「八重の桜」は、地方の武家の「家族の絆」を描くホームドラマ!
演出とカメラワークは最高だが、視聴率は13.8%(4月21日放送)
心身の状態を崩していたのと、原稿執筆に追われて、テレビを見る余裕がなかった。
2日ほど前から少し余力が出て、昨日の土曜(4月20日)には第15回「薩長の密約」の再放送を見、日曜の今日(4月21日)は夜の放送(第16回「遠ざかる背中」)を見た。
2回の放送内容を見て改めて感じたのは、ドラマとしてよくまとまっている、よく描いているということだった。
演出もカメラワークも秀逸。実にうまい。ここ何年かの大河ドラマの演出では群れを抜いている。
だからといって、それが視聴率に結びつくかというと、そうではないところに難しさがある。
第14回で11.7%に落ち込んだ視聴率が、第15回では14.2%と14%台に戻っていた。
※第16回13.8%(いずれも関東地区/ビデオリサーチ) 第16回の数値のみ、22日午前11時追記
ドラマの出来からすれば、もっと視聴率が上がっていいはずだ。
ただ、音楽は、何度見ても無駄な個所、余計な個所につけていると感じる。
音楽は、芝居を邪魔してはいけないのに、しばしば邪魔する場面が多々ある。
問題があるとすれば、これだけだ。
幕末の「家族の絆」を描いている
東日本大震災から日が経つに連れて、「絆」という言葉の重要さが薄れてきた。
その「絆」を描こうとしているのが「八重の桜」ではないのかと、いまになって気づいた。
八重の「家族の絆」を中心に、幕府の絆や反幕府で手を組もうとする薩摩・長州などの「絆」もある。
幕末という激動期に生きる地方武士の家族は、藩の動き、国全体の動きに大きく左右され、時代の荒波に飲まれながら、家族の絆が弱まらないように懸命に生きていく。
そういう視点でドラマを見ると、八重の家族は、現代に生きるわれわれが政治、経済、社会の動きとは無関係でないのと同じであることがわかる。
そういうことが視聴者にはっきりと伝わらないと、話があっちへ飛び、こっちへ飛びしていると感じてしまい、ばらばらな印象しか受けず、視聴率は伸びなくなる。
国全体の動きの描写と家族の描写の比率をどうするかが、脚本や演出で大事になるということだ。
孝明天皇の京都弁をもっと明確にすべきだった
孝明天皇は、京都弁と東京弁が入り混じっていたが、完全に京都弁の御所言葉を使うべきだった。
孝明天皇の死因には諸説あるが、毒殺説がもっとも説得力がある。
細かいことをいうようだが、会津藩の家老役の佐藤B作が藩主の松平容保に緊急報告する場面で、
「帝がお亡くなりに……崩御されました」
というところは、
「帝がみまかられ……崩御なされました」
とすべきである。
徳川慶喜が、とんでもない人物に描かれているのは面白い。
勝海舟がえらく力んだ話し方をする演出になっているが、もっと飄々として、ベランメエなしゃべり方にすべきだった。
細かいところでは文句はあるが。全体の出来は素晴らしい。
(城島明彦)