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2013/03/29

物書きなのに、ブログを書くのが億劫(おっくう)


気がつけば、3月も残すところ、今日を入れてあと3日

 文章を書く仕事をしていながら、ブログを書く気になれない日が続いた。
 その間、仕事用の文章は、いっぱい書いているのだから、自分でも不思議になる。

 昨年春に出た『ケアマネのための社会知識ナビ』という本が、この手の本としては完売となり、昨年の終わり頃から倉庫にも在庫がなくなったので、第2版が出ることになり、1月に集中的に加筆作業をし、先週ゲラが出たので、監修を担当してくれた友人と昨日照らし合わせをした。
 
 この本は、さまざまな数値や調査データを満載しており、刊行されてから日が経つと掲載したデータが古くなり、なかには改正されて内容が変わってしまう法律などもあるので、第2版ではデータを一新すると同時に編集者にお願いしてレイアウトなども大きく変更してもらった。

 当初発売は4月を考えていたのだが、出版不況のあおりを食って担当編集者がリストラされてしまうという予期せぬ事態が発生し、発売は5月連休明けにズレ込んだ。

 年明けから、書きたい本の企画書をいくつも作成したが、なかなか通らず、イライラする毎日が続いた。そのなかで、夜の11時頃電話があって、「明日の11時までに『天才』をテーマにしたムックの企画書にできないか」といわれ、徹夜してまとめた企画書が通り、これから1か月と少々で書き上げることになった。

 誰もが知っている人を書くのは難しい。当たり前のことを当たり前に書いては意味がない。
 同じ素材を使って、どうしたら違いを出せるか。
 そこが腕の見せどころだ。

 前回書いた「世界の名家と大富豪」が幸いにも売れたので、それを超える内容のものにしたいと自分にいいきかせている。


出版業界は構造不況業種と成り果てた

 出版業界は、日を追って地盤沈下し続け、ひどいことになっている。
 読者の目を向けさせようと、話題づくりに躍起になっている。

 昔は、編集者から「何か書きたいもの、ある?」と声をかけられ、
 「こういうのを書きたい」
 というと、翌日には、
 「決まりです。あれでいきましょう。いいのを書いてください」
 という電話がかかってきたりした。

 しかし、いまは、そんなことをいわれる作家は数えるほどしかいない。
 芥川賞や直木賞を受賞して〝物書きピラミッド〟の頂点に位置づけられる作家でも、注文が少なく、注文があって執筆しても、その本が売れないと次第に置いてけぼりを食う時代になった。

 したがって、ほとんどの作家は、
 「自分は、こういうものしか書かない」
 などと偉そうなことをいっていられなくなってきた。

 私も、そんな一人だが、興味や関心のないものは書かない。


作家はなぜ年をとると「時代小説」に手を染めるのか

 興味や関心は年齢とともに変化するので、若い頃には目を向けなかったジャンルに対して興味を覚えるようになる。

 現代を舞台にした小説を書いていた作家が年をとってから時代小説や歴史小説を書き始めるのは、そういう理由からだ。

 年をとると、
 「新しい風俗や若者たちに対して心底から共感を覚えなくなる」
 という理由もある。言葉を変えると、
 「時代の流れについていけなくなる」
 ということだ。

 共感できない人間、理解でいない言動や言葉を発する人間を小説の主人公として活写することができなくなるということだ。


「柳の下のどじょう」ばかり追いかける出版社のモラルの低さ

 ある本がヒットすると、ほかの出版社が狙いすましたように砂糖に群がるアリのようにそこに殺到し、似たような本を続々と出す。

 「新書」や「実用書」がその典型的な例だ。
 ハードカバーの本に比べて値段が安く、読者にとって「手ごろ感」があり、目新しさも手伝って当初は売れた。

 たとえば、光文社新書の「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」は、タイトルの妙もあり、バカ売れし、私の知りあいの編集者の何人かは「ああいう本を書かなきゃダメだ」と私にいった。

 だが、私は、その頃、数えきれないくらいのさおだけ屋がつぶれて廃業している実態を知っていたので、心中で「何をバカなことをいっているのか」と、あざ笑っていた。

 要するに、意図的に読者の関心を引くタイトルをつけたり、根拠もなく、不安心理を煽り立てるような内容にしたり、一見、役に立つと思わせるようなインチキな話を書いて売っているだけの話である。
 そして、読者がその策略に乗ってしまうのだ。

 「こうすれば、○○になれる」
 「30代でやっておくべき、△△なこと」
 などという、もっともらしい謳い文句が続出するのは、そういう理由による。

 そうしたモラルの低さが、いつのまにか出版界に定着している。

 その手の実用書を買って、そのとおりになれた人がいったい何人いるというのか!?

 かつて、「新書」といえば岩波新書が代表格で、ほかにもいくつかある程度だったが、いつのまにか、書店には新書の山が築かれている。
 が、どこもかしこも新書を出せば、競争は激化するし、内容の似た類書も増えて、次第にクオリティが低下し、売上も次第に落ちていく。

 グチ、文句、批判を言い出すとキリがないので、このへんでやめておこう。

 (城島明彦)

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