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2013/12/16

「八重の桜」最終回はよかったが、盛り上がりに欠けた


最終回でホロリとさせる名セリフ「主(ぬし)は桜だ」

 最終回では、会津を訪ねた八重が、幼女の頃、よじ登ったサクラの大木に、もう一度、登ろうとしかけたといき、背後から、いまは桜守(さくらもり)となっている会津藩元家老の西郷頼母(さいごうたのも)に声をかけられ、「主は桜だ。一度散っても、また花を咲かす。何度でも花を咲かす」と語るところは感動的だった。

 西郷頼母を演じた西田敏行は、出てくるだけで絵になった。

 日清戦争では、日本赤十字の従軍看護婦として、下関で敵味方の区別なく看護し、民友社をおこし雑誌「国民之友」を発刊しているジャーナリスト徳富蘇峰(とくとみそほう/八重の夫新島襄の教え子の一人)に
 「権力にすり寄っている」
 と厳しく批判するところは、「ハンサム・ウーマン」としての八重の考え方や性格がよく出ていた。

 徳富蘇峰に反発している弟の徳富蘆花(ろか)が、小説家として名作「不如帰」と原稿用紙に書く場面もあったが、さらっと描いてわかりやすい演出だと思った。

 八重が茶の湯を極めるエピソードも、「何かをやる以上、トコトンやらないと気がすまない」という彼女をよく物語っており、わかりやすい。

 八重の男まさりで負けず嫌いな性格は、全50回を通して一貫してうまく描かれており、演出はよかったし、主演の綾瀬はるかも、自然な演技で好感が持てた。

 NHK大河ドラマ全体のストーリーとしては、会津藩という賊軍出身の男まさりの女性を主人公にして描いた点にドラマとしての目新しさはあったが、過去のNHK大河ドラマでは、勝てば官軍の「薩長」にスポットを当て続けてきたために、敗軍の会津藩は日本人の感覚に受け容れにくい土壌が醸成されており、それが視聴率の枷(かせ)となっていたと思われる。


NHKは土曜深夜に八重の特集を放送

 最終回を翌日に控えた土曜から翌日曜にかけての深夜、番宣企画として、八重の特番をやっていた。
 
 顔見知りの作家中村彰彦が、しばしばコメントを述べているのに引かれて見ていたが、どういうわけか、司会が元TBS女子アナの渡辺真理。ミスキャストとしかいえず、驚いた。(※作家やタレントは敬称略だ)

 何人かのゲストがくだらない話を座談する低俗な内容と構成に腹が立ったが、中村彰彦がたびたびコメントする話を聞きたくて見ていた。

 ゲストの一人は作家の島田雅彦だったが、なぜ彼なのか。
 中村彰彦をこそ起用すべきだったのではないか。
 
 中村彰彦は、「明治新選組」でデビューし、「二つの山河」で直木賞を取り、会津戦争などには精通している。
 彼は、文藝春秋の社員で初めて直木賞を取った男である。

 彼が文藝春秋の「オール讀物」の編集者だった時代に、2年くらい仕事をしたことがあり、その打ち合わせで月に一度は会っていた。

 当時は出版社も金があり、打ち合わせが終わると、どこかへ飲みに誘われた。

 私は下戸なので、もっぱら食べる方が専門だったが、あるとき、四谷の焼鳥屋に連れて行ってもらったことがある。そのとき彼が勧めたのが「スズメ」だった。

 私はそのとき、生まれて初めて「スズメのヤキトリ」を食べた。
 ところが、体が受け付けず、翌日、腹を下してしまった。しかし、彼は何ともなかった。

 どこの飲み屋かは忘れたが、彼のお父さんが獣医だという話や、東北大文学部で学んでいたときの話やそのころ書いた小説を文藝春秋の純文学誌「文學界」に応募して佳作に選ばれたのが縁で、文藝春秋に就職したと聞いた。


故早乙女貢のライフワーク「会津士魂」と日本ペンクラブ

 先祖が会津藩士だったという作家の早乙女貢は、ライフワークの『会津士魂』を刊行し、2008年に亡くなったが、『明治の兄妹 山本覚馬と新島八重』という著書もある。

 彼は、穏やかで、優しい人で、私が日本ペンクラブに入会したときの推薦人の一人になってもらった。
 そんな関係で、何度か話をした。

 そのなかで、私が、
 「自分は、会津藩の殿様松平容保(かたもり)の弟が城主だった桑名藩のあった町で生まれ、私の妻の母方の先祖は会津藩の足軽だった」
 という話をしたら、足軽は武士といっても軽輩だからか、哀れむような目の色をしたのが気になった。


維持費集めのために、会員乱造する仲良し会「日本ペンクラブ」

 「これからは、ペン一本で生活するので入りたい」
 と思って会員になった日本ペンクラブだったが、会費を集めるために、素人同然の物書きも会員にさせていることを知って、その欺瞞性に嫌気がさし、そのうち、会費を払う気がしなくなり、やがて自然退会となった。10年くらいか入っていたろうか。

 ペンクラブのインチキぶりが嫌になった理由は、もうひとつある。
 私が夕刊紙に書いた記事を、某ノンフィクション作家が何の断りもなく流用した一件をめぐって、訴訟に発展したことがあるが、そのとき、ペンクラブの「言論表現委員会」に審議してほしいと資料を渡したことがあった。

 当時の言論表現委員長は、現在「徳田一族から5000万円もらった」という話で物議をかもしている猪瀬直樹。
 副委員長が、タレントの田代まさしがクスリ(覚せい剤)の常習者として逮捕されたときに後見人となった雑誌「創」の編集長篠田某。

 猪瀬は、当時、「週刊文春」にコラムを連載し、彼自身の文章を何の断りもなく勝手に引用されたなどとコラムに書いていたこともあり、私に理解を示すだろうと思った。

 猪瀬は、私の作成した類似個所の比較対比表を見て「ひどいね」といい、「言論表現に関わることは扱う」と私にいったが、篠田の方は知らん顔だった。

 田代まさしは、出所後、また薬をやらかしたが、そのとき篠田某は知らん顔をした。
 田代まさしの性格をしれば、またやる可能性がきわめて強いと考えるのが常識。
 そんなことも読めずに、一芸人の後見人となっておきながら、物書きである私が検討を依頼した「文章表現」に対しては、催促しても返事すらよこさなかったのである。

 そういう話を知って、
 「篠田某は、ただ売名のために後見人となったのではないか」
 といったメディア関係者が何人かいた。

 そういうこともあって、私は、
 「何が言論表現委員会だ。こんなインチキな会など意味がない」
 と思って日本ペンクラブを辞めたのである。

 猪瀬直樹は、5000万円事件で、図らずも「攻めには強いが、守りにはからきし弱い」という事実を露呈したが、篠田某にしても似たようなものだ。

 中村彰彦も、日本ペンクラブには一度入会しながら辞めている。

 一般人は知らないが、日本ペンクラブの実態は〝維持費を集めるために、会員を乱造しまくり、一部の連中がその予算を自在に使って海外旅行をしたり、あれこれやっている会〟つまり〝仲良し会〟なのである。

(城島明彦)

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