NHK大河ドラマ「八重の桜」の視聴率ジリ貧を招いたのは、致命的ミスキャストが原因。綾野剛がなぜ会津藩主(松平容保)なのか?
視聴率は長期低落トレンドに入った!?
3月3日の「八重の桜」(第9回)は「八月の動乱」、いわゆる「8月18日の政変」を軸にして描いた話だったが、視聴率(関東地区/ビデオリサーチ調べ)は15.1%で、前回より0.6ポイント落ちた。
第9回の視聴率比較 平清盛13.4%、江20.0%、龍馬伝21.0%、天地人20.3%、篤姫25.3%
「八重の桜」が20%超えを達成したのは初回のみ(21.4%)で、1月は18%台をキープ(18.8→18.1%→18.2)し、2月初めも18.1%と健闘したが、そこで息切れ。一気に15%台に下落した。
2月 18.1%→15.3%→17.5%→15.6%
数値の推移は、
「関心をもって初回を見た人が、少しずつドラマの内容に失望し、見なくなった」
ということを物語っている。
民放ならこの数字で御の字なのだろうが、NHKはそうはいかない。
何が視聴者の関心が薄らいだのか!?
演出方法は、正統的で好意が持てる。
脚本もよくできている。
主演の綾瀬はるかは好感が持てる。
問題は2つだ。
1つは、正統的な時代劇を意識するあまり、セリフに難しい言い回しが多くなり、若い連中のみならず、年寄りでも、
「? いま、なんていった?」
と思うところが、結構あるのだ。
もうひとつは、主要な人物の配役を誤ったことだ。
松平容保役に品のない顔つきの綾野剛をなぜ起用したのか!?
幕末・維新の時代史のなかで、きわめて重要な人物だった会津藩主・松平容保役を演じている綾野剛という役者に対して違和感をいだいている視聴者は、私だけではあるまい。
その違和感は、演技以前だ。
顔つきである。
松平容保は孝明天皇に目をかけられた忠臣なのだから、それなりの気品がある役者がふさわしいが、綾野にはそれが感じられない。まるで、そのへんのチンピラ侍がふさわしいような顔つきだ。
目が釣り上がり、どうひいき目に見ても、賢明そうには見せず、おまけに短気そうな印象を受けてしまう。完全なミスキャストといっていいだろう。
何回目のドラマだったかは忘れたが、京都守護職となった松平容保が千人を超える会津藩士を率いて入京するシーンで、町の人に、
「きれいなお殿様だ」
といわせていた(正確な表現は忘れた)が、綾野の顔は「きれいな」というイメージではない。
NHKは折角きちんとしたドラマづくりをしたのに、ミスキャストがすべてをぶち壊すことを考えないといけない。
ミスキャストが致命傷になることをNHKは去年の松山ケンイチで思い知ったはずなのに、たとえ主役の人選ではなくても、何回かのドラマで主役に匹敵する重要な人物の人選では、もっと慎重になるべきである。
西郷隆盛はなぜ痩せているのか!?
少し前の話になる。「八重の桜」を見た私の友人が、
「若い頃は痩せていたのかもしれないが、あの西郷隆盛はないよね」
といっていたが、私もそう思っていた。
西郷隆盛といえば、やはり太ったイメージがある。
西郷隆盛という偉人のイメージは、明治以来、日本人に広く浸透してきたのであり、それを覆すことは難しい。
西郷に鹿児島弁をしゃべらせたり、八重に会津弁をしゃべらせたり、当時の時代考証をどんなにしっかりやったとしても、圧倒的多数の視聴者がそれを演じる役者に違和感を覚えたら意味がない。
NHKは、もっとイメージを大事にしたらどうか。
若いOLと宮本武蔵
話は変わるが、先日、少人数制の「読書会」が渋谷であった。
読書対象となった本は、私が現代語訳し、昨年末発売された宮本武蔵『五輪書』(致知出版社)である。
幸いにも拙訳は好評なようだが、現代語にするときに気をつけたのは、誰にもわかるような言葉づかいにするという点だった。
勝つ方法について武蔵が述べている個所では、私は「勝利の方程式」と訳すなど、独自性を出す工夫をしたが、それは、古い言葉を知らないいまの若い人たちにもわかるようにとの配慮からである。
NHK大河ドラマは、老若男女が見ているし、江戸時代の出来事をよく知らない人も見ている。そういう人への配慮をNHKは最大限すべきだが、大河ドラマでは多勢の登場人物が入れ替わり立ち代り出てくrので、役者の印象が弱いと、
「この人が演じているのは誰だっけ?」
ということがしばしば起こる。
「八重の桜」では、当初に比べ、人物名のテロップが減っている。不親切きわまりなく、私など、
「後で、DVDにする作業で面倒になるので、いちいち名前を入れないようにしているのではないか」
と勘ぐってしまう。
「五輪書」の読者会の話に戻すと、当初、私は、宮本武蔵に関心があるのは剣道をやっていた人とか時代劇や時代小説に関心がある人だろうと思っていた。
しかし、出かけてみたら、違っていた。
剣道の心得のある人や時代小説が大好きという人はおらず、しかも女性が何人もいたので驚いてしまった。
彼女たちは、「五輪書」を仕事する上で何かをつかむためのビジネス書、あるいは実用書として読んでいた。
NHKの大河ドラマに描かれた主人公たちの生き方を、毎日の仕事の場でどう対処していくかのヒントにしている
視聴者もいるということである。
(城島明彦)
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