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2013/09/24

小説とドラマは違う。ドラマの「半沢直樹」は結末を変えるべきだった

「勧善懲悪」だからこそ、「倍がえし」のセリフが意味を持つ

 今世紀最高のドラマ視聴率を記録した「半沢直樹」の最終回だったが、TBSは「悪が栄えて、正義が負ける」という納得のいかない結末にした。

 銀行の窮地を救い、常務の不正まで暴いた功労者を出向させるような銀行であれば、半沢直樹のような男はもっと早い段階でそうされている。

 小説とドラマは別ものだ。
 文字で読ませるのと、映像とセリフで見せるのとでは描き方も変わる。

 原作では出向という「悪が栄える」結末かもしれないが、それまでドラマが強調していたのは、「正義が勝つ」ということだった。

 視聴者は、現実にはありえない話だと思いながらも、悪をやっつける半沢直樹を一種のヒーローとして拍手喝采し、スカッとしていたのだ。

 それが視聴者に受け入れられた最大の理由だったが、TBSは原作者にゴマをすり、原作の結末を踏襲。「正義は報われず、悪が栄える」結末としてしまった。
 
 サラリーマン社会では、権力者や地位が上の者に反旗を翻せば、その時点で左遷されるのが常識。悪事が露見した大王製紙やオリンパスなどの例を見てもわかるように、企業悪を社内告発した人間は、その会社にはいづらくなっている。それが現実だ。

 したがって、ドラマでも「証券会社に出向」という小説のような結末にすると、そうした現実と何ら変わらず、視聴者はスカッとできなくなる。
 サラリーマンがやろうとしてもできないことをやってのけたのが、ドラマのなかの半沢直樹なのだ。


〝現代版水戸黄門〟〝現代版赤穂義士〟として受けた 
 
 ネジを扱う小さな町工場を営む父親が冷酷な銀行員に見放されて自殺したことが、半沢直樹の生き方の原点にある。
 しかし、よりによって、その銀行に就職するという設定そのものが、そもそも現実離れしているが、そこが小説の面白さである。

 TBSは、親の仇である常務に対する「復讐劇」の要素もかなり強く全面に出していたが、ラストで役員たちの前で土下座させたことで、仇は討ったということなのか。

 視聴者がドラマに求めていたのは、〝現代版水戸黄門〟のような単純明快な「勧善懲悪」であり、親の仇を討つという点では〝現代版赤穂義士〟であって、現実が云々という妙な理屈ではない。

 正しいことをしたのに「冷や飯」を食わされる結末になるのなら、流行語にもなった「倍返し」とはならないのだ。

(城島明彦)

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