日はまた昇る――2014年を迎えて思うこと
〝うしなわれた国家〟日本と〝うしなわれた民族〟日本人
ヘミングウェイは、『日はまた昇る』の冒頭に、
「あなたがたはみなうしなわれた世代の人たちです」(ガートルード・スタインの語った言葉から)
と書いたが、日本は1990年代の前半から安倍第二次内閣が発足するまでの20年間は〝うしなわれた国家〟であり、日本人は〝うしなわれた国家の人たち〟だった。
ヘミングウェイは、この引用に続けて、書名の由来を次のように記している。「伝道の書」からの引用である。
世は去り夜は来(きた)る
地は永遠(とこしなえ)に長存(たもつ)なり
日は出(い)で日は入り
その出でし所に喘(あえ)ぎゆくなり
風は南に行き又転(まわ)りて北に向い
旋転(めぐり)に旋(めぐ)りて行き
風復(また)その旋転(めぐ)る所にかえる 河はみな海に流れ入る
海は盈(みつ)ること無し
河はその出できたる処(ところ)に復(また)還(かえ)りゆくなり
(『日はまた昇る』新潮社文庫/大久保康雄訳)
新しい道は古い道の先にできる
TPPにひたすら反対するバカがいた。
守旧に走り、鎖国して得るところなどない。
新しい道は平坦ではない。荒れ野であり、茨が生い茂り、進めば手足を傷つけ、血が出る。
それでも進んできたのが人類の歴史だ。
アメリカは東から西へと開拓し、日本は西から東へと進んだ。
血を流さずして、豊かな未来は築けない。
特定秘密保護法は間違ってはいない
「特定秘密保護法案」に、わけ知り顔で猛反対したエセインテリがいる。
なんでもかんでも知らなければならない権利など、国民にはない。
国家機密に近いことを中国や韓国に漏らしてきたメディアや国会議員がいたことを知るべきだ。
そいつらのせいもあって、中国や韓国は、靖国神社のことであれこれいいたい放題だ。
明らかに内政干渉。世が世なら、戦争ものだ。
「秘密」という名称が悪い。 「特定機密保護法」とすべきだった。
「秘密」などという名をつけるから、身近な問題と受け取られる。
日本語は正しく使え。
国のトップシークレットは「国家機密」であって、「国家秘密」などという軽薄な言葉はない。
♪ ひみつ ないしょにしてね
指きり しましょ
誰にも いわないでね
(歌 アグネス・チャン/作詞 松本隆「ポケットいっぱいの秘密」
日本人はバカではない。
いざというときには、抑止力が働く。
思い切ったことをやらないと、日本は伸びない。
元気なジジババを活用する道を開け
どの企業も、企業努力をうたいながら、やっていることは早期退職に名を借りたリストラだ。
人件費を減らすために、アルバイトや派遣が大盛況。
若者たちは、アルバイトで食いつなげるから、正社員にならない。
そういう若者たちは、体は丈夫だが精神を病んでいる。
一方、日本は、世界に冠たる「超高齢民族」。
世の中は、元気いっぱいの垂乳根(たらちね)のババ、垂魔羅(たらまら)のジジであふれかえっている。
彼らは、口も体も達者で、まだまだ働ける。
ところが、現実は、 60を過ぎると、再就職したりできるごく一部の人を除いて、ありつける仕事がなくなる。
「60歳以上の高齢者に求人がある仕事といえば、草むしりのたぐいだけ」
とシルバー人材センターがいっている。
昔から、たばこ屋の売り子はバアさんジイさんが多かった。
じっと座って店番していただけでなく、よぼよぼになっても、銭金勘定もできたのだ。
日本全国に腐るほどいるジジババのノウハウ・知恵を腐らせては国家の損だ。
何十年という人生経験でしか得られないその知恵を、若者に伝授できる策や道を国は考えろ。
超高齢大国ニッポンが飛躍するための重要な方策のひとつは、ジジババの労働力化・社会復帰だ。
日本の農業に従事していたジジババは、昔は、腰が立たなくなるまで野良仕事に精出していた。
そういう労働力が日本を支えていた。いまは、もっと元気なジジババがいるのに、野良以外で働く仕事を企業は与えようとしない。
企業は表と裏を使い分けるな
お・も・て・な・し――「表がなく、裏ばかりの企業」「表の顔と裏の顔が違う企業」がある。
食品材料偽装事件は、一社が袋叩きになると、名門と呼ばれたホテルのレストランが、こわごわ「実は、うちでも――」と次々と名乗り出る。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の図だった。
年末に表面化したマルハニチロの〝農薬入り冷凍食品事件〟は、これから調べが本格化するが、現時点では、そういう一連の不祥事に便乗した愉快犯的仕業の可能性が強い。
情けない日本人がいるものだ。
「コンプライアンス」(法令遵守)などと立派なことをいいながら、実際に陰でやっていたことは、メニュー偽装のような初歩的詐欺だ。
そういうことが長年、罷(まか)り通ってきたことが恐ろしい。
大げさなこと、立派なことをいう企業に限って、インチキっぽいのが現実。
次から次へと早期退職していく人を見ていたら、若い社員たちも「いつかは自分も」という思いに捉われ、その会社に忠誠を尽くそうという考えは自ずと消えていく。
いかにしてその会社をいかに自分のために利用するか。
そういう考えに行きつく。
競争相手をどうやって蹴落として生き残るか。
そうことにばかりに気が向くようになる。
殺伐とした会社は、例外なく伸び悩み、発展から取り残される。
景気のいいときはどんどん人を採用しておきながら、不景気になると人を切る。
人を切るのは、誰でもできる。
人を切らずに、どうやって利益を上げるかを考えるのが経営者の知恵ではないのか。
終身雇用制の時代の日本企業は、世界各国から「社員を大事にする」といわれていた。
時代は変わっても、企業がこころがけるべきことは、それだ。
(城島明彦)
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