6日は休日じゃないと勘違いし、疲労困憊した1日になってしまった
生きていても仕方がないと思う日々
新聞は見ないし、テレビも時々しかみないし、カレンダーも見ないせいで、5月6日は休みではないと思っていて、役所へ行ったら閉まっていた。
すぐには気づかず、裏門へも回って、そこも同じようにしまっていたので、「もしかして、今日も休みか」と初めて思った。
5日の日に、お世話になっている人から電話があり、「月曜に」という言葉を何度も聞いていたので、6日は休みではないと勝手に思い込んでしまっていたのだ。
「振替休日らしい」
と気づい途端、説明のつかない極度の疲労感に襲われ、歩くのも大儀になってしまい、近くの川べりへ足を向けたが、河原まで下りる階段もない。
小さな汚い川だったが、ほかに川はないので、仕方なく土手から川面を見ていたが、水は濁っているは、川床は汚いはで、気持ちはますます沈んだ。
2月だったか、3月だったか、記憶が薄らいでいるが、よく晴れた日の夕方、仕事の打ち合わせの帰りに二子玉川(二子多摩川という駅はなく、二子玉川)で途中下車し、多摩川の川べり近くまでいって、1時間ばかりずっと川面を見ていたことがあった。
川の流れは、同じように見えるが、微妙に変わっていて、何時間見ていても飽きない。
多摩川の水はきれいで、気持ちも落ち着いた。
30年近く前に、そのそばのマンションを買おうとしたことがあったが、そこに住んでいれば、また違った人生があったのではないかと繰り返し思った。
思えば、子どもの頃から、小川や少し大きな川が大好きで、いつも魚を取ったり、眺めたりしていた。
川を見ていると、元気になれた。
ミレーの絵画「オフィーリア」のこと
時間の移ろいにつれて表情を変える点では、川より海の方がはっきりしているが、海より川の方が好きだ。
川に比べると、海は、どこか、がさつな感じがする。
川を眺めていると気持ちが安らぐのは、自分が「蟹座」であることと何か関係があるのかと考えたこともあった。
ミレーの描いた「オフィーリア」を見るたびに、子どもの頃、よく出かけていた田舎の小川を思い出す。
ミレーというと、「晩鐘」「落穂拾い」が思い浮かぶが、同名の別人だ。
いまやっている仕事で、シェイクスピアについて触れるところでは、「ハムレット」のオフィーリアのことを書いた。
オフィーリアは、父の仇を討つために、恋人のハムレットが狂気を装っていることを知らず、発狂して、川で溺死し、浮かんでいる場面を描いたのが、ミレーの絵のテーマである。
私は泳げるので、川に飛び込んでも無意識のうちに泳いでしまうのではないかとよく考える。
睡眠薬を大量に飲んで朦朧とした状態なら、うまくいくかもしれない。
そんなことを、繰り返し、よく考える。
(城島明彦)
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