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2013/05/31

5月で梅雨入りとは、地球が狂っている証拠。日本は、梅雨とは関係なく狂っている


地球がおかしくなれば、人間もおかしくなる

 「史上3番目に早い梅雨入り」
 とニュースが報じている。

 それに合わせなくてもいいのに、体が順応してしまい、1昨日から体調がおかしい。

 体がだるくなり、微熱も出て、一日中、調子が悪かった。

 誕生日の7月10日が近づいてくると、毎年、体調が悪くなるが、今年はいつもより早い。

 体調が悪くなると、うつ(鬱)になり、生きていることが楽しくなくなってくる。

 仕事が一段落すると、誰でもホッとして虚脱状態になるが、その時期に梅雨入りが重なったことで、気持ちがうつ状態へ落ちていく。

 以上は、私の個人的な話。


腰抜け国家ニッポン、ちゃちゃちゃ!

 韓国は、アメリカに「従軍慰安婦」の像まで立てて、日本人を誹謗中傷しまくっている。
 中国外相が、ポツダム宣伝時の日本を盗人(ぬすっと)呼ばわりだ。

 中国はカイロ宣言で「尖閣諸島」の自国領化を主張したことが、最終的には戦後にアメリカが日本の主張を入れ、ひっくり返ったことを根に持っていて、盗人呼ばわりするのだから、ひどすぎる。

 完全に歴史認識を誤っている。

 そこまでいわれても日本政府は、
 「遺憾だ」
 程度のコメントしかできない。

 「従軍慰安婦問題」でも同様だ。

 日韓で言い分が180度違うのだから、従軍慰安婦中立国も加わって、もう一度、中立国のメンバーも加わった「再調査団」を結成して、きちんと調査し直したらどうか。

 腰抜け国家ニッポン!


米も中も韓も、上品ぶったタテマエ主義で橋下徹の「従軍慰安婦発言」を批判できた義理か

 アメリカも中国も韓国も、きれいごとをいうでない!
 
 人間の獣性をむきだしにさせるのが戦争じゃないのか。

 リンドバーグというアメリカ人の飛行機乗りが、世界で初めてプロペラ機(単葉単発単座)を操縦してニューヨーク・パリ間を飛んだ(大西洋横断飛行した)のは、1927年5月半ばのこと。
 いまから86年も前の出来事だ。

 彼は世界的な英雄となり、アメリカへ戻ってニューヨークのウォール街をパレードしたときの騒ぎは歴史に残るものだった。

 そのリンドバーグは、第二次大戦に参加し、日本軍と戦っている。
 彼は日記をつけていて、戦後、それをもとにした本を出版した。
 日本語にも訳されているが、そこに書かれたアメリカ兵の暴虐非道ぶりはすさまじい。

 手を挙げて降伏してくる日本人を撃ち殺したり、焼き殺したりするのは日常茶飯事である。

 生きたまま日本兵を埋めたという話も出てくる。

 何がいいたいかといえば、戦争中はみんな狂っていて、常軌を逸した行動に走るということだ。

 戦時下で、日本兵が民間の中国人にひどいことをしたのも事実なら、日本の敗戦が決したと知ったとたん、中国人が無抵抗の日本人を襲って残虐な行為に走ったのも事実である。

 ベトナム戦争に参戦した韓国軍の兵士が、ベトナム人女性にひどいことをしたのも事実。

 それが戦争というものではないのか。
 戦勝国だから、屁理屈つけて誤魔化しても文句をいわれないというだけの話である。

 終戦後の沖縄で、米兵たちが若い女性たちに性的乱暴をどれだけ働いてきたかということは、周知の事実だ。

 戦後、連合軍として米兵が日本に進駐してきたときに、何をやったかも明々白々となっている。


橋下徹発言は間違ってはいない。日本人の心の声を代弁している

 「米兵は、日本人の素人の女には手を出すな。金を払って風俗で欲望を処理してくれ」
 といった橋下徹の発言そのものは間違っていない。
 橋下徹は、日本人の男だけでなく、女の声も代弁している。

 国際的に袋叩きに合うほどの内容ではないのに、どうして「女性の尊厳を傷つける?」という言い方に置き換わるのか。

 橋下徹発言は、弁護士という職業を考えると「下品」というだけのことだ。
 公の席でいうかいわないかの違いはあるが、日本人の男なら誰もが思っていることだ。

 もっと強い日本になるしかない。

(城島明彦)

2013/05/27

「八重の桜」の視聴率、5月最後の週で、やや盛り返す

大義とて 散りゆく命 鳥羽伏見 (城ノ島明之介)

 「八重の桜」の5月の視聴率(5/5・12・19・26の4回放送)は、以下のように推移した。
 15・7%⇒15・0%⇒13・7%⇒14・1%

 ♪ ズンチャ ズンチャ ズンチャカチャッチャ
   ズンチャ ズンチャ ズンチャカチャッチャ
 
   恋も情けも      矢弾(やだま)に捨てて
   軍(いくさ)重ねる  鳥羽伏見
   ともに白刃を     淋しくかざし
   新選組は      月に泣く
 
 NHK大河ドラマ「八重の桜」も、5月19日の放送(第20回)で、ついに「戊辰戦争」の端緒となった「鳥羽伏見の戦い」まで来た。

 鳥羽伏見の戦いをいうために、オイラが小学生だった昭和30年(1955年)にヒットしたこんな古い歌の歌詞を引っ張り出した。

 横井弘作詞・中野忠晴作曲の「あゝ新撰組」の2番。
歌うは三橋美智也。
この曲の一番の歌詞は、

 ♪ 鴨の河原に   千鳥が騒ぐ
   またも血の雨   涙雨
   武士という名に  命を賭けて
   新選組は     今日も行く

  「いいな、いいねえ、日本語は美しい、すばらしい」
  と、思わず言いたくなる詞だ。

 新選組(撰もつかうが、選がベター)は好きではないが、この歌詞は子どもの頃から大好きだった。

 「八重の桜」では、八重の弟三郎が、矢弾に当たって戦死した。
 

「八重の桜」の月間視聴率の推移

 「八重の桜」の5月最後の放送(26日の第21回)「敗戦の責任」の関東地区の視聴率(ビデオリサーチ調べ)は、14・1%で、前週(19日第20回)「開戦! 鳥羽伏見」より0・4ポイントアップだった。

 「八重の桜」は5月は4回放送があり、平均視聴率は14・6%だった。

 過去の大河ドラマの5月放送2回分で比べると、低水準である。
 一昨年の大河「江」の5月22日(第19回)は17・3%、5月29日(第20回)19・0%だったのだ。

 「江」と比べると、「八重の桜」は数字的にかなり落ち込んでいることがわかるが、昨年の「平清盛」と比べると、健闘している。
 「平清盛」の5月20日(第19回)は11・8%、5月27日(第20回)が10・2%である。

 「八重の桜」の月間平均視聴率の推移は、以下のようになる。
  
  「八重の桜」       「平清盛」
  1月(4回) 19・1%   17・4% (4回)
  2月(4回) 16・6%   14・6% (4回)
  3月(5回) 14・0%   13・4% (4回)
  4月(4回) 13・3%   12・58%(5回)
  5月(4回) 14・6%   12・55%(4回)

 「八重の桜」と「平清盛」は、どちらも初回と比べると視聴率が落ちてきているが、「八重の桜」が5月に盛り返したのに対し、「平清盛」は盛り返せず、ジリ貧をたどったという点が違っている。

 「八重の桜」が踏んばって人気を獲得しつつあるかどうかは、6月第1週(第22回)の結果をみないとわからない。

(城島明彦)

2013/05/26

中原中也記念館は、とても親切だった


ムック「世界の大天才」、もうじき発売

 ここ1か月半ほど、6月初めに発売されるムック「世界の大天才」(徳間書店)の執筆に多くの時間を割いていた。

 取り上げた世界の天才は、50人を超えている。

 「単なる偉人伝を書くだけなら誰でもかける」
 などと、いつも偉そうなことをいっている手前、「ほかの本とは違って面白いね」といわれるものをと常に意識して書いたつもりだ。
 
 表紙は、アインシュタインが「アカンベー」をしている写真なので、目立つと思うが、私はこれにはノータッチ。版元と編プロが協議して決めた。
 
 アカンベー写真は、アインシュタインが記者の取材を受けたときに「笑ってください」といわれ、サービス精神を発揮して、車の窓を開けて「アカンベー」をしたというエピソードが残っている。

 アインシュタイン本人も、その写真をえらく気に入り、「焼き増して自分にもくれ」とその記者に頼んだというから、ユーモアがわかる人だったのだろう。


中原中也は30歳で死んだ

 先週末に、そのムックのなかの詩人中原中也のことを書いた個所に関して、編集者から最終確認があった。

 中原中也は夭折の詩人だ。
 明治40年(1907年)に山口県で生まれ、昭和12年(1937年)に鎌倉で死んだ。
 享年30歳。

 中原中也を「世界の大天才」としたわけではない。
 フランスの象徴派の詩人であるボードレール、ベルレーヌ、ランボーの3人の天才を、同じ詩人である中原中也がどう見ていたかということを書いたのだ。
 
 私が、第三者的に3人を評論したり解説したりするより、中原中也という詩人の目を通して、3人はどう違っていたのかを書いた方が面白いと考えたからだ。


妙な文章のように見えるが、それで正しい昔の文章

 中原中也は、明治生まれの人。
 だから、現代人の目には句読点が妙だと感じる個所が結構ある。
 かなづかいでは「だった」とせずに「だつた」としている。
 
 編集者から確認されたのは、中原中也の『小詩論』から引用した以下の個所だ。

 「ヴェルレエヌには自分のことは何にもわからなかつた。彼には生きることだけが、即ち見ることだけがあつた。それが皺となつたその皺は彼の詩の通りに無理のないものだつた。」

 編集者からの問い合わせは、
 「それが皺となったその皺は彼の詩の通りに無理のないものだつた」ではなく、
 「それが皺となった。その皺は……」ではないかというものだった。

 そんな指摘を受けるとはおもってもいなかったので驚いたが、もし私が句読点を入れ忘れたとしたら、句点(。)ではなく、読点(、)のほうになるだろうが、その場合、次の2通りが考えられる。

 「それが皺となった、その皺は彼の詩の通りに無理のないものだつた」
 「それが皺となったその皺は、彼の詩の通りに無理のないものだつた」

 しかし、読み点を入れて文章を読んでみると、言葉のニュアンスが違ってきて、文章として味がなくなる。

 私が参考にし引用した本には句読点はないが、「もしかすると誤植かもしれない」と思い、念のために山口県の 「中原中也記念館」に問い合わせ、中原中也の生原稿に当たってもらうことにした。

 突然のことなので、「少し時間をください」といわれたり、断られたりしても仕方がないと思ったが、電話に出た記念館の女性は受話器をおくと、すぐに原文にあたってくださった。

 その結果、句読点は一切入っていないということが確認できた。
 とてもありがたいと思った。

 読者は、著者がそんなことまでやっているとは思わず、さっと読んでいくのが普通だ。
 

パソコンが普及してお粗末なケアレスミスが増えた

 パソコンになってよくやるミスが、誤変換ミスと数字の打鍵ミス。
 
 情けない話だが、6を入力したつもりが、その上の9を間違って押すというようなミスを、私は数えきれないくらい犯している。

 手書きの文章では、100%ありえないケアレスミスが、パソコンでは起こるから怖い。

 上記の中也の文章のなかの「詩」が「誌」になっていて、初稿のチェック時に気づいたが、これも手書きではおこりえないミスだ。

 パソコンで怖いのは、自分ではきちんと書いたつもりでいるので、校正時に気づかないことも多く、これも怖い。

 一冊の本を何人もの編集者や校閲者が時間を入念にチェックするのだが、それでも見落としがあって、誤記・誤植ゼロという具合にはいかないのが本である。


「桑名の駅」と題した中原中也の詩

 中原中也の未完詩のなかに、「桑名駅」と題する詩がある。

 桑名駅は、三重県桑名市にある。
 NHK大河ドラマ「八重の桜」の会津藩の藩主・松平容保の弟が藩主を務めた桑名藩があったところだ。
 会津藩とともに最後まで幕府軍として抵抗したため、明治維新後も薩長藩閥政府から徹底的に憎まれ、産業が発展しなかった。

 桑名は、私の母の実家があるところで、私が生まれた町でもある。


 桑名の駅   中原中也

 桑名の駅は暗かつた。
 蛙がコロコロ鳴いてゐた
 夜更の駅には駅長が
 綺麗な砂利を敷き詰めた
 プラットホームに只(ただ)独り
 ランプを持つて立つてゐた

 桑名の夜は暗かつた。
 蛙がコロコロ泣いてゐた    ※ここのみ、「鳴く」ではなく、「泣く」となっている
 焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは
 此処(ここ)のことかと思つたから
 駅長さんに訊ねたら
 さうだと言って笑つてた

 桑名の夜は暗かつた
 蛙がコロコロ鳴いてた
 大雨の、霽(あが)つたばかりのその夜(よる)は
 風もなければ暗かつた
  
                  (一九三五・八・一二)
 「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪間普通のため、臨時関西線を運転す」

 今から77年前に書かれた詩である。亡くなる2年前だ。
 中原中也は、この年の3月に吐血している。
 
 中原中也の注記から知れるのは、郷里の山口(山口県吉敷郡山口町/現山口市湯田温泉)から上京する途中で東海道線が不通になり、関西本線による振り替え輸送が行われ、夜中に桑名駅に停車したらしいということだ。

 もうじき91歳の誕生日を迎える私の母は、そのとき桑名で暮らしていて、13歳の少女だったと考えると、隔世の感がある。

(城島明彦)


2013/05/25

白鵬、稀勢の里との全勝対決にまた「張り差し」! こんな奴を〝大横綱〟といえるのか!?

張り差しなんて、大一番で横綱がやる手じゃない

 白鵬は、今場所(5月場所)はいつになく「張り差し」が少なく、堂々とした横綱相撲を取っていると思ったら、14日目の全勝対決で、また「張り差し」だ。


 白鵬にいいたい。そういう手を使わないと勝てないのか!?
 勝つためには何でもやるのか!?
 顔を張らずに、堂々と突っ張ればいいじゃないか。

 稀勢の里を見よ。
 張り差しなどせず、堂々とぶつかっていく。
 
 稀勢の里は、まさか張ってくるなどと思ってもいないから、顔面を張られた瞬間、顔が左を向いた。
 
 そういうことで勝とうとする白鵬の根性が情けない。
 立ち合いに、かわったりするのと大差ない、ほめられない相撲だ。

 次第に口ばかり達者になった白鵬だが、真の大横綱を目指すなら、「張り手」など使わず、堂々とした取り口をせよ。
 それが真の「相撲道」というものだ!


張り手」「張り差し」を連発するのはモンゴル勢だけじゃなかった。NHKの解説者北の富士も現役時代やっていた

 この日(14日目)は貴乃花が解説していたが、5月の連休の頃の別の番組に出演していたとき、

 横綱だった貴乃花と、力をつけて大関に上がってきた朝青龍との勝負のビデオを流していた。

 それを見ながら貴乃花が、
 「何回も顔を張ってきた」
 と閉口したような口調で話していたのが印象的だった。

 つまり、「そういう手は使うな。決して褒められた攻め方ではない」と匂わしていたのだ。

 その何日か前に、NHKが貴乃花の父の先代貴ノ花の名大関ぶりを紹介する番組があったが、その番組にゲストでコメントした者のなかに、現在相撲解説をしている元横綱北の富士がいた。

 そのときに北の富士の勝負も4~5番流れたが、驚いたことに、そのうち2番で北の富士は「張り差し」にいっていた。

 以前、張り差しで相手が失神し、土俵上に崩れてしまったときや、実況アナウンサーに「張り差し」についてコメントを求められたときも、北の富士が黙っていた理由がわかった。

 現役時代、自分自身が横綱としてふさわしくない「張り差し」の常習者だったのだ。

 こんな奴らが、日本の相撲をダメにしてきたのだ。

(城島明彦)

2013/05/11

『ケアマネなら知っておきたい 社会知識ナビ』 2版が、5月13日から書店に! 

 新しいデータに一新したため、半年間、在庫切れだった
 
 拙著 『ケアマネなら知っておきたい 社会知識ナビ』の2版(大幅改定版)がやっと書店に並ぶ。

 私の学生時代からの友人で、東京都庁勤務時代から福祉畑一筋だった大津佳明が監修した。

 この手の内容・構成の本は過去に例がなく昨年3月に初版が出て以来、ケアマネージャーをしている方たちに望外の高い評価をいただき、発売まもなく重版となったが、昨年の12月には倉庫の在庫もすっかりなくなっていた。

 在庫が切れた時点で増刷すれば、書いている私は楽だったし、それで事はすんだが、私も大津もその道を望まず、データや情報を最新のものに一新する道を選んだ。

 版元もそれをよしとし、担当編集者の西村舞由子さんは、本文のレイアウトや使用する活字の書体なども一新するという大変な努力をした。

 〝進化する本〟――これが、本書のテーマなのである。

 そういった経緯で改訂することになったため、当初から在庫を持っている書店以外を除いて、約半年間、本がなくなるという状況が生まれ、アマゾンなどで購入したい人たちにはずいぶん迷惑をかけてしまったようだ。

 ◆ちょっとPR調になるが、本書は、数字や情報を新しくするだけでなく、「改訂する度に、進化する」ということを執筆方針にしており、今回は介護現場に関わっているベテランの医師、歯科医師、介護福祉士、社労士のコメントを新規に加えた

 この種の本で、こんなことをしている本は、ほかにはない。
 
 そのうちどこかがまねてくるかもしれないが、いまはこの本だけだ。

 
資格試験本では、実態がないのに「○○研究会編」などとするのが流行っているが、それは「詐欺商法」と同じ

 実用書を手に取るとわかるが、介護・福祉分野も含めて、資格試験対策用の参考書などの多くは、「○○研究会」といった名前を表紙に入れている。

 しかし、そんなものは名前だけで、実態などない。

 私の感覚では、「公正取引委員会」や「消費者センター」がなぜ黙っているのか不思議だ。
 ○○研究会などとやれば、読者が安心して買うだろうという出版社の浅ましい商魂のなせるわざで、一種の「詐欺商法」に近いからだ。

 著者の名前を出せばいいのに、そうせずに、もっともらしい架空の名前をデッチ上げる。
 著者の名前を入れたとしても、より信頼性を高めるためという狙いで、ありもしないその手の名前を付け加える。

 私は、そういうインチキくさいこと、うさんくさいことが大嫌いなので、本書ではホンモノのその道の専門家に加わってもらって、ケアマネージャーへのメッセージやアドバイスを本文に加えた。 

 本のタイトルは「ケアマネなら知って」だが、本の帯に謳っているが、

 「介護職員・家族にも役立つ! よくわかる!」

 ように、わかりやすい書き方にしてあるので、少しでも多くの人に目を通してもらえたらと願っている。
 
 2 5月13日発売

(城島明彦)

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2013/05/10

女性誌「CanCam」「AneCan」の姉妹誌が、もう一つできるって!?


ホンマでっか

 小学館の人気雑誌「CanCam」(キャンキャン)のお姉さん向け雑誌が「AneCan」(アネキャン)。

 このシリーズのさらに上の年齢を狙うと、どんな名前が最適か?
 ヒマつぶしに、考えてみた。

 「Oba Can」(おばキャン)はどうだ?

 いや、これはストレートすぎるか。

 姉妹誌なのだから、語呂合わせも考えないといけないだろう。

 「AneCan」「CanCam」の頭文字はAとC。
 それなら、その間のBで始まるネーミングがよかろう。

 「BabaCan」(ババキャン)でどうだ。
 ABCシリーズ誕生! 

 ついでに、キャッチコピーも考えてみた。

 あの世のジャイアント馬場も読みたくなる「BabaCan」
 Barber(床屋)でも人気の「BabaCan」
 託児所でも「いない、いないバー」をするときの小道具に使える「BabaCan」

 連休に仕事をしていた疲れが、まだとれていないようだ。

(城島明彦)

多摩川の小石にまとわりついたヘドロ

まだまだ清流とは呼べない多摩川

 昨日(5月10日)夕刻のこと。

 チェックを終えたゲラを編集プロダクションに届けた帰途、二子玉川駅で下車し、多摩川を眺めてきた。
 川が大きく蛇行し、川幅が土手近くまで広がっている場所までいって、座ったり立ったりして1時間ばかり眺めた。

 風は心地よかったが、初夏のような暑さで、体力を消耗する気がした。

 河原へ向かう入口の付近に、近日中に川を掃除する予定と書いた案内があった。

 (へえ、掃除するのか。どれぐらいの人手をかけて、どのあたりまで掃除するのだろう)
 と思いながら、河川敷へ降りていった。

 水際に寄り、しゃがみ込んで観察したが、小魚の影は見えず、まだ水は冷たいようだ。

 空は晴れているのに、水はその青を映しておらず、どんよりと濁っていた。

 川底の小石という小石には、「ダークグリーンがかった灰色のヘドロっぽいもの」がこびりつき、ゆらゆらしていた。

 水草のようにも見えなくないが、色が違う。汚く、どろどろしている。

 そのせいで、水が濁っているように見える。

 昔と比べると、きれいな流れにはなっているが、その4日前(6日)に眺めた居住区を流れる川幅の狭い川と同じ状態だと知って、がっかりした。

 まだ生活用水を完全にはシャットアウトできていないようだ。
 そういう事情から、多摩川を掃除しなければならないことがわかった。

 人が汚したものを人がきれいにするのは当たり前といえば当たり前だが、川には浄化作用がある。
 その自然作用を超える汚物を、人間はまだ川に放出しているということだ。

 多摩川は、まだまだ「清流」と呼ぶにはほど遠い。
 これが、その日の結論だった。

 清掃後、川がどう変貌するのか!?

 多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児(こ)の ここだ愛(かな)しき (万葉集)
 多摩川に さらすふんどし まっ黄っき 何そこの爺(じじ) 頭おかしき  (城之島阿保麻呂)

(城島明彦)

2013/05/08

韓国はわけのわからん国だ! 朴大統領のいう「正しい歴史認識」て何だ!?

「朴」という字は、日本語では「ボク」ではなく、「ボケ」と読むべきなのか?

 オバマ米大統領との首脳会談で、朴槿恵韓国大統領が日本の悪口をいった。

 70年近くも前の戦時の話を持ち出して、「日本の歴史認識は間違っている」だと?

 そんなことをいうなら、「朝鮮戦争」でアメリカとソ連がなぜ朝鮮半島を2分したと文句をいわんかい。

 朝鮮半島は、歴史的に中国の侵略を受け続けてきたぞ。
 その話は、どうなっとるんだ!

 いい加減にしないか!

(城島明彦)

2013/05/07

最下位独走中! 高木〝バカ監督〟が中日ドラゴンズを壊した!

「国民栄誉賞」騒ぎの陰で、ドラゴンズの低迷ぶりは何だ

 監督の高木守道が中日を壊した。
 彼が監督になった時点で、こうなるのはわかっていた。

 ここ何年もAクラスにいたという誇りは、ないのか!?

 そのうち、ベンチが暗~くなって、シーズン途中で監督交代か?

 この道は、いつか来た道。
 昔、高木が中日の監督をやっていたときと同じことが、また繰り返されている。

 中日は「投手力で、他チームに競り勝ってきたチーム」だ。
 それが高木に代わってから、打力勝負を相手チームに挑むようになった。

 そういうことをやっていたら、相手チームは怖がらない。

 なぜ、「中日の水に合っていたブランコ」をDeNAに放出する必要があったのか。

 昔の星野仙一を思い出す。

 星野は、選手を見る目がなくて、ブライアントを一軍で使いもせずに、近鉄に出した。
 そのとたん、大爆発。50本以上ホームランを打つなど、とんでもない打力を発揮した。

 ブライアントをスポーツ紙は、「ブラボー」にひっかけ、〝ブラ砲〟などと書いていたが、ブランコも略称では同じ〝ブラ砲〟だ。

 どんな言い訳があっても、ブランコの移籍先のDeNAにボコボコにされては通用しない。

 ブラ砲は、ここ2年、ケガでかつての精彩を欠いていたが、それでもここぞというときには1発を放って逆転する破壊力を見せていた。

 山崎も放り出したら、楽天でバカスカ打った。
 力が落ちたら、星野に放り出され、古巣の中日に戻ってきた。

 バカじゃないのかといいたくなるほど、どこかがズレている。


経営陣は責任を取ること

 「落合じゃ客を呼べない」
 「中日スポーツ記者にも、リップサービスしない」
 という理由で、経営陣は落合のクビを切ったが、高木に代わって、どんどん客が増えたのか?

 新聞記事が面白くなったのか?
 発行部数が増えたのか?

 負けた次の日の新聞なんて、ファンは読みたがらない。

 経営戦略を誤ったら、経営陣は責任を取らなきゃね。

(城島明彦)

6日は休日じゃないと勘違いし、疲労困憊した1日になってしまった

生きていても仕方がないと思う日々

 新聞は見ないし、テレビも時々しかみないし、カレンダーも見ないせいで、5月6日は休みではないと思っていて、役所へ行ったら閉まっていた。

 すぐには気づかず、裏門へも回って、そこも同じようにしまっていたので、「もしかして、今日も休みか」と初めて思った。

 5日の日に、お世話になっている人から電話があり、「月曜に」という言葉を何度も聞いていたので、6日は休みではないと勝手に思い込んでしまっていたのだ。

 「振替休日らしい」
 と気づい途端、説明のつかない極度の疲労感に襲われ、歩くのも大儀になってしまい、近くの川べりへ足を向けたが、河原まで下りる階段もない。

 小さな汚い川だったが、ほかに川はないので、仕方なく土手から川面を見ていたが、水は濁っているは、川床は汚いはで、気持ちはますます沈んだ。

 2月だったか、3月だったか、記憶が薄らいでいるが、よく晴れた日の夕方、仕事の打ち合わせの帰りに二子玉川(二子多摩川という駅はなく、二子玉川)で途中下車し、多摩川の川べり近くまでいって、1時間ばかりずっと川面を見ていたことがあった。

 川の流れは、同じように見えるが、微妙に変わっていて、何時間見ていても飽きない。

多摩川の水はきれいで、気持ちも落ち着いた。

30年近く前に、そのそばのマンションを買おうとしたことがあったが、そこに住んでいれば、また違った人生があったのではないかと繰り返し思った。

思えば、子どもの頃から、小川や少し大きな川が大好きで、いつも魚を取ったり、眺めたりしていた。
川を見ていると、元気になれた。


ミレーの絵画「オフィーリア」のこと

 時間の移ろいにつれて表情を変える点では、川より海の方がはっきりしているが、海より川の方が好きだ。

 川に比べると、海は、どこか、がさつな感じがする。

 川を眺めていると気持ちが安らぐのは、自分が「蟹座」であることと何か関係があるのかと考えたこともあった。

 ミレーの描いた「オフィーリア」を見るたびに、子どもの頃、よく出かけていた田舎の小川を思い出す。
 ミレーというと、「晩鐘」「落穂拾い」が思い浮かぶが、同名の別人だ。

 いまやっている仕事で、シェイクスピアについて触れるところでは、「ハムレット」のオフィーリアのことを書いた。

 オフィーリアは、父の仇を討つために、恋人のハムレットが狂気を装っていることを知らず、発狂して、川で溺死し、浮かんでいる場面を描いたのが、ミレーの絵のテーマである。

 私は泳げるので、川に飛び込んでも無意識のうちに泳いでしまうのではないかとよく考える。
 睡眠薬を大量に飲んで朦朧とした状態なら、うまくいくかもしれない。

 そんなことを、繰り返し、よく考える。

 (城島明彦)

2013/05/04

「世界の天才」と思える歴史上の人物は誰? 

「原稿枚数制限」と格闘する物書きの苦痛

 先月末にやっとムック「世界の天才」の原稿を脱稿、ゲラが上がってきた。
 本の発売は来月(6月)。

 企画の段階から参加させてもらい、自分の好きな画家(レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ベラスケス)や建築家(ガウディ)、工芸家(ガレ)など、力が入ったが、1人分が500字弱という字数制限があって、このなかに収めるのが限りなくしんどい。

 作曲家、作家、学者の世界の天才もたくさん書いたが、字数・次数で神経をすり減らす。

 ムックという本の特性上、「デザイン優先」という編集方針を打ち出しているので、書きたいことも十分書けず、取り上げる人物の姓名をフルネームで使うことをできない有様で、神経疲労が激しい。

 校正を担当する人には、そういうことへの配慮はなく、テグジュペリと書いたら、サン=テグジュペリで統一してほしいといってきた。
 
 『星の王子さま』を書いた彼のフルネームは、アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine Marie Jean-Baptiste Roger de Saint-Exupéry)。

 フルネームで原稿を書くと、これだけで36文字。とてもじゃないが、書ききれない。
 サン=テグジュペリとすると、3文字増える。
 
 だから、名前を二度、三度と出さざるを得ないときは、「彼」としている。
 
 別の男がもう一人出てくると、どっちが彼かわからなくなるので、仕方なく、名前を使う。

 ここまでしなければならない「制約」には、「問題がある」が、そういう字数に決まっている以上、致し方ない。
 
 おそらく、そういう制限で読ませる方がいいというデータでもあるのだろう。 


恐怖の名前?  名前だけで83文字!?

 サン=テグジュペリで驚いちゃあいけない。ピカソはもっと長い。

 パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ。

 名前だけで83文字で、この名前をはじめてしったときは頭がガッチャマン状態になった。

 ピカソの名前にヒントを得て、かなり前に書いた小説で、もっと長い長い名前を外人の登場人物に使ったことがある。

 原稿用紙1枚いくらという仕事なら、長い長い名前は大歓迎だが、ムックはそうはいかない。

 そこで、文字制限があると、文章に「体言止め」を多用するしかなくなる。

 誰が書いても一緒のような内容にするのなら楽だが、読者に「へえ、そうだったんだ」「面白い」「城島明彦は違う」などと思ってもらえるようにしようと(勝手に)意気込んでしまって、悪戦苦闘の毎日だ。

 そういうことと格闘し続けていれば、「うつ」にもなろうというもの。

 読者は、こういうことを知らずに読む。
 いや、そういう苦労を読者に感じさせないのが、プロというもの。
そこが腕の見せどころだ。

 なにはともあれ、頑張るしかありませんぞな、もし。
 
(城島明彦)

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