようになる。
 愛が強まると、相手を独り占めにしたいと強く思うようになる。
 それは、相手の心と体を奪おうという欲望である。
 と同時に、自分の心と体も相手に与えたいという願望が強くなる。
 
 愛の極致は、心身ともに結ばれること。
 与え、奪うことで、愛は極致に達するのである。

 与えるのが先か、奪うのが先か。
 どちらであっても、最終的には、愛は与え、奪うのだ。
 その形が成り立たない恋愛は、破綻する。


母と子の愛は、与えるのか奪うのか!?
 
 母親の子どもに対する愛に、「打算」は介在しない。
 そこにあるのは、無償の愛。
 母親が子どもに尽くすのは、本能的な動物愛とみえる。

 母親はわが子に愛情を注ぐ(=与える)が、それは別の見方をすると自己犠牲である。
 子供がいなければ享受できたであろう、読書や映画鑑賞といった楽しみや喜びを犠牲にしている。

 子は、自ら望まなくても、母の愛を奪っているのだ。

 だが母は、その犠牲の代償として、子の笑顔、子が体いっぱいに表わす喜びの挙動から、他人では得られない至上の喜びを与えられている。
 愛は奪い、そして愛は与えるのだ。

 母は子が長じても、無償の愛を注ぎ続けるが、子は長じると、自我が生じ、その愛を苦痛に思うようになり、乳幼児から子供時代に見られた「奪い、与える」形は破綻する。

(城島明彦)

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