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2013/07/08

大河ドラマ「八重の桜」の6月の平均視聴率は14・0%だったが、7月最初(7日放送)は12・9%と苦しいスタート


女子まで戦場に出た悲惨な話の第27回「包囲網を突破せよ」
 
 演出はうまく、安心して見られるものの、視聴率はふるわない。
 7月第1週は12・9%。 ※視聴率は関東地区(ビデオリサーチ調べ)

 今回のドラマでは、婦女子隊のリーダー格だった長刀の名手中野竹子は、戦闘で敵弾に当たって戦死。
 他の女子も次々と戦死する。
 会津の武士の妻女たちは、「健気」(けなげ)な散り方をした。

 そんな悲しい話のなかで、八重だけは髪を切って気持ちも姿も武士となって孤軍奮闘し、魅せた。
 
 問題は、会津藩の家老西郷頼母(さいごう たのも/西田敏行)である。
 頼母が「死んだ多勢の部下が、自分に死ぬな。生きて菩提を弔え」と語るシーンがあったが、武士道ではそういう言い訳は成り立たない。

 ドラマの演出は巧みだし、西田敏行の演技も達者なので、視聴者は、彼のいうことにも一利あるように思えるかもしれないが、年少の白虎隊を死なせ、妻や娘をすべて自刃させただけでなく、数えきれないくらいの部下を戦闘で死なせておいて、責任者が生き残るという理屈は武士道に反している。

 いかなる理由があろうとも、西郷は切腹して果てて然るべきだった。

 太平洋戦争での東条英樹あたりと通じるような気がしてならなかった。
 彼は戦後、東京裁判で連合国に裁かれ、絞首刑に処されたが、西郷頼母は明治維新政府から処刑されることもなく、藩主の松平容保(まつだいら かたもり)とともに、明治以後も生きて天寿を全うするのだから、武士道に反している前に1人の人間として失格ではないのか。

 前回、今回と、そんな思いを強くしたドラマだった。

(城島明彦)

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